番外編:策謀の末に
※8年後
※この番外編では、アメリア視点三人称となります。
その馬車は表向き粗末に見えるように作られていて、窓も小さく、カンテラを掛ける金具は前方に一つあるだけだった。だが、最新式のサスペンションで支えられた筺と、上質のクッションが振動をできるだけ抑えており、乗り心地は悪くない。
乗っている二人のうちの一人は、赤みがかったブロンドの髪に碧い目をした美しい女、ブリトニー。この数年はブリトニーと名乗ってきたが、本名ではない。
もう一人は、茶色い髪に理知的なグレーの瞳をした、小ぶりな目鼻立ちの女、アメリアだ。
小さな窓の枠に手をかけ、流れて行く街道沿いの森を眺めていたブリトニーが、何の前置きもなくふと口にする。
「あの方、大丈夫かしら」
それは、無意識のうちに零れ落ちた言葉のように聞こえた。
彼女と向かい合わせの席に座って書類に目を通していたアメリアが、顔を上げる。
貴族学園に通っていた頃、クルクルと愛くるしく表情を変えていたブリトニーは、今は別人のように終始疲れた表情を見せている。
(あの方……)
アメリアがその言葉で思い出したのは、貴族学園での断罪の日以来ずっと行方不明の、黒髪に黒い瞳の同級生の事だったが、すぐに違うと気づいた。
ブリトニーの言うあの方とは、貴族達の支持を失い、廃嫡された第二王子の事だ。
「あの方は、私にはとても優しかったのに。私……」
外の景色を映すブリトニーの瞳が、潤んでいる。
「そんな事を考える必要はないわ、ブリトニー」
アメリアは冷淡に言った。
「第二王子は今、全ての責任は自分ではなく貴女にあると明言し、行方のわからない元婚約者を捜し回っているのよ。彼女を見つけて元通りの婚約関係に戻せば、許されて王太子の座を取り戻せると思っている、浅はかで馬鹿な男。そういう男だから、今回のトラップが嘘のようにうまくいったのだけれど」
「そうよね」
ブリトニーは悲しげに微笑んだ。
「でも、可哀想な人でもあったのよ。王妃様は、彼に完璧な王子を要求し続けていたわ。勉強は全て成績優秀でなくてはならない、剣だって、同年代の誰よりも強くなければならない。いずれ王位を継ぐために、完璧でなくては、って仰っていて、自分はそれに応えられないって、悩んでいた。だから私が、貴女は充分頑張っているわって一言慰めただけで、簡単に落ちたの」
「ブリトニー……」
アメリアはほんの少し、心配になる。男爵令嬢ブリトニーを名乗っていた彼女は今、王族を誑かし、公爵令嬢を冤罪に陥れた張本人として、手配されていた。廃嫡された王子に同情して名乗り出たりしたら、ブリトニーは間違いなく重罪に問われるし、裏で手を引いていたアメリアに累が及ぶ可能性はある。
「わかってる。まだ『ブリトニー』が抜け切っていなかっただけよ。私は男なんて大嫌いだもの」
ブリトニーは振り返って、アメリアに微笑みかける。
「何年もの間、私達に援助を続けてくれて、本当に感謝しているわ、アメリア。アレクサンドラ公爵令嬢の悪事を証言した『男爵令嬢のお友達』はみな、充分な教育を得て、元の身分と名前に戻った後も立派な職に就く事ができた。彼女達は、貴女じゃなくて私が主導したのだと思っている。……今ここで、私を森に深く埋めてしまえば、秘密が漏れる可能性はなくなるわ」
ブリトニーが、自分を殺せと言っているのだと気づいて、アメリアは内心動揺した。
彼女の言う通りだ。
彼女の口から、全てアメリアがお膳立てしたのだと露見して、再び政変が起こる可能性がある事を考えれば、完璧を期すためには今彼女を殺した方が良い。
「……私が、貴女を平気で殺すような人間に見えるの?」
「見えるわ」
と、ブリトニーは言った。
「貴女、人を殺した事があるでしょう?」
その確信に満ちたような決め付け口調は、はったりに違いないが、アメリアは、自分の手の下で藻掻き苦しみ、消えていった命の事を思い出す。
「殺していいのよ」
ブリトニーが笑みを浮かべたまま言った。
「私は、ずっと死にたかった。孤児院に入る前はね、いろいろあって。男を引き寄せるこの容姿が大嫌いだった。救ってくれた孤児院の先生やみんなに恩返しができて、しかも憎い男達を手玉に取る貴女の策略は、とても楽しかったわ。みんなに大事にされる穢れ無き可愛い娘という役どころも、夢の中に居るようでとても幸せだった。終わってしまって、寂しいくらい」
「終わっていないわ」
と、アメリアは言った。
「その役、続けてくれるかしら? 新しく用意した身分は平民だけれど、実は、意に添わない婚約から逃げてきた貴族の箱入り娘だっていう設定なの。貴女が捕まって、私との繋がりを炙り出されないためには、一生続ける必要があるかもしれない。できる?」
