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一億円の歌姫  作者: 蒼原悠
〈2nd Turn〉ふたりで奏でる、明日の二人
15/17

#15 《ネクストブランド認定審査》






挿絵(By みてみん)






 



 ──ピアノ線のように張り詰めた空気。

 あたしの息遣いさえ拾われている気がする。

 せまい舞台の上に、あたしと愛梨は二人きり。眼下の客席には長机とパイプ椅子が並べられ、スーツ姿の大人が数人ばかり控えているだけ。

 大胆不敵な相棒が、ぽろん、とキーボードを指先ではじく。踊り子のように可憐なブライトピアノの前奏が、あたしの震えを衝動に変換してゆく。大丈夫、歌えるよ。あたたかなまなざしが背中を撫でて、冷房の寒さが少しやわらいだ。

 五線譜が歌い出しに差し掛かった。

 心もとない薄手の上着をあたしは握りしめた。


《♪幼心に見惚れた 汚れなき白のドレス

  背伸びして履いたガラスのピンヒール

  舞踏会の音色に惹かれ 迷い出た都会

  気づけば雨のなか帰り道も見失ったわ》


 練習の成果か、危なげなく声がメロディに乗った。あたしの往くべき道を示すように、愛梨の伴奏には一音だけ主旋律が練り込まれている。息継ぎはここで良かったっけ。響きがくぐもっていないかな。ともすれば浮かぶ気の迷いを、あたしは目を閉じて振り払う。作り笑顔の要らない分、いまはありったけの力を歌に込められる。


《♪きのう旅立ったあの子の丸い背中

  街頭をかざる女優のさみしい笑顔

  行き先のない環状線に揺られて何周目

  また夜が来て 眠れない街を泳ぎ渡るの》


 愛梨のピアノアレンジ伴奏は鬼気迫る仕上がりだ。バラードとはいえ、スリーピースバンドに電子楽器も交えた大所帯の原曲版伴奏を、わざわざ4/4拍子から3/4拍子に変換したうえで一音残らず鍵盤で拾い上げている。先走ることも、もたつくこともない。しかも余力を残しているのか、ときどき曲の随所に即興のアレンジを捻じ込んでくる。

 ちら、と彼女の()があたしを捉える。

 あたしが歌えているのを確かめて、ほのかに頬を緩めて、また演奏に戻ってゆく。

 いつか、そんな気遣いも要らなくなるほど、当たり前に歌えるあたしを取り戻せたらいい。この演奏はそのための布石だ。あたしも愛梨から視線を外して、ならぶ几帳面な大人たちに(ことば)を投げかける。


《♪雨に濡れそぼって()れたボールガウン

  重くて 重くて もう歩けやしないけど

  ネオンの照らす不夜城 宛のない街角に

  デビュタントの言祝(ことほ)ぎが聴こえたの

  痩せた肩に羽織る鈍色のレインコート

  蒼すぎた青い春 もう戻れやしないから

  哂われても歩むわ 左回りの線路の上

  汚れたドレスも朝日に輝くでしょう》


 渾身の五分間は飛ぶように過ぎていった。ラスサビの余韻が壁に消え、愛梨が最後の一音から指を離す。機を見計らい、あたしは深々と頭を下げた。まばらな拍手が耳朶を打った。


「実演審査は終了です。どうもお疲れ様でした、フリップサイド・ディーバさん」


 恰幅のいいバーコード頭の男性が切り出した。長机の上の名札には【文化振興部長】と書かれている。


「踊場ミユキの〈Débutante(デビュタント)〉のカバーとは、ずいぶん渋いチョイスをされたものだ。懐かしい気持ちで聴かせてもらいました。あなた方のような若い才能が、こんな往年のバラードを見事に歌い上げるとは思わなかった」

