#02 道草食いのシンデレラ【後編】
──ひねくれた心が引き締められた。
あたしは彼女を直視できなくなって、ただ、黙って机の下で拳を握っていた。
リータの脱退が世間を騒がせたとき、レイナスの事務所は『リータは重大な契約違反を犯した』と声明を発して鎮静化を図った。志半ばでの脱退、それも契約違反による脱退処分など、ファンにしてみれば裏切り以外の何物でもない。それなのに、この子はそんなあたしを憎みも恨みもしなかったんだ。そればかりか、消えていったあたしの幸せを願い、どうか元気であれと祈ってくれているじゃないか。
あたしなんかのために。
そんな善意、あたしにはもったいないのに。
ツンと鼻先が熱くなった。良心の呵責に耐えられず、顔を上げて「あの」と声をかけたら、女の子はあたしに目を戻した。
「言いにくいんだけど……。その『リータ』、あたしなの」
「え?」
「本物なんだってば。先月までレイナスのセンターを務めてたのはあたし。今は芸能界も離れて、ただの高校生に戻ってるけど」
女の子が言葉を失ってゆく。あーあ、やっちゃったと理性が匙を投げる音がした。推しが夜中にひとり公園で道草を食っていたら、あたしなら怖くて推すのをやめるな。
「本当に、リータなの」
途方に暮れた顔で女の子が尋ねる。
「本当だよ。触って確かめてくれてもいいよ」
「むむむ無理ですそんな畏れ多い! 触るなんて! リータの肌がかぶれちゃいます!」
「毛虫かよ。かぶれるわけないでしょ」
けしかけたら、女の子は指先を震わせながら、そっとあたしの左頬に触れた。
「生きてる……すごい、本物のリータだ……えっ、確かに声も顔立ちもそっくりだとは思ってたけど……うそ……やばいどうしようわたし今日死んじゃうのかな……」
女の子はいまにも沸騰しそうだ。真っ赤になってあたしを見つめて、触れたばかりの指先を胸へ抱く。恋する乙女のごとき不審な挙動を、あたしは面白おかしく笑えなかった。
「その」
くしゃりと女の子は顔を歪めた。
「どうしてレイナス辞めちゃったんですか。重大な契約違反って本当なんですか」
あたしは身構えた。正体を明かした以上、その質問を避けて通れるはずもなかった。
「嘘だよ。事務所が思いつきで適当なこと言っただけ」
「なら、どうして?」
「なんていうか、ちょっと疲れちゃってさ。頑張る理由が分かんなくなって。メンバーとも揉めて、戻りづらくなっちゃった」
そっか、と彼女はうなだれる。
胸が痛んで、あたしも視線を下げてしまった。頑張る理由を見失ったのも、メンバーと不和に陥ったのも表面上は本当だった。けれどもそこから先のことは、この子には話せない。あたしの事情にこの子を巻き込むわけにはいかない。
お礼を言おう。
あたしを愛して、行く末を案じてくれた優しさに感謝しよう。
その上で、最後にはあたしの選択を受け入れてもらうしかないのだ。
「期待を裏切ってごめんね。あたしはもう舞台の上には立てないの。立ったところで何もできない。しばらく練習してないからダンスも笑顔も忘れちゃったし、歌だって──」
歌だって歌えない。
そう続けるつもりだったのに、なぜだか喉が塞がって、言葉が詰まってしまった。
不甲斐なく肩を強張らせるあたしを、女の子はまっすぐに見つめていた。つぶらな瞳に湛えた無垢の眼光が──不意にゆらりと揺れて、それから引き締まった。
「歌が嫌になったわけじゃないんですか」
あたしはとっさの返答に窮した。
「嫌いになったわけじゃ、ないけど」
「じゃあ、居場所の問題なんですね? レイナスのメンバーとの問題なんですね?」
女の子の声色が跳ねた。返答に窮したままのあたしには、彼女の喜ぶ理由が見当もつかない。この子は今、あたしの言葉に何を見出した?
「わたし、あなたの歌に惹かれてアイドル推すようになったんです。あの歌声にたくさんたくさん励まされて、今のわたしがここにいるんです。もっとリータの歌を聴いていたい。リータの才能を腐らせたくない。日本中の誰もがリータの復活を望まなくても、わたしだけはリータのファンを絶対に辞めない。これまでも、これからもです!」
「ちょ、ちょっと、気持ちは嬉しいけど……」
「あなたが歌い続けてくれるのなら所属や肩書きなんか何でもいい。レイナスである必要なんてどこにもない。どこにも居場所がないならわたしが作ってみせる!」
叫ぶや、あたしの手を彼女は握りしめた。
「わたしと一緒に歌手を目指しませんかっ」
あたしは唖然と彼女の言葉を反芻した。
歌手を、目指す?
