5:考える人
この世界のためには、マクシミリアン第一王子はいない方がいい。
本来ならとっくに死んでいる相手だし、初対面から罵られ、鳥の胎児をぶつけられたこともあって、私は躊躇しない事に決めた。
(このゲームの、全ての章でSSSを取ったガチ勢の私だもの。きっと、この世界を救えるはず)
それが、私がこの世界に転生してきた理由のような気がした。
コントローラーを扱ってキャラクターを動かすのと、リアルに人として自分が動くのとでは、かかる時間と、費やすエネルギーが全く違う。失敗は許されない。できる限りの準備をしておかなくては。
主人公ザイオンは、朝から家庭教師の個人指導を受け、午後は王城へ行って、側近候補としての教育を受ける毎日を送っていた。その教育内容には、武術や剣術も入っているらしく、時々怪我をして帰ってくる。
夜には、彼はカラドカス家の一員として、晩餐を共にした。
男同士の気軽さからか、兄ドミリオとの会話が多い。王城でも、お父様の補佐をしている兄とよく顔を合わせるらしく、共通の知り合いらしい名前が出ることもある。
お母様は最近、いつも心配そうな顔をしている。
お茶会に参加しては、良くない噂を聞いてくるようだ。王位継承権の派閥争いに巻き込まれたら、王妃の取り巻きからの牽制も激しくなって、お茶会も修羅場と化しそう。
その様子を見て、一番上の姉は、庶子の存在がお母様を苦しめているのだと誤解しているようだった。思い込みの激しいタイプで、違うよ、と言うとますます自分の考えに拘ってしまうから、しばらくは放置だ。
女性が政治に口を出したり、男性同士の話に割り込む事は、この国ではあまり歓迎されない。
話しかけられない限り、私達三姉妹はお行儀良く、黙って食事をする。
マクシミリアン第一王子については、兄も姉達もあの日の事を知らないので、会話に出ることはなかった。
そんな日々がまったりと過ぎていく間に、私は少しずつ、準備をする。
(鉈に、ハサミに、ナイフ……)
刃物は、持ち主が特定される目印になりそうなものは取り除いて、綺麗に研いでおく。使い古した皮革の鞄を一つ潰して、それぞれの鞘を作った。鞘にはひもを通せる穴を開け、服の下に隠せるように細工する。残った皮革は、小さなポーチにした。
前世では、趣味でオタグッズ──いえ、小物を手作りした事もあるので、こうした作業には慣れている。
(唐辛子、石灰、ロープ)
唐辛子は、海外からの輸入品で、台所から少量いただく。すり潰して、赤い小袋に入れた。あまり小さくは潰せなかったけれど、目潰しぐらいになるはず。唐辛子としての効能以外にも、潰しきれなかった破片が物理的に目に刺さりそう。
石灰は、壁の補修材料をこっそりとかすめ取った。強いアルカリ性で、目に入ると失明することもあるから、なるべく使いたくない。前世で中学生の頃に、男子が、古い体育館倉庫から白い粉を出してきて遊んでいたら、目に入って大騒ぎになった記憶がある。わかりやすいように、白い小袋に入れて紐で結ぶ。
ロープは、捕まえて縛る必要があるかもしれないので、一応準備した。
これは全て、念のために用意しただけで、本当に使うつもりはなかった。計画がうまくいけば、私は手を汚す必要がないからだ。
ただ、隠密活動には、変装が必須だった。
下町娘風の古着を何着か、お母様を通じて、バザーで入手する。
お裁縫の練習をする布が欲しい、という嘘があっさり通った。
準備がほぼ終わる頃には、バラの季節は過ぎ、夏が来ようとしていた。
ザイオンは、教育課程を大急ぎで終えた後、マクシミリアン第一王子の側近としての実務をこなし始めた。
つまり、本格的に、あの裸ん坊王子のお世話係になったという事だ。
あの時王宮の庭園で、王子が私を罵った理由は、はっきりとはわからなかったが、ザイオンと私が一緒にいたことと関係がありそうだと推測できた。
(同じように、ザイオンと私が一緒のところを城内でもう一度あの王子に見せれば、誘い出す事ができるはず)
その絶好の機会が、側妃となった叔母とのお茶会だった。
二番目の姉、エロイーズと叔母は仲が良くて、本の貸し借りを口実にこれまでもよくお茶会を開いていた。王宮に入ってからも、きっと同じように交流するはずだと思って、私も呼んでもらえるように、エロイーズに頼んでおいたのだ。
一番上の姉は、本に興味はないからと、誘われても断っていた。
意外なのは、ザイオンだ。
叔母に、是非にと請われて、出席するという。
何もしていないのに、思惑通りに事が運ぶので、これはきっとゲームシステムがあの王子を排除しようとしている自浄作用の一つに違いないと、私は思った。
お茶会は、王城の庭園で行われた。
例の、私が卵をぶつけられた東屋である。
庭師が頑張っているとはいえ、初夏の緑は、元気よく繁茂していた。
虫除けの香が焚かれ、侍女達が傅いて、食べ物を取り分けたり、お茶を注いだり、団扇で扇いだりしてくれる。吹き抜ける風も心地良い。庭園の花々の良い香りも風が運んできて、とても雰囲気のあるお茶会だった。
「皆さん、この間は、私の披露宴に来てくれてありがとう」
叔母はにこやかに挨拶した。側妃に相応しい上等なドレスを着ていたが、宝飾品はほとんど付けていない。引き籠もっている頃から、肩が凝るなどと言って、アクセサリーを嫌う人だった。
参加者はエロイーズと私、それにザイオンの三人だ。