「ありがとうございます」

「特に右側の方、ええと、肩書きは何でしたかね。寿限無寿限無五劫の擦り切れ……」

「作詞兼作曲兼編曲兼伴奏兼コーラス兼マニピュレーター兼バンドマスター兼マネージャー兼MV制作兼エグゼクティブ・プロデューサーです!」


 愛梨が憤慨する。そんなもの覚えてもらえなくて当然だとあたしは肩をすくめる。「そうでしたな」と彼は額を拭った。


「正直言って、プロのピアニストと見まがうような演奏でした。オンラインで音楽活動をしているそうですが、普段からこういうスタイルでやっているのかな?」

「今日は特別です! メンバーはわたしたち二人しかいないので、普段は打ち込み音源と生演奏を併用しています。こないだ駒田記念公園でやった時も──」

「駒田記念公園?」


 文化振興部長が怪訝な声を上げ、あたしは愛梨の靴を無言で踏みつけた。無許可で野外ライブをやったことがバレたら、下りるべき許可も下りなくなるでしょうが。口を滑らせたと気づいた愛梨が、青い顔で「いつかやりたいな~って思っただけです! あはは!」と軌道修正に取りかかる。

 ここは東京都庁第一本庁舎五階、大会議場。

 入口には【第二十四回ネクスト・ブランド 第二次選考会場】の看板。

 初の野外ライブ後、無断で演奏会を開いたことを怒られたあたしたちは、ディーバの活動にお墨付きを得るための準備を進めていた。東京都の生活文化スポーツ局は十数年前から“ネクスト・ブランド”と呼ばれる大道芸人公認制度を実施している。認定された大道芸人には都内各所での活動が認められ、公的イベントへの出演斡旋も行われる。認定されれば大手を振って駒田記念公園を使えるようになるし、ディーバの活動拡大の可能性も拓けるはずだ。あたしたちは急いで書面や音源を用意し、審査期限直前に滑り込みで提出。努力の甲斐あってディーバは書類審査を通過し、あたしたちは二次選考の公開実演審査に呼び出されたのだった。


「──まぁ、活動の趣旨はいまの実演で伝わりましたし、特段確認すべきこともなさそうですな。審査結果については一週間以内に通知させていただきます。合格された場合はライセンスの発行手続きが必要になるので、あらためて都庁まで御足労を願います」


 はたと肩の力を抜いた文化振興部長が、おもむろに隣席を見やった。


「藤沢知事、何か意見はありますか」


 そこには三十代くらいの女性が、しゃなりと背筋を伸ばして腰かけていた。手元の名札には【東京都知事】の二文字がある。このあいだの選挙で選出されたばかりの新米知事、藤沢(ふじさわ)(あん)だ。居並ぶ中高年の審査員のなかで、紅一点の異彩を放っている。


「そうですね」


 知事は澄ました顔であたしたちを見回した。


「私もすこし意外でした。歌手の踊場ミユキさんといえば、もう三十年くらい前にヒット曲を飛ばしていた方でしょう。今回歌っていただいた〈Débutante〉も、お二人にとってはいささか昔の歌だと思うのですけど」

「その……審査員はみんな年嵩だろうから、ウケのよさそうな往年の名曲カバーをやろうって相談してたんです。まさか知事がこんなに急に若返っちゃうとは思わなくて……」


 身も蓋もない愛梨の説明に、知事も文化振興部長も口を揃えて噴き出した。あたしは緊張と不安で昼食のパンを吐きそうだ。お願いだから、もう余計なことを言わないで。


「そうね。()()()に沿えなくてごめんなさい」


 肩を震わせながら藤沢知事は言った。


「お二人の提出された書類にも目を通しました。里見梨子さんはアイドルの芸歴もお持ちなのね。客層を意識した選曲にしろ、見事な歌唱や伴奏にしろ、並々ならぬ意欲をもって活動されているのが伝わってきます」

「それは……どうも」

「あなたがたのような意欲あるアーティストには、この大都市をも突き動かす力がある。一千万人の暮らす東京を、あなたがたの力を借りて多様な文化発信の場にしてゆきたい。そのために私たちは“ネクスト・ブランド”事業を通じて、アーティストの活動支援を長年にわたり行ってきました。ただし税金を投入する以上、我々には都民の皆さんへの説明責任があり、登録アーティストへの監督責任がある。応募いただいた全員へ、安易にライセンスをお渡しできないのはご理解いただかなければなりません」

