14:道標
流れの緩い場所に岩で生け簀を作り、マクシミリアン王子がそこに捕らえた魚を次々に投げ込んだ。
私は暗殺者達の所持品から火打ち石を奪って、松葉と枝を集めて火を焚き、魚を炙った。カンテラに残っていた油は、良い着火剤となった。
前世で読んだ漫画の知識から、毒のある枝や木を選んでしまわないように気を付ける。
鮭に似ている魚は、身は白かった。不味くは無かったが、淡泊な味で、塩か醤油が欲しいところだ。マクシミリアン王子は何匹でも、あるだけ食べたがったので、私は居酒屋の焼き物係のように忙しく過ごした。
「僕は眠くなりました……」
おなか一杯に食べた後、比較的平らだがやや斜めになった大きな岩の上で、マクシミリアン王子はそう言った。それはただの宣言であり、私に許可を得ようとした訳ではなさそうだ。彼は、亀のように手足を縮め、丸くなった。
「寝てていいわよ。私が見張ってるから」
少し小さめの岩の上に座った私は、酷使した足や、切り傷だらけの手が痛くて、眠れそうになかった。
少し下流に、三人の暗殺者の安息所となった岩だらけの州が見渡せる。
手足の壊れた人形のように倒れている暗殺者が、実はまだ生きていて、身体を引き摺りながら襲って来ないとも限らない。
別の暗殺者が現れるかもしれないし、野生の獣に襲われる可能性もある。
王都に近い森では、狼や熊などの危険な肉食獣は駆逐されているはずだが、野犬が出るという話はきく。私は火を絶やさないようにしながら、警戒を続けた。
私が何かできるわけではないにしても、王子を起こして、逃がしてやるぐらいはしなければ、と思っていた。
月が南中し、川の向こう側にある崖の上にかかった。
たまに虫に襲われるぐらいで、長い間、何も起こらなかった。
薄い雲が星空を隠しながら、上空の風に流れていく。前世に比べて、この世界の星はギラついていた。光害が無い分、より存在感が増している。
時折マクシミリアン王子が身動きして、石から手足を突き出したが、再び亀のように丸まる。慣れているのか、虫の襲来は気にしていないようだった。私は、羽音がする度に追い払い、逃げ回った。それでも何カ所かは、知らない間に虫刺されができていた。
まだ夜も明け切らないうちに、下流の州にカラスが集まり始める。
上空を旋回する数羽、倒れている男達をつついている数羽、その煩いダミ声に応えるように、川を囲む森のあちこちから鳴き声が響いてくる。
私達の方にも、一羽近づいてくるが、石を投げて追い払った。
食べられる死体なのかどうか、調べに来たのだろう。
男達が完全に死んでいる事を確かめた彼らは、群がって盛大な宴会を始めた。
空がうっすらと明るくなり始めた頃、人の気配が近づいてきた。
立ち上がって、ハサミに手をやりながら待ち受けていると、上流から川辺の岩を一つ一つ辿るようにして現れたのは、ザイオンだった。
彼は、私達を見て一瞬立ち止まった。
「マクシー!」
駆け寄る彼の、その声の調子で、どれだけ心配していたのかがわかる。
覆い被さり、寝ているだけなのを確かめて安心したらしいザイオンは、力が抜けたのか、その場に座り込んだ。
それから私の方を見て、あざ笑うような口調で言う。
「アメリアなのか? しばらく見ないうちに変わり果てたな」
「怒っているのですね?」
マクシミリアン王子を生きた状態で引き渡せて気が抜けたのか、考えていた言い訳を全て忘れてしまったので、事実だけを告げる。
「私が、王子をお城から連れ出してしまったから」
「こいつが城を抜け出すのは、今回が初めてじゃない。でも、今までは暗くなる前には必ず帰って来ていたので、慌てた。どこかで、……死にかけているかもと」
言葉を切って、ザイオンは体温を確かめるように、眠っているマクシミリアン王子の背中に手をかける。その難しい表情は、泣くのをこらえているようにも見えた。
(もしかしてお化けの話は、早く寝かせるためじゃなくて、お城から抜け出しても、暗くなる前に帰って来させるためのものだったの?)