私とエロイーズは、サイズは子供用だけれど装飾の少ない、大人っぽいデザインのドレスを着ていた。ザイオンは、軍服に似た、側近用の制服姿だ。
「楽しい披露宴でした。ガーディアンパーティも素晴らしかったです」
エロイーズは、十一歳の子どもらしく、素直にそう言う。大人のように、その後、国王との間がどうなのか、などとは尋ねない。
「アメリアは、あの日ちょっとした事があったと聞いて、気になっていたのよ」
叔母のその言い回しでは、本当の事を知っているのかどうか、よくわからなかった。
「鳥の糞事件ですね」
ザイオンが、しらっと言った。
「あの時は、アメリアが十歳の子どもらしく泣いていて、安心しました」
「どういう意味かしら」
苛つくと同時に、私は、転生者だと見抜かれたような気がして、ドキッとした。
「わかりますわ。この子、時々大人みたいな事を言うのよね」
と、エロイーズ。
「子どもらしさをどこかに置き忘れてきたんじゃないかと、心配になります」
「まあ」
叔母が、可笑しそうに言った。
「あなただってそうじゃない、エロイーズ」
「私は、本をたくさん読んでいますから。精神年齢は、成人に負けません」
そう言うエロイーズの、少し得意そうなところが、まだまだ子どもだわ、と私は思う。
「私のための披露宴で、そんな不幸な目に遭って、申し訳なかったわ」
叔母は微笑んだ。
「今日は、あの日の分もたくさん食べてね」
「はい。ありがとうございます」
私は子どもらしい笑顔を浮かべる。
「お仕事を途中で切り上げさせて、ごめんなさいね、ザイオン」
叔母は、ザイオンに微笑みかけた。
「マクシミリアン王子殿下は、快く送り出してくださいましたか?」
「ええ。他にも世話係はいますから、何とかなるでしょう」
と言ったザイオンが、少し疲れて見える。
「こちらに呼んでいただいたおかげで、少し息抜きができます」
「先日ちらっと殿下をお見かけしましたが」
私は引き続き、子どもらしい笑顔を浮かべていた。
「ちょっと変わった方でしたわね?」
「そうだね」
ザイオンは素っ気なく言った。
あまり訊かれたくはないんだな、と思う。
「殿下とザイオンは、とても仲が良いと聞きました」
叔母は、慈愛に満ちた笑みを浮かべた。
「誰の言葉にも耳をお貸しにならない殿下が、ザイオンの言う事ならお聞きになるとか。側近達みんなが、貴方を頼りにしているそうですね?」
「俺も驚いているんです」
ザイオンが溜め息を吐く。
「殿下は、とても聞き分けの良い、素直な性格だとずっと思っていたんです。十三歳というのは、いろいろと、難しい年頃なんでしょうか」
こんな、子育て中の母親のような台詞を、主人公ザイオンに言わせるとは。
ますます許しがたい、あの裸ん坊王子。
「昔、先生をしていた方から聞いた事がありますわ。こんなにいい子が、十三歳になった後、どうしてこうなったって思うほど変わる事があるって」
私は、前世に中学の入学式で先生が言っていた話から、引用する。超真面目で優秀な生徒だった私は、長くて退屈な挨拶もちゃんと聞いていて、得るところがあれば心に留めておいたものだ。
「君は、本当に十歳なのか」
ザイオンが苦笑しながら言う。
「昔って、いつの話だ」
「そんなの、覚えていませんわ。小さ過ぎて」
と、誤魔化す。
「まだまだ慣れない事が多くて、大変でしょう? 城内で困った事があれば、私に相談してくださいね。義理の叔母になったのですから。国王陛下も、私を通じて、義理の叔父と言っても良い関係になったわけですから、きっとご尽力くださるわ」
屈託無く笑う叔母アドレイドは、ザイオンが国王の息子であり、不仲である事を知らないようだった。
その後、当たり障りのない談笑がしばらく続いた。
最近カプリシオハンターズ共和国から輸入された小説や、絵がメインになった物語本について、叔母とエロイーズの二人が情報交換を始めると、私とザイオンは、彼女達の圧倒的な会話の量について行けなくなった。
「ザイオンお兄様」
焼き菓子を囓りながら、私はそっとザイオンの方に距離を詰めた。
「先日の件ですけれど」
「先日?」
ザイオンは、シニカルな笑みを浮かべる。
「何の話だ」
「私、そういう面倒臭い腹の探り合いは嫌いなんです。遠い国へ行くお話をされていましたが、それって今話題になっている共和国で合っていますか?」
私にとって、というか、世界にとって大事な話なのに、回りくどい会話に時間を取られたくなかった。前世の、要点だけを簡潔にやり取りする、社内連絡ツールに慣れ過ぎた弊害かも知れない。
ザイオンも距離を詰めてきて、私にだけ聞こえる声で言った。
「お前には関係ないだろう」
うわ。ついにお前呼ばわり。
これが、素のザイオンね。
「それが、関係ない事もないのですよ、お兄様──」
と、続けた時、目の前に肌色のものが落ちてきた。
一緒に、緑色の葉っぱもたくさん落ちてきたので、ソレが近くの木を猿のように伝い、東屋を囲む低木と蔦に飛びかかって、無理矢理に間を抜けてやってきたのだとわかった。
銀色の髪の少年が怒りに燃え、ズボンだけの姿で降り立ち、唸っていた。
素肌を晒した上半身に、枝葉や棘で付いたと思われる筋状の傷が幾つもある。
(またかこの──猿王子!)
エロイーズと、叔母が、何事かと驚いて王子を見た。
私の隣でザイオンが、考える人のような格好で、視線を逸らして現実逃避していた。
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