16:地雷
王国の気候は、日本よりも涼しい。梅雨が無いので、夏の暑さも日本に比べると過ごしやすかった。
それでも、炎天下でじっと迎えを待つのは厳しい。森の中に待避した方が良さそうだが、私とマクシミリアン王子が来た方向は崖で、登って元の道に戻ることはできそうにない。
川の対岸は更に高い崖になっている。
仕方なく私達は、ザイオンが来た川沿いの道を上ることにした。
道というよりは、川沿いに並ぶ大きな岩を一つずつ辿っていく感じだ。
私は足を上げやすいように、スカートの裾を(綺麗に洗った)ハサミで切って短くした。下に短いズボンのようなズロースをはいていたので、少しぐらい短くなっても気にならない。
余った布で焼き魚九匹をくるんで、ロープで縛る。
これで、用意した小道具は一通り役に立ったな、と思う。想定より随分違う使い方だが。
出発前にザイオンは、持っていた水筒を川の清水で満たしていた。焼き魚の束は、たくさん寝てたくさん食べて元気いっぱいのマクシミリアン王子が、ぶら下げて運ぶ。主に彼の昼ご飯用だから、自分で運んで当たり前ではある。
川を少し遡ると、運良く森へと続く獣道を見つけた。昨夜辿っていた獣道の分岐の一つではないかと思うが、確実ではない。理由は告げずに私がそちらへと向かうと、ザイオンもマクシミリアン王子も、諾々と付いてきた。私の判断を信じてくれているのであれば嬉しいが、二人とも何も考えていないような気がする。
ザイオンは、昨夜から眠っていないせいか、目が死んでいた。
私も眠っていないのは同じだが、さっきから何やらモヤモヤした気分で、それが何なのかを考え続けていた。何かがひっかかるのだけれど、疲れた頭では、スムーズには思い出せない。気になる台詞があって、一瞬心に留めたはずだ。重要な事だった気がする。
森の中はひんやりと涼しくて気持ちが良かったが、マクシミリアン王子が綺麗な虫を見つけては触れようとするのを、たびたびザイオンが制止しなくてはならなかった。
「知らない生き物を触るな! 毒があるかも知れないんだぞ!」
「ヘビだ! ほら、木の枝のところにいるよ?」
「蛇も触るなよ! 毒蛇に咬まれると死ぬぞ」
「お城のかべに住んでるヘビくんは、毒ヘビじゃなくてね、とてもいい子なんだ。卵をあげると、丸のみしちゃうの。すごく大きな口なんだよ」
「……お前、まさか、蛇を飼ってるんじゃないだろうな? この前、卵を持ってうろついていたのは、それでか?」
モヤモヤが、この二人に関する何かである事は間違いない。
マクシミリアン王子の政治亡命について話す前、後で詳しく聞かなくては、と思った言葉があった。
そう。ザイオンは
『母親が向こう出身の俺はともかく』
と言った。
彼は亡命の時、母親がエルフである事を理由にするつもりなのだ。
それはまずい。
ザイオンが、国王の子どもだと公式に名乗れない理由に、私は今頃になって思い当たる。
彼の母親は、黒幕の魔術師に誘拐され、モスタ王国に奴隷として売り飛ばされたエルフだ。
王国と共和国は、貿易はしているものの、政治的に大きな違いがあるため人的交流はほぼない。私はゲームで得た知識から、共和国には獣人族、竜人族、エルフ族が居る事を知っているが、モスタ王国では、人族以外の種族やエルフは、架空の存在だと考えられている。
そのエルフが、奴隷としてモスタ王国の王城に居たという事実は、モスタ王国内でも、共和国側にも、知られると非常にやっかいな事態を引き起こす。だからこそ、ザイオンは北の離宮に長期間幽閉されていた。
しかも、拉致されたのは『二作目のヒロインが生んだ赤ん坊』だ。ザイオンの母親も、ザイオン自身も、共和国側にとっては、エルフの古代王家の血を受け継ぐ重要人物である。
ザイオンに話を聞いた大使館側は、なぜ王国にエルフが居たのかを追求するに違いない。彼らが、さらわれた『二作目のヒロインが生んだ赤ん坊』にたどり着けば、国際問題になるどころの話ではない。
モスタ国国王は、エルフ族の古代王家末裔を○奴隷として扱い、子どもを産ませたという誹りを受けるだろう。
最悪戦争になれば、魔王にも対抗し得る共和国の、科学力と魔法によるコンボ攻撃で、この国は壊滅する。
