6:ヘイト
この状況は、私が狙った以上のものだ。
先日と同じように、私とザイオンのやりとりを、こっそり窺うぐらいの事はするだろうと期待していたが、まさかまた裸のままで、みんながいるところに突撃してくるとは。
事態をどうやっておさめたら良いのか、誰もが悩んだ数秒間が過ぎた頃。
最年少のいたいけな少女である私、アメリア・カラドカスは、敢えて空気を読まずに、立ち上がって無邪気な声を上げた。
「この方がマクシミリアン第一王子殿下ですのね、お兄様」
お兄様、という言葉を聞いて、ますます少年は怒りの度合いを増した様子を見せる。
(そういう事ね)
私は、罵倒されて、卵を投げつけられた理由を確信する。
実の弟である彼自身は、兄と呼ぶ事を禁じられているのに、見知らぬ少女がお兄様と呼んでいる。
彼は、私に激しく嫉妬しているのだ。
「ザイオンお兄様? ご紹介していただけますでしょうか」
私がお兄様と口にするたび、王子がこちらを睨んで、両手を強く握る。
ザイオンは、ようやく現実と向き合う準備ができたようで、立ち上がった。
「そうだね。アメリア、エロイーズ。今こちらにいらっしゃるのが、マクシミリアン第一王子殿下だ」
上着を脱ぎながら、ザイオンは王子に近づく。
「マクシミリアン第一王子殿下、アドレイド側妃はご存じですね? こちらにいる二人は、私の妹のアメリア・カラドカスと、エロイーズ・カラドカスです」
ザイオンは、自分の上着を王子の身体にかけた。
まだ子どもっぽい王子の身体には、上着は大き過ぎてだらりと下がる。
「今は鍛錬の時間でしょう、殿下。抜け出してきたんですか?」
「僕は、たんれんしない! いないから、たんれんしない!」
マクシミリアン王子は、二度三度と、地面を素足で踏みつける。
兄上がいないから、と言いたくて言えないのが悔しいらしい。
その行動は、まるで小さな子どものようだった。
「服はどうしたんです?」
「あついから、きない!」
「……それじゃお猿さんと同じだな」
ザイオンは、苛ついた不遜な口調になる。
アッシュブロンドの髪についた葉や細かい枝を、ザイオンが取り除く間、マクシミリアン王子は大人しくされるがままだった。
その様子を、エロイーズがキラキラした目で追っている。
給仕をしていた侍女が気を利かせて、人を呼びに行かせた後、拾い集めてきたらしい服と靴を持って、側近が一人駆けつけてきた。彼は、王子がザイオンと一緒だと知って、ホッとした様子を見せた。おそらく、いなくなった王子を探し回っていたのだろう。
側近とザイオンの二人がかりで服を着せ、ようやくマクシミリアン第一王子が人間らしくなったところで、叔母が近寄って、ニコニコと話しかける。
「今日は、私が無理を言って、ザイオンに来てもらったのです。ザイオンは、私の義理の甥に当たるのですよ」
王子は、むすっとした顔で答えた。
「僕は、ザイオンがいないので、とても困りました」
彼はその気になれば、ちゃんと喋れるようだった。
「私の配慮が足りませんでしたわ。次は、お二人揃ってご招待いたしますので、是非来てくださいね」
叔母の言葉に、王子は黙って頷いた。
「そういえば、マクシミリアン第一王子殿下」
ザイオンが、私の隣に立って、言った。
「アメリア・カラドカス嬢に会ったら、伝えたい事があると先日おっしゃっていませんでしたか」
マクシミリアン王子の表情が、ひどく歪んだ。
そして、それはそれは嫌そうな足取りで私の前に来ると、一礼した。
「アメリアじょう。せんじつは、たいへんしつれいなふるまいをしてしまいました。おわびもうしあげます」
と言って、睨み付けてくる。
それ、謝っているうちに入りませんよね。
絶対、言わされてますよね。
最後にはそっぽを向いて、小さく溜め息まで吐いて、なんて憎らしい。
「マクシミリアン第一王子殿下。ザイオンの妹で、アメリア・カラドカスでございます。ご丁寧に、ありがとうございます。お詫びのお言葉、謹んでお受けいたします。私はもう、気にしておりませんので、殿下もどうかお忘れください」
にっこりと笑って、許して差し上げる私。
お猿の王子とは、格が違うのだよ、格が。
「お兄様も、お気遣いいただき、ありがとうございます」
ごく自然に、私はそうザイオンに話しかける。
視界の端で、マクシミリアン第一王子が、また地団駄を踏みそうな顔をしている。お兄様呼びが効いてる。
「殿下。私のもう一人の妹、エロイーズです」
ザイオンが、エロイーズを王子の目の前に連れてきた。
完璧なカーテンシーをしてみせたエロイーズに、王子が機械的な一礼をする。
「モスタ・オウコク・ダイイチ・オウジ、マクシミリアン・デス」
何度も練習した努力は見られるが、発音が酷すぎる。自分の名前もスムーズに言えないのかこの王子。
その後は、ザイオンが座を辞して、王子を連れて行く事になった。
「それではまた、お家でお話しましょう、お兄様」
そう言った私へ、ザイオンがちらっと視線を投げたのは、その台詞に作為的なものを感じたからだろう。王子を煽っている事がばれたかも知れないが、元々良好な関係でない上に、あの謝罪ですからね。この程度は許容範囲のはず。
マクシミリアン王子は、とても良い目で私を見ていた。
あれほど殺気に満ちた視線は、前世でも今世でも浴びたことがない。
思う存分ヘイトを稼いで、私は気分が良かった。
ザイオンともう一人の側近が、マクシミリアン第一王子を連れて去っていく様子を、私は笑顔で見送った。
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