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第118話 ドレイク物語6・二輪の花

 ドレイク二十二歳の秋。軍に入って二年が経った。


 (やまい)が進行して、右側が見えにくくなったため左利きに変更した。さらに右足も踏み込みが効かなくなってきていた。さすがに生活に支障が出て来たので、治療できないかと軍医を訪ねることにした。


「これは酷いな。ほとんど右目が見えていまい」


「ああ」


「もっと早く来れば少しは変わったものを」


「他人は信用しないタチでな」


 軍医は、ため息を漏らす。


「今の医療技術だと完治は無理だ。だが、進行を遅らせることならできるだろう。これからは定期的に来なさい」


「すまないな。それと、このことは黙っておいてくれ」


「私は医者だぞ。口は固い。誰にも言わんさ」


 それから数日後。いつものように暴漢(ぼうかん)と出会う。嫉妬(しっと)や恨みから日夜狙われる彼だが、最近は腕試しとして挑んでくる(やから)も多くて困っている。


「けけけ、お前がドレイクだな? お命頂戴するぜぇ!」


「人違いだ。他を当たってくれ」


「うるせぇ! 死にやがれ!」


 本当に人違いだったらどうする気だ、と思いながら大振りの攻撃を(かわ)す。すばしっこいその男は、ドレイクの右側ばかりを攻めてくる。


(……こいつ)


 病を明らかに知っている。


「俺の右目のこと誰から聞いた」


「死ぬ奴に語る言葉はねぇんだよ!」


 医者にしか話していないことがもう漏れていた。ため息を吐きながら、男の鳩尾(みぞおち)を蹴り上げて昏倒(こんとう)させる。


(飼い犬には向いてなかったか)


