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一億円の歌姫  作者: 蒼原悠
〈1st Turn〉まだ届けたい歌がある
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#05 それでも我が道を征く

 



 ユニットとして活動する以上、決めるべきことは山のようにある。活動場所、資金の捻出方法、行動計画。そして何よりも大事なユニット名。

 話し合いの末、あたしたちのユニット名は【Flipside(フリップサイド) Diva(ディーバ)】に決まった。

 どこからどう見てもフロントサイド・レイナスの(もじ)りだ。こんな名前じゃ、早晩レイナスとの関わりを疑われてしまう。もちろんあたしは猛抗議を繰り返したが、愛梨はとうとう耳を貸してくれなかった。レイナスが「表側(フロントサイド)女王(レイナス)」を名乗るなら、わたしたちは「裏側(フリップサイド)歌姫(ディーバ)」を目指すべきだ──。煮えたぎるような愛梨の熱意に、あたしは今度も屈服した。


「ミリオネアズ・サークルの一次選考が始まるのは来年一月、つまり半年近くも先です。それまで何もしないわけにはいかないし、最初はSNSとか動画投稿サイトとか、オンライン活動に力点を置こうと思うんです。お金も手間もかからないから、知名度と実績と広告収入を稼ぐのにはもってこいですし! というわけで、これ!」


 すっかりマネージャー気取りの愛梨から、解散前に一枚の楽譜を渡された。デビュー曲として用意していた自作の歌だと説明された。

 曲名は〈Silent(サイレント) Reborn(リボーン)〉。

 直訳すれば、静かなる再起。

 繊細なバラードかな。アイドル時代には歌ったことのなかったジャンルだな──。期待を込めてヘッドホンを装着したあたしの耳に、鼓膜破りの派手なイントロがなだれ込んだ。散りばめられた飾りの音響、乱高下するメロディライン、我こそが主人公とばかりに絶唱するトランペットやパーカッション。粉砂糖のまぶされたグミみたいな、典型的なアイドル歌謡曲だ。サイレントの五文字はいつの間にか粉々に砕けていた。


「……なに、これ」


 げんなりとヘッドホンを外したら、愛梨の目が潤んだ。

 おろおろ声で「歌えないですか?」「出来悪いですか?」と尋ね返され、あたしはとうとう首を縦に振れなかった。「梨子ちゃんなら歌ってくれるって信じてました!」と飛び跳ねる愛梨を前に、あたしは決意を固めた。こいつの泣き落としには二度と屈しない、って。



 自室へ帰ったときには零時を回っていた。

 窓辺にスマホを置いてベッドに横たわって、愛梨にもらった音源を再生する。丑の刻に不釣り合いなポップソングが、寝静まった東京の街並みを跳ね回る。

 曲名との不協和はともかく、曲自体の完成度はプロ顔負けだ。リズムに合わない歌詞を無理やり押し込めたりせず、伴奏と主旋律も調和していて聴き心地がいい。サビのメロディもキャッチ―で耳に残りやすい。

 ぼふ、と枕に顔を埋めたら、まぶたの裏に愛梨の笑顔が浮かんだ。


『──わたしたちの才能がお金になるんですよ! 生かさないなんてもったいないですよっ』


 いつかの言葉が頭蓋骨にこだまする。そういえば愛梨は最初から、お金儲けを前提にしてあたしに手を差し伸べたんだったな。貧しい母子家庭の愛梨にとっても、レイナスを追放されたあたしにとっても、収入源の確保は喫緊の最優先課題だ。衣も、食も、住も、お金がなければ満たせない。お金がなければ生きてゆけない。だからあたしは歌声を、愛梨は作詞作曲の才能を「売り物」にする。何もおかしなことはないのに、まだ心の奥がもやもやと紫色に燻っている。

