7:悪役令嬢
ザイオンがいなくなると、エロイーズと叔母は、額を付き合わせるようにして、熱く語り合い始めた。
「眼福でしたわ!」
「そうでしょう? 今この城内では、一番ホットな話題ですのよ?」
その周囲で、飛び散った葉や枝を片付けている侍女達は、さすが王宮に雇われているだけあって、一切の感情を見せない。
「我が儘な俺様王子と、年上美形の、麗しい主従関係ですね!」
いえ、兄弟なんですが。
と、この場では言えない。
「甲斐甲斐しくお世話をするザイオンの、愛に満ちた表情!」
え。満ちてましたか?
溜め息を吐きながら、遠い目をしていたみたいですけれど、彼。
あれは相当あの猿……いえ、王子様に振り回されて、過重労働気味ですわね。
「少し姿が見えなくなったからって、ここまで追いかけてこられるなんて、相当ご執心でいらっしゃいますわね。一途といいましょうか」
確かに。ブラコンにもほどがある。
というかあれ、スーパーで母親を見失って泣きながら探している子どもと、行動原理が同じじゃないのかしら。
「これは、古くから城内に勤める者に聞いた話ですが」
叔母は声のトーンを落とす。
「マクシミリアン第一王子殿下はずっと、北の離宮で静養されていたそうです。その間、王子の身の回りの世話を一人でしていたのが、引退後墓守となった騎士の遺児、ザイオンなのです。片時も離れた事の無いお二人なのに、突然引き離されて、王子殿下の心痛はいかばかりか」
「まあ。それであのように、お怒りになっていたのですね」
私はようやく、マクシミリアン第一王子がなぜ生きていたのか、納得がいった。
ザイオンの幽閉されていた離宮に入り込んで、死のシナリオから逃れたのね。
王妃の指示で、食事も暖かい部屋も与えられなかったあの猿王子を、ザイオンが面倒をみて、『育てた』ということ……?
それって、『誰にも心を開かない孤高の冷徹王子様』が成立しなくなるのでは?
あんなに手のかかりそうな子どもを『育てた』という事は、孤高じゃいられなくて、孤独なんて感じる暇ないよね?
ヒロインとの恋愛はどうなるの?
孤独だからこそ、冷たく当たっても意に介する事無く寄り添ってくれるヒロインを、好きになるのに!
ヒロインの助けで召喚魔法を最大レベルに上げて、『神の贈り物』と呼ばれる最強のドラゴンを召喚しなければ、魔術師を倒せないじゃない!
最後、愛するヒロインを死なせたくなくて、命を費やして時を戻すシーンは、どうなるの!? 最終局面は、一発勝負では、勝ちようがないでしょ!
(もう、何もかも……あの猿王子のせいで、めちゃくちゃだわ)
私の中の人が、髪をかきむしって喚きまくった挙げ句、テーブルに突っ伏して真っ白になっている姿が見える。
私は、五個目の焼き菓子を手に、青い空を仰いでいた。
穏やかな、夏の気候である。
近くの木の梢から、鳥のさえずりが聞こえた。
午後の遅い日が、周囲の木々に落ちている。まだ夕暮れではないが、陽光にやや赤みを感じる。
ゲームの世界ではあっても、植物が生え、花の周りを蜂が飛び、多種多様の動物達が生きていて、人間が生活を営んでいる。惑星があり、太陽の周囲を巡りながら自転し、ちゃんと、一つの宇宙として成立しているのだ。
それなのにこの世界は、もうじき終わってしまうのか。
ゲームスタートの時期は、ザイオンの年齢から考えて、数年後だろう。
それまでに、やりたいことを全部やって、死ぬ準備をしてからその時を待つ、という生き方もありかも知れない。
(まだ諦めるには早い。何一つ、始めてもいないのに……)
私は首をふる。
諦めるも何も、過去は今更変えようがない。
マクシミリアン第一王子を排除すれば、ザイオンが立太子するところまではたどり着けるかも知れないけれど、『ザイオン』がここまでキャラ崩壊してしまった今、先行きは不透明だ。
それとも、ザイオンが『誰にも心を開かない孤高の冷徹王子様』に回帰する可能性は、まだ残されているのだろうか?