それなら、お化けなんていないと王子に言い聞かせたのはまずかったかも知れない、と私は思う。
ザイオンは顔を上げ、上空を旋回するカラスの群れを見た。
少し下流にある広い州で、目をつつかれ、啄まれている死体をしばらく無言で眺めてから、彼は言った。
「カラスどもが群がっているのは、お前達二人かも知れないと、半ば覚悟してきたんだ。よく無事だったな」
「マクシミリアン王子は、勇敢に戦いましたわ」
私は、自分の口調に賞賛が滲んだ事に気づいた。
そう。
マクシミリアン王子は、ただ人を殺した訳ではない。自分の命を守ろうと懸命に戦って、勝ったんだ。
私は、何を悲観していたのか。
いつの間にか、前世の価値観や、道徳観に引き摺られていた。
ここは社会的に未発達な世界で、軍隊や法律が弱者を守る仕組みにはなっておらず、自分の身は自分で守ることが当たり前だ。王子は、その当たり前な事をしたに過ぎない。
「王子は、人攫いに捕まった私を助けようとしてくださいました。そのせいで、二人とも囚われてしまったんです」
「喧嘩していたんじゃなかったのか」
ザイオンは、笑みを浮かべる。この人、顔は良いのに、どうしていつもこんな歪んだ笑い方をするんだろう。
「あら」
私は、いつも通りの自分を取り戻し始めていた。
「喧嘩じゃありません。私達、貴方の取り合いをしていたのですよ」
「俺?」
驚いた顔をしたザイオンは、気づいていなかったらしい。
「マクシミリアン王子がおっしゃるには、貴方の弟は自分なので、私がお兄様と呼んではいけないそうです。私と王子はこの件について話し合い、お兄様とは呼ばない事で合意しました」
私の説明は、事実とは若干異なるが、大筋は合っているはず。
「貴方の出自については、誓って他言いたしません。でも、一つだけ聞いて欲しい話があります」
「何か欲しいものがあるのなら、公爵に言え」
ザイオンは苦い表情を浮かべて言った。私が、知り得た秘密を盾に取って、ドレスや宝石を強請るとでも思っている様子だ。
「何か欲しいという話ではありません。ただ、聞いてくださるだけでいいのです。質問は一切お受けしません。貴方はいつか、カプリシオハンターズ共和国に行くつもりなのだと思います。お母様の母国ですものね。その時に、召喚魔法のレベルを上限まで上げて、『神の贈り物』と呼ばれる最強のドラゴンを召喚してください。それだけです」
「アメリア。何の話かわからない」
ザイオンは驚いた顔でそう言った。
「それでいいです。この件はこれで終わりです」
たったこれだけで良かったのだ。あれこれと策を弄す前に、予知能力があるとか大嘘を吐いてでも、この話を道標として告げる事が、私の役目だった。
どうやってレベルを上げるのか、ドラゴンを召喚するのかどうかは、本人に任せよう。
「一方的にそんな事を言われても、納得できない。情報源はマクシ……マクシミリアン王子じゃないな? どうやって、何を知ったんだ? どうして、ドラゴンなんていう話が出てくるんだ。そんないい加減な話、俺が信じるとでも思うのか?」
ザイオンが文句を並べ立て始めたが、私は黙ったまま、上品に笑みを返す。
肩の荷が下りた、という言葉があるが、今の私はそんな感じだ。
「それで、他の方々は、いつ王子をお迎えに来られるのですか? 遅いですね?」
ザイオンは黙った。
まさか、と思う。
「まさか、一人で来たのですか? それで、まさか、帰る方向がわからない、とかではないですよね?」
「いや。それは……途中までは、他の側近達と一緒だったが。王子が無事かどうか心配で、先にその確認をしようと思って」
「言い訳をお聞きしているのではありません。どちらへ行けば、森を出られますの? 王都はどちらの方向でしょうか?」
程なく、ザイオンは倒れていた暗殺者の遺体を見つけて、そこから他の側近達を置いて一人で先走り、迷った事がわかった。木々の間を一晩中彷徨ううちに、たまたま近くまで来て、カラスの騒ぐ様子を聞きつけたらしい。
「つまり、要救助者が一人増えただけという事ですか。何の役にも立たないですわね」
思わず私は、口に出して言ってしまった。
「はっきり言うな?」
ザイオンは力なく言った。
彼は、ゲームの『ザイオン』ではない。強力な魔法を使いこなし、襲い来る異形の者達を蹴散らし、最強のドラゴンを操って、魔王さえ倒すゲームのキャラクターではなく。
今目の前にいるのは、弟を心配するあまり冷静さを欠いて、闇雲に山に突っ込んで遭難する、普通の人だ。
だから私ももう、十歳の普通の女の子に戻ろうと思う。
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