 あたし、()()()上手くやれるかな。

 もしも()()()ダメだったら。

 膨らみかけた紫色の淡い懸念が、不意にぱちんと弾けた。再生中の曲に割り込むかたちで、新着メッセージの通知音が響き渡ったのだった。

 目をそらす間もなく、メッセージの本文がポップアップに浮かび上がった。


【今月の家賃の振込はまだか】


 うあ、と気だるい声が漏れた。誰が送ってきたメッセージなのか一目で分かった。億劫に思いながらもメッセージアプリを開くと、新着通知のマークの横には父親──里見(さとみ)大志(たいし)の名前があって、あたしは重たい息をついた。

 あたしが高校生のくせに一人暮らしをしているのは、朝に弱いあたしが高校に遅刻しないで通えるようにといって、高校の近くにマンションを借りてもらったためだ。月々十万円にもなる家賃の半分は父親、もう半分はあたしが負担することになっていて、支払いが滞るたびにこうして督促のメッセージが送られてくる。あたしが一人暮らしを望んだ本当の理由を父親は知らないし、教えるつもりもない。家族に黙って芸能活動をするためだとバレたら、すぐに実家へ連れ戻される。

 愛梨特製の元気なインストが、横たわったあたしから柔軟な思考力を奪ってゆく。ダラダラ言い訳を書き連ねたって、どうせ父親は目を通さないよな。娘の動向なんか少しも気にしちゃいないんだから──。泥のように重たい身体を叱咤して、あたしは画面をタップした。【来月まで待って】と書き、送った。

 滞納した家賃。

 いまにも止められそうな電気代。

 日々の食費、交通費。

 それから──三百万円の違約金。

 積み上がった負債の総額を想像するたび、ぞっと身体の奥が冷え込む。画面の暗転したスマホからは愛梨のつくった曲が流れ続けている。

 覚悟を決めろ、あたし。

 歌を歌って金を稼いで、借金を返すって決めたんでしょ。

 そう胸に言い聞かせ、手繰り寄せたルーズリーフの歌詞を月明かりに透かす。かすれた声で読み上げながら、メロディとの重なりをひとつひとつ確かめる。


《♪君に触れたくて磨いた爪 結んだポニテ 桃色リップ……》


 刻まれるポップなリズムに、唇や身体が少しずつ馴染んでゆく。久々に味わった気がする、新しい歌を脳内へインプットする感覚。やっぱり歌が好きだ、嫌いになんかなれないよなと、ぼんやり耽りながら思った。



 あたしは歌が好きだ。

 でも、いつから好きになったのかと問われると答えに困る。

 あたしの父親は丸の内で小ぢんまりとした商社を経営している。あたしは生まれたときから、世間でいうところの社長令嬢だった。実家は同じ世田谷区内の西端にあって、立派な庭や地下のシアタールームを備えた豪邸だ。家族は他に、ふたつ年上の兄が一人だけ。母親はあたしの幼いうちに離婚して、いまは名前も連絡先も分からない。

 金持ちの家で育ったぶん、金銭面で苦労を感じたことはない。シャーペンもコートもスマートフォンも、手元にあるのは質のいい最新モデルばかりだった。けれども、その地位にあたしが居心地の良さを覚えたこともなかった。ここに閉じこもっていたらダメになる──。レンガ調の洒落た壁の中で、あたしは漠然と未来に怯えていた。

 地下のシアタールームに鍵をかけて籠城して、ひとりで歌を歌うのが日課だった。誰に言われずとも練習を積み、お小遣いが入るたびにカラオケへ出かけて、採点の結果に一喜一憂しながら成長を確かめた。あたしは歌手になりたかった。いつか必ず表舞台(フロントサイド)でマイクを握って、日本中の人々を魅了してやるのだと決意していた。

 それがあたしを幸せにする唯一の方法だと、あの頃から信じて疑ったことはない。

 いまさら歌のない自分になんか戻れない。

 歌とともに心中する覚悟は、もう出来てるつもりだ。





「こんな奇跡、いくら願っても二度とは手に入らない」


▶▶▶次回 『#06 ファーストクリップ』

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