「…………」

「私は芸術については素人です。だからこそ、個々のテクニックよりも心の持ちようで、大事な都民の財産を預けられる相手を選びたいと思います。あなたがたがどんな覚悟でマイクを握り、何を目指して活動を行っているのか、お聞かせいただくことはできますか?」


 知事の目はニコニコと和らいだままだ。されどオブラートの匂いもしない丁寧な言葉遣いのなかに、真贋を見極めんとする意思が確かに宿っている。背筋が伸びて、あたしは息を呑んだ。ほかの役人は笑顔で誤魔化せても、このひとを言葉で誤魔化しきる自信がなかった。

 あたしの夢は「売れる」こと。

 売れて、儲けて、生き延びることだ。

 けれどもそんな生々しい実相を、素直に口にしたらどうなるか。ネクスト・ブランドの高尚な理念にも真っ向から反することになる。


「あたしは……」


 ためらって、迷って、あたしは顔を上げた。苦し紛れの綺麗事を頭に並べながら。


「……これまでずっと、自分のために歌を歌ってきました。あたしを救ってくれるものは音楽しかなかったからです。だけど必死で歌い続けているうちに、あたしの歌を好きと言ってくれる子が現れました。それが、あたしの隣にいる愛梨です。誰かのために歌を歌いたいと、生まれて初めて思えた子です」


 まっすぐに知事を見つめているから愛梨の様子は分からない。まさかデレデレ溶けていたりはしないだろうなと、はらはらしながらあたしは言葉を繋ぐ。


「あたしもこの子も貧乏暮らしで、いまは日銭を稼ぐために歌手活動をやっています。あたしはこれからも自分自身の生活と、愛梨のために歌い続けます。でも、そうやって活動を続けてゆくうちに、また愛梨のような子が現れるかもしれない。この人のために歌いたいと思わせてくれる人に、いつかどこかで巡り合えるかもしれない。だからいまはとにかく活動の幅を広げたいんです。あたしたちの歌を少しでも多くの人に届けて、心の響き合う仲間を見つけたいんです」


 しゃべりながら、なんだか思いがけず大事な真理に触れたような気がした。とりたてて中身のない出まかせの答弁だけど、不思議と、素直な心のカタチに合っていると思えた。本当の目的は活動資金確保のためだなんて、口が裂けても言えないよな。苦笑いを内心に押し込めていると、おもむろに「なるほど」と知事がつぶやいた。


「よく分かりました。ありがとうございます」

「あ、あたし口下手だったらごめんなさい。MCも下手だってよく言われてて……」

「大丈夫ですよ、ちゃんと伝わっていますから。ただ、しみじみとしただけです」


 知事のまなざしは険を欠いていた。


「みずからの言葉で誰かの心を捉えるというのは本当に難しい。十五万人の都庁職員を束ねる仕事柄、私も頭を悩ませてばかりです。それでも前を向いて、歌による共感の輪を広げてゆきたいというあなたの覚悟は本当に立派だと思う。実演審査で〈Débutante〉を披露されたのも、きっとそういう覚悟のあらわれなんですね」


 いや、何度も言うけど年上のウケを狙っただけです──。などと言い出すこともできずに、あたしは曖昧にうなずいた。よく分からないけど、ともかく知事を丸め込めたのなら目標達成だ。前のめりになった知事が「この場で合格を伝えることってできるのですか?」と言い出し、「ですから合格発表は後日に行いますと……!」と文化振興部長に諫められるのを、他人事みたいな気分で眺めていた。


 ──あたしが歌うのは、あたしと愛梨のため。身寄りのないあたしたちが、明日を生き延びるため。

 だけど「売れる」歌手になるというのは、きっと、その閉じた輪の中にたくさんの他人を迎え入れることだ。

 あたしはどんな人に、あたしの歌を届けたいんだろう。あたしの歌はどんな人の胸に響くのだろう。あたしの歌の強みって何だろう。立ち止まって考えるには時間が足りない。じっくり未来を見据える時間を稼ぐためにも、あたしはがむしゃらに歌を歌い、糊口を凌ぎ続けるのだ。いまは、その決意さえ確かであればよかった。





「いつも変なものばっかり食べてて、心配になっただけだから」


▶▶▶次回 『#16 ケンカは良くない』

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