喉が渇いたので、紅茶を一口含む。
違和感に気づいて、カップの中を見ると、さっき葉っぱと一緒に落ちてきたに違いない、節の多い緑色の生物が一匹浮いている。
そっとハンカチをポーチから取り出し、飲み込まずに吐いた。
(やっぱり許せない、あの猿! 先行き不透明でも、計画は続行よ!)
私が、お茶の入れ直しを頼んでいる横で、叔母とエロイーズはまだ飽きずに、同じ話題を続けている。
「殿下はまだ十三歳でいらっしゃいますものね。国王陛下に良く似ておいでだから、今後が楽しみです」
「ザイオンお兄様も、その頃には立派な殿方におなりでしょうね。二人が並ぶと、きっと絵画のように美しいことでしょう」
なんだか変だ変だとは思っていましたが、もしかして貴方達は、腐っているんでしょうか? この世界にも、そのような趣味の方々が……?
腐女子……王侯貴族だから、貴腐人?
「殿下が十三歳、ザイオンお兄様が十七歳ですから、貴族学園に入学する頃には、十六歳と二十歳ですね」
「ザイオンは、十七歳ですか。もう少し年下かと思いました」
「線が細くて、男らしいタイプではありませんものね」
エロイーズがうっとりと言う。
「女性だと言われても信じてしまうくらいです」
「数年も経てば、殿下にもご結婚のお話があるかもしれません」
「まあ……っ、悩ましいですわ」
「王侯貴族には、政略結婚は必須ですものね。真実の愛は、他の形で見つかるでしょう……」
「真実の愛……」
叔母様、十一歳の姪を相手に、何を言っているのでしょうか。
だからあれは、兄弟なんだってば。
というか、実質的には『親子』ね。
貴腐人方が期待するような展開には、ならないわ。
私の計画通りいけば、マクシミリアン第一王子はもうじきいなくなる訳だし。
(子どものように育てた弟を失ったら、『ザイオン』はどうなるのだろう?)
ふいに私は自分の計画の、信じがたいほどの冷酷さに気づいた。
(きっと、とても悲しむでしょうね……)
嘆息しつつ、マクシミリアン第一王子の髪についたゴミを取り除いてやっていたザイオンの姿を思い出す。見方によっては、エロイーズの言う通り、『愛に満ちた』行為だと言えなくもない。母性愛寄りの……。
(悲しみのあまり、元々なるはずだった、『誰にも心を開かない孤高の冷徹王子様』に、回帰するのでは……?)
私によるマクシミリアン第一王子の排除がゲームシステムの自浄作用だとすれば、それもまた自浄作用の一つとして、あり得る。
そんな考え方をする私は、自分でも嫌気がさすほど、主人公ザイオンにとっては『悪役』だ。
前世の日本では、私が死ぬ直前、異世界転生と悪役令嬢の物語が大流行していた。
その大半は、ヒロインやヒーローの邪魔をする『悪役令嬢』に転生した中の人が、自分の行動を是正して真っ当に生き、断罪されて追放される人生から逃れ、自分の幸せを掴もうと葛藤する物語だ。
私は今、彼らとは逆の行動をしている。
悪役令嬢に転生した訳ではなく、ただのモブ令嬢なのに。
策を弄し、主人公の弟を殺そうと企み、主人公を悲しませ、つらい目に遭わせる道を選んだ。まさに本物の『悪役令嬢』だ。
自覚したところで、ザイオンを元の性格に戻し、世界を救う可能性が少しでもあるのなら、やめるつもりはない。
私は新しいお茶を受け取って、焼き菓子をもう一つ手に取る。
王宮のフィナンシェは絶品だった。
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