第179話 挿話4・竜の牙物語
昔々、とある迷宮の一間にて。
骨王竜カドモスが自らの牙をばら撒くと、人型の骨が形成されていった。
カドモスを含め、骨達の胸の中心には赤く光る核、あるいは“コア”と呼ばれる擬似心臓があった。
「生誕おめでとう。主らはワシの一部じゃ。これからワシの手足として働いてもらうぞい」
カドモスはヒゲがないのにヒゲを撫でる仕草をしながら言った。
「理解しておると思うが主らとワシは記憶を共有しておる。ワシは忘れっぽくての。リスク回避のためじゃ」
「りょーかい」
軽く返事したのはエキーオーンという名の骨だった。
骨達は記憶保持の他に、竜殺しの血液を持つ証である“神の印”を持つ者と、世界樹の情報が書かれた琥珀武具を探す役割もあった。
エキーオーンも中年の医者の姿となり、ムーランディア大陸を駆け回って探した。
それから時は流れてガーラ大迷宮に居るカドモスの元へ帰還した時だった。樹王竜の姿をしたカドモスから琥珀色の槍を貰い受ける。
「なぜ私に?」
「琥珀武具があれば情報を得やすかろう? それに主は棒回しが好きそうじゃったからのぅ」
「どんな印象だよ」
半笑いのエキーオーンだったが、よく見ているな、と思った。実際、手の上で木の枝などを回す癖があったからだ。
そして槍を持ち、長い時間をかけて大陸中を駆け回った。しかし、有用な情報を得られぬまま、また帰還することになった。
戻る途中、大陸南西にあるアマゾ大森林内の犯罪迷宮都市ケイオスに立ち寄った。そこは元死刑囚が統治する場所で治安が良くなかった。
そんな都市の一層奥にある筋骨隆々な男ばかりの商店街で情報集めをすることにした。
とりあえず一周してみたが碌な成果も得られなかったので購入したミルク片手に広場の椅子に腰掛けて休憩に入った。すると、物騒な男達に囲まれる。
「おいオッサン。いい得物持ってんじゃねぇか。寄越しな」
「ふむ、無理だ。腰が痛くてな。こいつを支えにしないと歩けないんだよ」
「ならその辺の棒切れでも使うんだな」
輩が無理矢理奪おうとするのをかわして槍の柄で顎を叩いた。
「ぐがっ!」
男が泡を吹いて昏倒した。
「おっとすまんな。手が滑った」
「てめぇ!」
他の仲間に囲まれるも、槍の柄で全員打ち、追い返した。流石に殺しは不味いのでやらなかった。
中年おじさんの無双に周囲の人間が静まり返っていた。飲食店の香ばしい匂いだけが優しい。
「やれやれ、最近の若者は怖いな」
場を和まそうと冗談めかして言ってみたが、さらに寒くなった気がする。
周囲の人間に睨みつけられ、居心地が悪くなったので商店街を後にしようとした時だった。
「おじさんつよーい!」
と、こんな犯罪者だらけの都市に似つかわしくない一人の十代前半くらいで赤髪の少女が話しかけてきた。
「お嬢さん、こんなとこにいたら危ないよ」
「ん、大丈夫! キュクロさんが付いてるから!」
キュクロというのは、ここの鍛冶師で竜器造りの第一人者だ。竜器が無ければここでは死を意味する。つまり、彼に嫌われれば未来はない。
そして、その関係者らしい少女に手を出すことも同じく宜しくないというわけだ。
と、彼女が大体の説明をしてくれたところで思い付いたように手を叩いていた。
「あ! あたしの名前はアガウェー! おじさんは?」
「名もなきジジイだよ」
「ふぅん、よろしくねジジイさん!」
それから、アガウェーのお陰か、輩に絡まれることは無くなった。
エキーオーンは、なぜか少女に不思議な魅力を感じ、少しの間だけ滞在することにした。
そんなある日、彼女が浮かない顔をしていた。
「どうかしたのかアガウェー」
「……仲の良いお爺さんが迷宮病に罹ってて、もう長くないんだって」
迷宮病。迷宮に長く居ると患ってしまう不治の病とされているものだ。
「ふむ、良ければその爺さんを診せてくれないか」
病室に連れて行ってもらい、交渉に使えないかと持っていた迷宮病の特効薬を飲ませた。
みるみる内に体のアザが消えていく。
「えっ!? どうなってるの!?」
「ただの奇跡だよ」
「す、すごい! ジジイさん、ありがとう!」
抱きつくアガウェー。
エキーオーンは何だか嬉しくなり、ついでに他の患者も数人だけ治した。
それからすぐ、不治の病を治す槍使いの医者が出たとケイオス内に噂が広まる。
「おい、迷宮病を治す医者が現れたらしいぞ!」
「捕まえろ!」
だが、時すでに遅し。気付くとエキーオーンは消えていた。
◇
ケイオスの出入口付近にエキーオーンは居た。人間達のいざこざに巻き込まれる前に退散してきたのだ。
「ジジイさん!」
そこに駆け寄る少女アガウェー。
「どこ行くの? みんなが探してるよ!」
「悪いが用事があってね。帰らせてもらうよ」
「そんな……」
泣きそうな顔をするアガウェー。
「そうだ、これを渡しておく」