アメリアを見返す、ブリトニーの碧く美しい目が、見開かれる。第二王子とその側近達を虜にした、庇護欲をそそる目だ。
「うん……」
泣きそうになるのを堪えながら、彼女は言った。
「できる。少し、性格は変わっちゃうかも知れないけれど。できるわ……」
目的地の街に到着して、ブリトニーを送り出した後、いくつかの主要都市を経由してから、アメリアは王都に帰った。第二王子の元婚約者、ルグウィン公爵家令嬢のアレクサンドラは、真実の愛を見つけた第二王子に婚約破棄され、国外追放を言い渡された後、実家を身一つで追い出されて行方知れずだ。
第二王子を追い落として公爵家を守るためだとはいえ、彼女を酷い目に遭わせてしまった。その日のうちに彼女を保護して匿うつもりでいたのに、アメリアがルグウィン公爵家を訪ねると、アレクサンドラは既に追い出された後だったのだ。
王都を探し、周辺の主要都市を探し、王都周辺の森にも人をやって探したが、どうしても見つからなかった。王都に幾つかある外国の大使館では、全て門前払いされた。人見知りで、第二王子と婚約するまでは公爵家から出た事のないほどの深窓の令嬢だと聞いたし、学校でも教室の片隅にいて一言も喋ろうとしない大人しい娘だったから、大使館に駆け込んだ可能性は薄いとアメリアは判断した。
それまでは感情を殺し、淡々と事を行ってきたアメリアだが、彼女に関しては、自分の策謀で一人の女性を地獄に落としたのだと気に病み続けた。どこかに監禁されているか、あるいは、娼館に売られて踏み躙られる日々を送っているに違いない。あんなに大人しい娘がどれほどの苦しみを味わっているのかと、考えれば考えるほど、アメリアは自分を許せなかった。
第三王子が立太子した後、混乱した政局が落ち着いて来たのは夏の終わり頃だ。
秋には立太子を祝う会が催され、その場で姉のエロイーズが電撃婚約した。兄のドミリオは、お前も結婚を考えたらというが、ルグウィン公爵令嬢が見つからない限りアメリアは、とてもそんな気にはなれなかった。
「お前に相応しい高位貴族の子息でまだ婚約も結婚もしていないのは、お前より四つ年上のルグウィン公爵家令息ぐらいなんだが、彼には様々な噂が付き纏っていてね」
兄のドミリオは、エロイーズと結婚相手のロス辺境伯をロス領に送り出した後にそう言った。
「噂、ですか……?」
ルグウィンという名前にアメリアは興味を引かれる。
「人望の無い公爵が、落ちぶれかけている家を盛り立てるために息子を酷使していたところ、耐えかねたその息子が逃げ出したというんだ」
酷使、という言葉の意味をアメリアは、言葉通り労働の意味に受け取った。それよりも、公爵家令息の行き先が気になった。
「いったい、どちらへ逃げ出したのでしょうか?」
「それがねぇ」
ドミリオの瞳に、気遣わしげな色が浮かんだ。
「カプリシオハンターズ共和国だそうだ。今あの国とは、いろいろ微妙な事になっているんだよね」
アメリアは衝撃を受けた。
貴族令息が、何の意味も関わりもない国へ亡命するとは思えない。
これで、どこを探してもアレクサンドラが見つからない訳がわかった、と思った。
ルグウィン公爵令嬢は第二王子の国外追放という言葉を真に受けて、共和国の大使館に駆け込んだ。一連の事情を聞いて、共和国は亡命を許可した。それを知っている兄も、妹の後を追ったのだ。
なぜアレクサンドラが共和国を選んだのかまではわからなかったが、アメリアは自分の人生を大幅に方向転換した。
「それでは、ルグウィン公爵家ご令息との縁談は無理ですわね。下位貴族で、私と結婚しても良いという方はいらっしゃるかしら? できれば近日中に、カプリシオハンターズ共和国へ行く予定のある官僚の方で、縁組みをお願いします。後妻でも何でも、お請けいたしますから」
「そう来たか」
ドミリオは、悲しそうな表情になる。
「心当たりは無い事もない。お前が次の段階へ進めるように、この兄が手を尽くしてみよう。お前ならどんなに困難な状況も、力業で踏み越えていくだろう」
その言葉が、女性としての人生におけるステップアップを意味しているのではなく、アメリアが今陥っている状況をさして言っているのだと彼女にはわかった。
兄は、アメリアがこれまで何をしてきたか気づいた上で、動いてくれているのだ。
「頼もしいお兄様を持って、私は幸せ者ですわ」
そう言って、アメリアは兄に微笑みかけた。
関連作品
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『ラブロマンスなんてもう読まない!』
『テンプレギャフンイベントが始まったので私悪役令嬢?と思ったけれど違った~ぼっち令嬢の幸せロードマップ~』
『番外編集』
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