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11/21

11:逃走

 カンテラの灯が追ってくる。

 あれは蝋燭ではなくて、多分オイル式だわ、などと私は冷静に考える。


 暗殺者は、私の『だぁれ』を王子の台詞だと勘違いした。

 それから、あの穀物袋を王子だと素直に思い込んだ。

 私達が人攫いに遭って、あの袋に入れられる前から、ずっと見ていたに違いない。

 そして、拘束されて監禁されている状態を好機とみて、襲ってきた。


 もしも人攫いが先に来なければ?

 私が計画していた通りマクシミリアン王子は、あの男に瞬殺されていたかも知れない。

 計画が失敗して良かった、と心底思う。


 こちらの姿は見えないはずなのに、敵は確実に追ってくる。

 折れた枝や、落ち葉の荒れた場所を見分けているのだ。

 痕跡をわざと分散させて、混乱させながら逃げることもできただろうが、追って来てくれる方が私には好都合だ。


 彼らの注意を私の方へ引きつけておけば、その間に王子はより遠くへ逃げることができる。

 月はまだ出ておらず、森は、日が暮れた後は真っ暗だった。

 いかに優秀な暗殺者でも、この暗さの中で、広い森に隠れた野生の王子を探し出すのは難しいはず。


 蜘蛛の巣が頭に被さっても、私は悲鳴を上げずに耐えた。

 落ち葉に滑って、折れた小枝が足首を抉る。

 痛みに構っている暇は、無かった。


 血だらけ泥だらけで、端から見ればきっとひどい有様だろう。

(私もついに、野生の令嬢になっちゃったわね)

 枝を掻き分け、山肌を登り、滑り落ち、どこを目指しているのかもわからないまま、私は逃げ続けた。


 そろそろ、マクシミリアン王子から充分に引き離す事ができたのではないかと思う頃、唐突に、開けた場所に出た。

 足で探ってみて、人がすれ違える程度の山道に出たらしいとわかる。平らに整えられ、落ち葉が片付けられている。

 ここなら、痕跡がわかりにくいはず。

 そう思って、私は道沿いに進み、できるだけ追っ手から距離を取ろうとした。


 私は、自分が十歳の女の子だという事をどこかの時点で忘れていた。

 進む速度が、大人と子どもでは全く違う。

 しかも相手は、カンテラを持った、対人戦が得意な暗殺者だ。

 見通しの良い、障害物の少ない山道で、あっという間に追いつかれて、肩を掴まれていた。


「マクシミリアン王子はどこかな、お嬢さん?」

 私を突き飛ばし、転ばせてから、男はそう訊ねた。


「お猿さんみたいに、どっかに行っちゃったわよ」

 正直に答えた私を、男は蹴り飛ばした。

 私はとっさに丸くなって、身を守る。

 痛い、なんて言ってはいられない。

 全ては私が引き起こしたことだから。


「どうせ、この近くに潜んでいるんだろう」

 男はカンテラを掲げて、辺りを睨んだ。

 さっき、私が人質に取られたところを見ていて、そう考えたようだ。


「そんな訳ないでしょう。命の重さが、王子様と私とでは、全然違うわ。とっくに逃がしたに決まってるじゃない」

 またも正直に応じてあげたにもかかわらず、男は気に入らなかったようだ。


 道の両側には、縁石が並んでいる。

 男はカンテラを、比較的平坦な石の上に置く。

「マクシミリアン第一王子!」

 大声でそう呼びかけて、男は剣を抜き放った。

 周囲の森を、油断なく見張りながら、続ける。

「この女を、殺されたくなければ──」


 男に、何かが飛びかかった。


 正確には、近くの木の上から、落ちてきた。

 真上を警戒していなかった男は、いきなり背中に十三歳の少年の重みを受けて、剣を手に持ったまま倒れ、顔面から地面に激突した。そこに硬い尖った縁石があったのは、不運としか言いようがない。


「アメリア?」

 と言って、マクシミリアン王子は男の上から降りた。

 ここで会うなんてびっくり、とでも言いたげな顔。

「これは悪いやつ?」


「そうね」

 血が広がって、地面にしみこんでいく様子に戦慄しつつ私は言った。

 違うと言っても、手遅れだ。

「さっき言ったでしょう? 隠れていなきゃ駄目じゃない! この男は、貴方を狙ってきたのよ!」


「だって」

 王子は目を潤ませた。

「暗いのはいやなんだ」

 このやりとりには、覚えがあった。

 溜め息を抑えて尋ねる。

「お化けが出るから?!」

「そう」

 彼は私を助けに来た訳では無くて、カンテラの灯りに引きつけられてきたらしい。


 マクシミリアン王子は、倒れている男から鞘と剣を奪って、自分のベルトに下げた。

(あれは倒れている男。死体じゃない)