 医者とはいえ他人を信用し、弱みを話すべきではなかった。従順な犬を演じていたせいか、知らず知らずの内に心を許してしまっていたのだ。


 数日後。少し背の伸びたジャンヌが軍の宿舎(しゅくしゃ)を訪ねてきた。


「見たか? 私の剣闘士初試合!」


「いや」


「フッフッフ、オマエの持つ最年少勝利記録を塗り替えてやったぞ! おまけに女でだ! あたしはオマエの上に立ったということだ! あはははは!」


 得意げに高笑いするジャンヌの服がずれて、左肩の十字傷が見える。ドレイクの背中の十字傷よりはだいぶ小さい。それを見なかったことにして話を続ける。


「元気そうでなによりだ」


「勝負だ! 今日こそお前を倒してあたしが最強になる!」


 (なか)ば無理矢理に軍の練兵場を借りて試合をすることになった。


 ドレイクが木剣(ぼっけん)を左手に構える。


「あれ、オマエ左利きだったか?」


「気まぐれだ。気にするな」


「……そうか。負けても文句言うなよ!」


「ああ、さっさと来い」


 ジャンヌは相変わらず二本の木剣使いだ。甘かった踏み込みも、今では躊躇(ちゅうちょ)がない。速度も上がっている。ドレイクはそれを目で追う。


「…………!」


 ジャンヌの表情が一瞬(ゆが)む。が、すぐに戻り、斬撃を繰り出した。


 それをドレイクは軽く受け、少し力を込めて振り抜く。


「あっ!」


 二本の木剣を吹き飛ばし、切っ先を彼女の喉に向ける。


「……剣に迷いがあった。お前、同情したな?」


「し、してない」


 ジャンヌは、ドレイクが気まぐれで左利きに変えるなんてことはしないと知っている。そして、刃を交えてみて、右足と右目が悪いことを瞬時に見抜いたのだった。


「命を賭けた場面でお前は敵に情けをかけるのか?」


「う、うるさい!」


「一度殺すと決めたら相手のどんな言葉や行動にも惑わされるな。お前が損をするだけだぞ」


「うるさいうるさい! 今日はもう終わりだ! 次は絶対に勝つからな!」


 そう言って暗い顔をしながらそそくさと退散していった。


 ——これがジャンヌとの最後の試合になった。



 軍本部。ドレイクは退役(たいえき)するので荷物を取りに来ていた。


「う、嘘だぁ! 何で辞めちゃうんすか!」


 ドレイクの部下が半泣きで言った。


「犬小屋に飽きた」


「えぇ! じゃあ狼小屋に改装するよう頼みますから辞めないでくださいよぉ!」


「悪いな。後は任せるぞ。お前なら上手くまとめられる」


「うぅ」


 部下は、寂しげにドレイクの背中を見送った。


 外に出ると、なぜか面倒くさい女カトリーヌがいた。


「やぁやぁ。ドレイクくん」


「……はぁ、何でいるんだ」


「キミのことは何でもお見通しだよ。今日軍を辞めたこともね」


「さすが変態だな」


「いやぁ、照れるねぇ。それより右目と右足、大丈夫?」


 立ち止まるドレイク。


「なぜ知っている」


「言ったでしょ。キミのことは何でも知ってる。ずっと見てたから分かるよ。キミのファン第一号なんだから」


「……付き合ってられないな」


 そう言って、そそくさと歩いていく。


 無言のまま、しばらく歩いて貧民街にたどり着いた。最後に花畑を見ておきたかったのだ。


「いやぁ、いつ見ても綺麗だねぇ」


 結局、付いて来たカトリーヌ。


「いつまで居るんだお邪魔虫」


「うーん、邪魔じゃなくなるまで?」


 ため息を吐き、花畑に視線を戻す。


「これからどこに行くの?」


「辺境の村で畑でも(たがや)すかな」


「ふぅん、じゃ私も付いていく」


「……いつまでもクソガキだな。貴族という身分を捨ててまで付いてくる価値はない」


 一拍(いっぱく)、間が空く。


「んーでもさ、——キミの居ない人生の方がつまらないよ」


 一瞬、目を見開くドレイク。


「……なんでお前は、そんな言葉を恥ずかしげもなく言えるんだ」


「だって言葉に出さないと人の心は動かせないもの。思ってるだけじゃ、誰にも伝わらないよ」


「俺にそんな価値はない」


「ね、伝わってない。人は価値で決めるものではないよ。私はキミと一緒に居たいの」


「それは告白か?」


「それでもいいよ」


 いつもとは違うカトリーヌの真剣な眼差し。


「私はキミが好き。強いキミが好き。本当は優しいキミが好き。だけど弱いキミが好き」


「……バカだろ」


 彼女の言葉すべてがドレイクを惑わせる。


「だが、ドレイクという名がある限り、俺はどこまでも追われる身だ。きっと不幸になるぞ」


「じゃあ名前、変えてみよっか?」


 彼女が優しく微笑みながら花畑に咲く秋の花を見る。


「私は『ダリア』。キミは『リンドウ』」


「……花の名か」


「ダリアは、華麗で目立つから私にぴったりだね、うんうん。リンドウは、花言葉に『勝利』って言うのがあってね。病に打ち勝ちますようにって願いを込めて何だけど、どうかな?」


「俺には似合わないな」


「そんなことないよ。名は(たい)を表すんだよ。きっとリンドウの花のように(たくま)しくて優しい人になれるよ」


「……そんなものか」


 彼女の言葉を、なぜだかすんなりと受け入れられた。


「それにリンドウとドレイクを合わせるとリンドウドレイク、からのリンドドレイク! このリンドドレイクは爬王(はおう)物語の主人公のリザードマンの名前だという説があるのです! 完璧じゃない?」


「フッ、またそれか」


 爬王物語。カトリーヌの好きな物語。飽きるほど聞かされた物語。そして、ドレイクも好きな物語。


「素敵でしょ?」


「……狙って付けたのか?」


「もちろん偶然です」


「さすが名付けの大先生だな」


「バカにしてる?」


「最高の褒め言葉だよ」


 秋風に色とりどりの花が踊る。その中のどれよりも映える彼女は、酷く美しかった。


「ずっと一緒に咲いていられるといいね」


 花のように笑う彼女がとても(まぶ)しい。


(ああ、そうか)


 ようやく生きる理由を見つけた。


 本当は一人で死ぬつもりだった。戦いしか知らない自分が戦えなくなったら価値などないと思っていたからだ。


 いつも何かに追われているような焦燥(しょうそう)感があった。それは、夢も希望も、生きる目的も何一つない自分への焦りだったのだろう。死ねないから生きている。ただそれだけの空虚(くうきょ)な人生だった。


 だが、今この瞬間、ダリアに心を与えられ、ようやく人間になれた気がした。何もなかった灰色の世界にようやく(いろど)りが()えられた。


 竜胆(リンドウ)の花の名に相応(ふさわ)しい強く優しい人間になろう。そしてダリアを守れる男になろう。それが彼の夢であり、生きる理由だ。


「ねぇ、もしも、もしもだよ。私が先に死んじゃって、キミがひとりぼっちになっても、ずっと側で見守っているから。それで、いつかキミも寿命で亡くなったら天国で咲き誇る私を、ダリアを見つけてね」


「……今、言うことか?」


「今だからだよ。人は簡単に死んじゃうから。だから言葉にして伝えておきたい。いつか会えなくなっても、(こと)の葉が心に残って生きる助けになると思うから」


 そういう無垢(むく)で真っ直ぐなことを平然と言ってのける。だからこそ()かれてしまうのだろう。


「……約束する。必ずダリアを見つけるよ」


 何処(どこ)へいようとも。絶対に。


 リンドウは、悪意も、(しがらみ)もない純粋な笑みを彼女に向けた。



【第0章 追憶編】 —終—

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