(ゲームの場合は、立太子した上での入国だったから、こんな問題は発生しなかった。どうしよう……ザイオンに、なんて言えば)
歩いている間に、マクシミリアン王子のぶら下げた焼き魚の束は痩せ細っていく。ザイオンはロープで束を結び直したり、水筒の水を飲ませてやったりしてやっていた。優しい言葉をかけるのは苦手なようだが、ザイオンはなかなかに甲斐甲斐しい。王子様と側近、という主従関係でなら、これが普通かも知れないが。
「そう、命を狙われている王子の、側近としての立場で、亡命すればいいんだわ!」
私は立ち止まって、そう言った。
後ろを歩いていたザイオンとマクシミリアン王子も、足を止める。
「またお前は。今度は何の話だ?」
ザイオンは不機嫌に言った。
私は振り返って、十歳の女の子らしい口調を装う。
「さっきのお話の続きよ。亡命の時、ザイオンのお母様の事を秘密にしておいて欲しいの」
「は?」
ザイオンは私を見下ろす。今更普通の女の子みたいに振る舞っても、俺は騙されないぞ、と言いたげな目だ。
「だって、奴隷にされた仲間が居ると知ったら、エルフ達は怒るに違いないもの。怒って押し寄せてきて、大勢の人が死んじゃうかも」
この言い方なら、私の中の人の存在はわからないはず。私には、その程度の考えしか頭に無かった。
「だから、お母様の事は内緒にして、政治亡命するマクシミリアン王子の側近として亡命すれば……」
「なんで俺が?」
ザイオンは、突然激高した。
「俺の母親を奴隷扱いした国の奴らを? 気遣ってやらなきゃならないんだ? 大勢死のうが、滅ぼされようが、知った事か!」
私は、ザイオンの地雷を踏み抜いた事を知る。
エルフ達は怒るに違いない、と自分で言っておきながら、ザイオンこそが最も怒るべき当事者である事に、考えが及ばなかった。
そんな彼に私は、あまりに身勝手な頼み事をしたのだ。
私は、怒りのあまり顔色をなくしているザイオンを、見つめる事しかできない。
マクシミリアン王子も、驚いてザイオンを見ている。きっと、ここまでザイオンが怒った姿を見るのは、初めてだったのだろう。
「……無神経な事を言って、ごめんなさい」
私は背を向けると、逃げるように歩き出す。
寝不足の頭でものを考えても、ろくな事にならない。もっとましな言い方が、あったはずなのに。
「……アメリア」
ザイオンはすぐに、自分を取り戻したらしく、私の後をついて来ながら言った。
「悪かった。今、疲れてて。さっきのは、本気で言った訳じゃないんだ。後でよく、考えてみるから」
「いえ。悪いのは、私です。貴方の気持ちを考える事ができていませんでした。……私が言ったことは、忘れてください」
振り返って、微笑む事ができればいいのに。
できなかった。
私が、二度の人生で経験してきた通りの年齢に相応しい人間なら、簡単にできただろう。十歳の私には、振り返って彼の表情を窺う事さえできなかった。
(私は、伝えるだけで良かった。説得して、思い通りに動かそうなんて小賢しい真似をするから、しっぺ返しをくらったんだわ)
マクシミリアン王子が隣に並んで、スカートの布で包んだ魚を見せてくる。あと三匹ほどになっていた。
「食べる?」
そう訊かれて私は、首を振る。
「私は朝たくさん食べましたので、要りません。それは、マクシミリアン王子殿下がお食べください」
王子は頷いたが、なぜか少し、悲しそうに見えた。
足下の細い獣道はやがて、覚えのある獣道と合流した。
その後は、呆気ないほど早く、物事が進んだ。
獣道を昨日とは逆の方向に辿っていって、暗殺者に襲撃された場所まで行くと、そこに捜索隊らしい人達がいた。
遺体はすでにどこかへ移されていて見当たらない。周辺の木々が伐採され、捜索本部らしい天幕がある。
王子を見つけた一人が大声で叫び出し、天幕から、近衛兵や各師団から集められた兵達、ザイオンと同じ制服を着た王子の側近達が押し寄せてくる。
私達はあっという間に取り囲まれ、分断された。
大勢の人達から繰り出される質問への対応に忙殺されたザイオンは、私の存在に気を配る暇は無かったようだ。馬が用意され、王子とザイオンは山道のある方向へ連れていかれた。
最後に見たマクシミリアン王子は、大切そうに焼き魚三本入りの束を抱えていた。
⋈ ・・・・・・ ⋈ ・・・・・・ ⋈