 確かめる気にはなれず、私の中ではそういう事にした。


 カンテラは予想通り油式で、燃料はまだたっぷりありそうだった。質の良い油を使っているらしく、臭いもしない。

 困ったことに、マクシミリアン王子は、カンテラを手放そうとしなかった。


「それを持ってると、悪い人達が追ってくるのよ?」

 何度もそう説明して、置いて行くように説得したが、マクシミリアン王子は首を横に振り続ける。


「わかった。とにかく、この男の仲間が後を追ってきているのは確実だから、反対の方向へ逃げて。木の上なら、灯が遮られて見えないかもしれないし」

 私は、さっき目指していた方向を指さした。

 マクシミリアン王子は頷いたが、動こうとしない。


「どうしたの?」

 何となく答えを予想しながら、私は訊いた。


「一人はいやなんだ」

「……お化けが出るから?」

「そう」


 お化けなんていないと、説得しようとしても時間の無駄だという事がわかってきたので、私は仕方なく一緒に逃げることにした。


 道沿いのところどころに、枝を折ったり、落ち葉を踏みつけて分け入ったような痕跡を残しながら、先に進む。

 山道は途中から獣道になった。

 道を逸れるか、そのまま進むか迷ったが、迷う時間も惜しい。

 私はそのまま獣道を先に進んだ。


 その後、しばらく敵襲はなかった。

 もしかしたら、間違った痕跡を追って行ったかもしれない、と私は希望を持ち始める。

 このまま無事に夜を明かすことができたら、王子は生き延びられる。


(必ず、ザイオンがマクシミリアン王子を助けにくる)

 エロイーズの話から、私と王子が一緒にいる事を、ザイオンは知るだろう。

 あれだけ人にぶつかりながら町中を走ったのだから、目撃者から、私達のルートを辿ることは容易だ。

 そして、バラックの住人から話を聞いて、人攫いの背後関係を突き止め、すでにこの近辺までやってきている。

 そう望みを託すしかない。


「アメリア嬢」

 王子は、一本の木の前で立ち止まると、私を振り返って言った。

「僕はお腹がすきました」

 夕食の時間はとっくに過ぎている。

「私もよ」

 そう応じた私は、何か食べ物を出せとでも言うのかと思って身構えた。


「見て」

 マクシミリアン王子は、枯れかけた木に手を掛け、表皮を剥がした。

 カンテラの灯りに照らされて、朽ちかけた木に巣喰う数匹の白い芋虫が見える。

「コレ美味しいよ」


 私は猛烈な勢いで、獣道を突き進んだ。

 王子は慌ててついて来たので、一匹も食べていないと思いたい。

 野生の王子とか、茶化して考えていたけれど、そこまで野生化していたとは。

 幼児期の彼を放置していた、王城の大人達の罪は重い。


「ご飯を食べないと、死んじゃうんだよ?」

 追いすがってきた王子は、未練がましく言った。

「一晩食べないぐらいじゃ、死なないわ」

「ザイオンは、好き嫌いすると大きくなれないって言ってたぞ」

「その好き嫌いにあの芋虫は入っていないと思う」


「あの白いの、クリームみたいな味がするんだ」

「やめて! お菓子が食べられなくなっちゃう。とにかく生はやめて! 虫はやめて! 生きて帰れたら、もっと美味しいものを食べさせてあげるから」

 ああ、死亡フラグ立てちゃった。


「おなかが空いた」

 悲しそうに言いながら、王子はカンテラを持って私の後を付いてくる。

「森を抜けて、王都に着いたら、お城で何か食べさせてもらえるわ」

 そう答えた私は、おそらく今は王都から遠ざかっているに違いないと思う。


(馬車がやって来た方向に背を向けて走ったから……)


 王子が静かになった。

 真剣な顔で、四方を窺っている。


 私はポーチから、石灰の小袋を出した。公爵邸庭園用の倉庫に大量に積まれていたもので、壁の修理に使ったり、畑に蒔いたりする白い粉だ。

 小袋の口を縛っている紐を緩めて、手の中に持つ。


 ジー、ジーという虫の低い鳴き声が聞こえる。リー、リー、と鈴虫のようなもの悲しい鳴き声も混じっていた。

 暗殺者は、気配を絶って獲物のそばに忍び寄る事が上手いのだろう。

 だが、大自然を生きる虫達の方が彼らの上を行く。


 虫の鳴き声が不自然に途絶えた時、私は投球の構えを取った。

 マクシミリアン王子に向かって、人影が飛び出す。

 その顔面に、私は手に握っていたものを投げつけた。


 威力の無い私の投擲に、突進してきた力が加わって、開きかけた小袋から白い粉が飛び散る。

 抜き身の剣を構えた男は、顔を覆って悲鳴を上げた。


「逃げるわよ!」

 マクシミリアン王子の手を引いて、走ろうとした私は、カンテラだけ持って立ち尽くしていた。

「王子!?」


 振り返ると、暗殺者の身体が前のめりに倒れていくところが見えた。

 喉の辺りから、夥しい血が噴き出し、地面に降りかかっている。


(人体が、水風船と同じだという話は、本当だったんだ)

 倒れた男の下が、水たまりになっていくのを見ながら、私はそんな事を思った。人体の六割は水分だという。男の体重が七十キロぐらいとすると、体液は、何十リットルにもなる。


 マクシミリアン王子は、血のついた剣を投げ捨てると、そばに落ちていた男の剣を拾った。自分よりも上背のある男の後ろから、縋り付くようにして首を切ったのだろう、王子はほとんど返り血を浴びていない。


「これでもう、追ってこれないね」

 王子のその口調からは、殺した事を認識しているかどうか分からない。動きを止めた、程度にしか考えていないように思えた。

「そうね。でもきっと、まだいるわ。急ぎましょう」

 努めて冷静に、そう返して、私は歩き出す。


 さっきのは、ただ運が良かっただけ。

 私の投げつけた石灰入り小袋は、たまたま男の顔にヒットした。外れる可能性だってあった。

 外れていたら、殺されていたのは私達の方だ。

 好機を逃さずに、敵の数を減らした王子は正しい。


 東の空が、月の出を迎えて、うっすらと明るくなっていた。











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