雑に文字が書かれた紙きれを渡した。
「これは?」
「迷宮病に効く薬の材料を書いたものだ」
この周辺の竜から取れる素材をまとめたものだ。いつかアガウェーが病に臥した時、少しでも助かる可能性を上げるためであった。
「スゴイ! ありがとう!」
「それじゃ、また来るよ」
「……うん! きっとだよ?」
悲しそうに眉を下げるアガウェーの頭を撫でてケイオスを後にした。
そして、ガーラ大迷宮に帰還してカドモスと再会した。
「急に呼び出して悪いのうエキボー」
「エキーオーンだよ」
脳のないカドモスは記憶が欠如していく。忘れてはならないものまで突然忘れるのだ。故に記憶の一部を他の骨に植え付けている。
「牙の一体が壊れてのう。代わりに“エスカー”と名乗り“リンドウ”という男をワシと共に見張ってほしい」
「りょーかい」
素っ気なく返事をした。カドモスの一部であるエキーオーンは当然本体の意向に逆らうことはできない。しかし。
突然、思いついたように口を開く。
「……なぁ、俺はアンタか?」
「主は主じゃよ。他の誰でもない。そのような質問をする時点で自我を持っておるのは明白じゃろ」
「……そうだな」
なぜこんな質問をしたのか自分でも分からなかった。カドモスであろうが、エキーオーンであろうが変わりはしないのに。
それから、茶髪で鳶色の瞳をした若い男“エスカー”の顔に変わり、リンドウの元へ向かった。
「よっ、リンドウ! よろしくな!」
「いきなりどうした? ボケたのか?」
「あはは、そうかもな?」
「やっぱりな」
「てめぇー」
リンドウという男には、不思議な魅力があった。
彼と過ごす内に自分を見つけられるかも知れない。エキーオーンは、なぜだがそう感じていた。
「なぁ、リンドウ。地獄ってのは、天国の形をしているもんなんだぜ?」
「またそれか」
エキーオーンもカドモスと同じく記憶が唐突に消える。そのため、何度も同じ話をすることで骨に記憶を刻んでいるのだ。
それから平和な時間が続いていたある日、再びカドモスに集められた骨兵達。
「ふむ、よくぞ集まってくれた同志達よ。集まってもらったのは他でもない。今年、世界樹が咲く。しかし、“血”の準備が整っておらん。そこで賭けに出ることにした。——リンドウを“竜”に変える」
「な!? 人間のままじゃダメなのか!?」
「無理じゃ。奴の血を密かに採取したが竜の鱗一枚溶かせなんだ。だが竜にして竜血と混ぜることで強制的に血の効果を上げることができるはずじゃ」
血と血を争わせることで強制的に抗体を作り出す。それは二種以上の竜血が混ざる混合竜の作り方にも似ていた。
カドモスは事前に実験をしていた。神の印を持つ他のもので試したのだ。だが、効果は薄く、成功確率もかなり低かった。
「失敗したら全てを失うぞ」
「分かっておる。そうなったら“竜門”、“屍竜”、“王竜”、“神竜”の対処が難しくなるが、ワシの力があればどうにでもなろう。それに他にも候補が居る。たとえばダリアの妹の“ジャンヌ”とかな」
彼女にも左肩に神の印がある。リンドウに比べれば薄く、小さいが。
「残酷なことを考えやがるな」
「許せ。全ては“生命の統一”のためじゃ」
そして、リンドウを竜に変える運命の日を迎える。
エスカーはリンドウと共に狩りに出かけ、バラけたところを見計らいカドモスと合流した。
カドモスが血の入った小瓶を取り出す。
「リンドウに入れる血液は、この“帝王竜の血”を使う」
現存する王竜で、もっとも神竜の血に近く、拒絶反応が他と比べて抑えられるからだ。
小瓶をエスカーに渡そうとするが、手を出して拒絶する。
「……なぁ、カドモス。俺の首を刎ねてくれないか」
「ふむ、なぜじゃ?」
「リンドウやダリアちゃんを竜に変える役割を担いたくない」
「……共犯者だということに変わりはせんぞ」
「分かってる。良い奴でいようなんて思ってないさ。ただ、俺自身が二人を殺してしまったら自分の中の何かが壊れてしまいそうで嫌なんだ」
エスカーが悲しそうな顔を浮かべる。
「気に食わないなら今すぐコアを破壊してくれ。俺はアンタの一部だ。アンタにはその権利がある」
暫し考えるカドモス。
「……ふむ、前にも言ったであろう? 主は主じゃよ。他の誰でもない。ワシはお主の意志を尊重する。竜に変える役割は凶竜達に任せるとしよう」
「そっか。爺さん、ありがとな」
「困った時はお互い様じゃよ。……ふむ、では覚悟は良いか?」
「ああ、スパッといってくれ」
覚悟を決めたエスカーは、目を瞑る。
——悪いなリンドウ。全て終わったら謝るからさ。
——きっと、お前は許してくれないだろうけど、これが世界のためなんだ。
——世界が統一されたら、そしたらまたお前と“友”になれるといいな。
薄っすらと笑みを浮かべる。
そして、カドモスの爪が、エスカーの首にゆっくりと振るわれた。