15:モブ令嬢
その後は、特に語るほどの事件は起こらなかった。
私は捜索隊が来た時に備えて、まだポーチの中にあった石灰の小袋をこっそりと草むらに捨てた。ポーチとロープは、万が一追求されても、人攫いの倉庫で拾ったと言えばいい。
そうやって私の失敗した王子殺害計画を隠匿する事には、少し気が咎めたが、私が今後普通の公爵令嬢として生きていくためには仕方が無い。
日が昇ってから目が覚めたマクシミリアン王子は、コバンザメのごとくザイオンにピッタリとくっついて、離れなくなった。
「やめろ、暑苦しい」
としか言わないザイオンは、言葉足らずだと思う。
「離れろって。お前も暑いだろう」
「イヤ」
「お前、体中虫に刺されているじゃないか。ちょっと見せてみろ」
「イヤ!」
まるで二歳児のイヤイヤ期にまで退化したような、マクシミリアン王子の様子は、前世で見た子猿の実験動画を思い出させた。
最初は母親に抱き付いて離れない子猿が、周囲を探検しては母親の元に戻り、痛い目に遭っては母親にしがみ付く。そうやって少しずつ外の環境に慣れ、母親から離れている時間が長くなっていって、やがて自立するのだという、大学教授の解説があった。
今マクシミリアン王子は、外の世界で怖い目に遭った直後で、ザイオンに縋り付いて心の安定を図っているのだろう。
「無事で良かった、心配したんだぞ、ぐらい言って差し上げたら?」
せっかく私がそう助言したのに、ザイオンは余計な事を言うなと言わんばかりに睨んでくる。
「ザイオン、心配した?」
潤んだ目で兄を見上げる、マクシミリアン王子。
ザイオンは、傾斜した平石の上に座って、しがみ付いてくる王子を受け止めていた。
私は二人を見守りながら、拾い集めた朽ち木をバキバキと折って、火に投じる。決して、私に逆らう奴はこうしてやる、みたいな気持ちで朽ち木を痛めつけていた訳では無い。
「……ああ。心配した」
嘆息すると、ザイオンは王子の頭を撫でた。
「もう勝手に城を出るなよ」
「うん」
一層強くザイオンにしがみ付いた王子は、嬉しそうな笑みを、ザイオンの制服に擦りつけている。
母親に疎まれ、父親には関心を持たれない子どもであるマクシミリアン王子にとって、唯一愛情を持って接してくれる存在がザイオンなのだ。もっと温かい言葉をかけてやるべきなのに、ザイオンはわかっているのだろうか?
「ザイオンは心配で一晩中、暗い山の中を歩き回って探してくれていたのですって。とってもお腹が空いていると思うわ」
私がそう言うと、マクシミリアン王子はようやくザイオンから身体を離した。
「僕、おさかなとってくる! 僕、とるの上手なんだ! いっぱいとってくるね!」
「お……おう」
ザイオンが、嬉々として川に向かうマクシミリアン王子を見送る。
「なあ、お前さあ」
近くの崖に生えていた小ぶりの木から切り落としてきた枝を見繕っている私に、ザイオンが言う。
「俺の代わりに、側近になる気はない?」
やっぱりこの男はわかっていない。
私は鞘からナイフを取り出し、高く掲げて、刃の具合を確かめる。王子に奪われ、暗殺団のリーダーを倒す時に使われたナイフだ。木製の柄に血はたっぷり染みついているが、刃の部分は川で綺麗に洗ったので、使う事に何の支障も無い。
「冗談だぞ?」
ナイフに視線を奪われながら、ザイオンが言った。
「でしょうね」
私は枝の先をナイフで尖らせ始める。
前世では小学校時代、鉛筆の先をカッターで尖らせる事に凝っていたので、この程度なら難なくこなせる。
マクシミリアン王子が捕ってきた魚を調理して、白樺の枝を刺すと、火に立てかけていく。石で囲って作った竈は、松葉や朽ち木や細い生木の混成で、炎は一定しているとはいえない。視認しながら満遍なく炙って、焼き上がったものから、ザイオンと王子に渡す。
「野営ができるなんて、とても公爵家ご令嬢だとは思えないな」