「わたし、趣味で曲作りやってるんです! メロディも歌詞も書けるし、ピアノやギターも弾けるし、作曲ソフトも動かせます! わたしとリータが手を組めば絶対に売れる。そう──たとえば『ミリオネアズ・サークル』の頂点に輝くことだってできるはずです!」
「ミリオネアズ・サークル!?」
復唱する声が裏返った。さらりと彼女が口にしたのは、数千組の参加者から“日本一の歌手”を選出する、国内最大の音楽オーディションイベントの名前だった。優勝者に手渡される賞金は一億円ともいわれ、向こう数年間の活躍も保証される。
畳み掛けられる発言の数々に、あたしの理解はちっとも追いつかない。ボーカル以外のすべてを自分で担いながら、堕天したアイドルをふたたび日本一の舞台へ連れてゆく──。つまり、彼女はそう宣言してみせたのだ。
「冗談だよね?」
「冗談なんかじゃないです!」
「冗談じゃないって、そんな上手くいくわけないし……! だいたい何を目指すつもりなの? まさか本当に歌手業で食べていく気なの!?」
「もちろんです! きっと売れます、だってリータの歌声は日本一だから!」
ダメだ、あたしへの愛が高じて盲目を極めている。頭を抱えるあたしに、ぎらぎらと自信をみなぎらせながら女の子は説諭を重ねる。
「円盤の売上と事務所の威光がすべてだった時代はもう過ぎたんです。色んな売れ方ができて、色んな魅せ方ができて、ありのままの魅力でアーティストが売れる時代が来てるんです。だから、後ろ盾のないわたしたちにも輝けるチャンスは必ずあります! わたしたちの才能がお金になるんですよ! 生かさないなんてもったいないですよっ」
「でも……」
「上手くいけば年収何百万、何千万も夢じゃないんですよ?」
あたしの肩は不覚にも動いてしまった。
払える見込みのない違約金が脳裏をよぎった。
ぐっと息を呑んで、暗い未来を思い浮かべる。このまま普通に就職したところで、三百万円の負債は真綿のようにあたしの首を絞め続ける。けれどもここで一発逆転を狙って、もしも成功したら──。そんなことが叶うのはギャンブルか投資、さもなくば芸能活動だけだ。
あたしの歌はお金になるの?
あたしはまだ、歌を歌って生きてゆけるの?
にわかには信じられない。だけど自信満々な彼女の前では、すべてをなげうってすがりたいような欲求が否応なく膨らんでしまう。
「レイナスを抜けた今もリータの歌声は不滅だってこと、わたしが誰よりも知ってます。あなたが諦めたってわたしは諦めない。きっとミリオネアズ・サークルの頂点に立って、あなたの歌声に一億円の値札をつけてみせる。あなたの歌が日本一だって証明してみせます! だから……!」
「……分かったよ」
果てしなく力んでゆく彼女を前に、あたしはとうとう白旗を挙げた。
それから、忘れないうちに大事な釘を刺した。
「だけどこれだけは分かってて。あたしはもう、フロントサイド・レイナスのリータじゃないの。呼ぶなら『梨子』って呼んでよ」
「わたしのことは『愛梨』って呼んでください」
彼女は微笑み、広げた手のひらを差し出した。
「わたし、頑張りますから!」
ためらいがなかったとは言えない。それでもあたしは──里見梨子は、愛梨の手を確かに握り返した。手にしてしまった野望の重みと、散りばめられた砂金のような期待で、手のひらはひやりと汗ばんでいた。
ガラスの靴をなくしたシンデレラは、もう王子様の目には留まらない。
かぼちゃの馬車も親切な魔女も、もう憐れんでくれることはない。
けれどもいまは月の光が夜道を照らしている。裸足のままでも走れるはずだ、行けとささやく声がある。
これは、歌しか知らない落ちこぼれのシンデレラが、二人三脚で王城を駆け上がった九ヶ月間の軌跡だ。
『一億円の歌姫』をお手に取っていただき、ありがとうございます。
本作は定期連載です。冒頭2話を一挙公開後、3日に一度のペースで更新してゆきます。
全50話前後、完結は12月上旬の予定です。
完結までお付き合いいただけたら幸いです。
■!■ この物語はフィクションです。実在する人物・地名・団体・事件とは一切関係ありません。
■!■ R15作品です。閲覧には注意をお願いします。
「食べ物を比喩に使うな。お腹が減るだろうが」
▶▶▶次回 『#03 いつか夢の賞典台へ』