そう言って笑うザイオンに、私は冷たい目を向ける。
「魚を捕ってきてくれた王子に、何か言う事はないですか?」
「ああ、……その」
ザイオンは、隣に座って凄い勢いで二匹目を食い荒らしていたマクシミリアン王子の方を見ると、言った。
「こんなにたくさんの魚を、あっという間に捕れるなんて、凄いじゃないか。朝からご馳走だな!」
「うん」
マクシミリアン王子はニコニコと笑う。
「えっそれで終わりですか」
私が見下した口調で言うと、ザイオンは居心地が悪そうに、付け加えた。
「……ありがとうな、マクシー」
「うん!」
マクシミリアン王子は勢い良く立ち上がって、クルクルと独楽のように回る、変な踊りを始めた。
「僕はね、おさかなも、とりも、へびも、上手にとるよ。むこうの国に行ったら、モンスターをたくさんとって、お金をかせぐんだ。おさかな、もっといる?」
「そうね。たくさん焼いて、持って歩けるようにしておきましょうか」
私がそう言ったのは、太陽の高度が高くなっていって、川全体に直射日光が当たり始めたからだった。夏の日差しに体力を奪われる前に、食料を持って、移動した方が良さそうだ。
「りょーかい!」
マクシミリアン王子は楽しそうに、川に突っ込んで行った。
「そっか。一緒に行くのね。羨ましい」
私が呟くと、ザイオンが不機嫌に言う。
「一緒に行ける訳がないだろう。亡命するにしても、切迫した理由が必要だ。母親が向こう出身の俺はともかく、あいつはこの国の王子で、しかも未成年なのに、受け入れられる訳がない」
「切迫した理由なら、あの辺に転がっているのでは?」
私は、カラスにつつかれている暗殺者達の死体を指さした。
「未成年かどうかは関係ないわ。いつ、どこで、何人に襲われたか記録しておいて、その背景にある政治的な理由も伝えれば、共和国側は人道的な面から、受け入れざるを得ないでしょう」
ザイオンは目を瞠った。
「……なるほど」
と言う彼の表情からは、不機嫌さが消えている。
「だが、第一王子だぞ? 国際問題になるかも知れない」
「そうね。でも、政治亡命というのはそういうものよ。マクシミリアン王子にいなくなって欲しくて暗殺を企てている側にしてみれば、王子が亡命する方が都合がいいはずだから、体面を保つ程度の抗議をする事はあっても、本気で問題にして王子を取り返そうとするとは思えない。共和国側には、懸念を抱かせないように、根回しが必要ね。それに、向こうの国での生活基盤が無い事を考えれば、今の二人の年齢で自立は難しいかも知れないので、亡命の時期については、暗殺者に狙われるリスクと摺り合わせて、ザイオン自身が考えないと……」
私は、ザイオンの目付きに気づいて、言葉を切った。
うん。確かに今、私からはかなり、中の人がはみ出していたかも知れない。
「さっきのドラゴンの話といい、お前には絶対に何かあるな」
探るような表情のザイオンに、私は微笑む。
「その見透かしたような顔もだ。本当に、なんなんだ、お前って」
愚痴っているのか、問いかけているのかわからないザイオンの言葉に私は、改めて自己紹介する。
「私はカラドカス公爵令嬢、アメリア・カラドカス、十歳です」
そして、心の中で付け加える。
(ただのモブ令嬢ですわ)
「そういう事じゃないのは、わかって言っているな? そもそもドラゴンの話には、どういう意味があるんだ? 俺の母親の事は、どうやって知った?」
などと、ザイオンはさっきの続きを始めるが、私はノーコメントを貫き通す。
多分どんな答えを聞いても彼は、納得しないだろう。
転生者である事を正直に告げれば、彼は私の言葉を全て疑い出す。
何も言わなければきっとザイオンは、半信半疑ながら、私が標した道を試そうとするに違いなかった。
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