1-1:おじょーさまの憂鬱(ゆううつ) 【前編】
※注意です。
・このものがたりは、『鉄と真鍮でできた指環《4》 ~魔窟のエクストリーム~』編の、番外編です。
・ショートストーリーです。
・本編のほうのキャラクターやストーリー、世界観などのイメージを、こわす可能性があります。
・以上の点に抵抗のあるかたは、【もどる】をおすすめします。
〇登場キャラクター紹介です。
・メイ・ウォーリック:十八才の魔女。魔術の学校、【学院】に通う高等部の三年生。爵位のある貴族であり、魔術師としての腕も立つ。調合がへた。
・ノワール:メイの知人の使い魔。
―本編を読んでいない人のためのあらすじ―
芸術の都フィレンツォーネで、悪魔の召喚がおこなわれるみたいだぞ。それは悪いことなんだぞ。主人公の魔術師・和泉が調べにいくぞ。デマだったんだぞ。爆発おちだぞ。さいてーやぞ。 【了】
「――というわけで。【フィレンツォーネ】に行ってほしいのよ」
「なにが、というわけで。ですか」
自室の学習机に向かったまま、メイ・ウォーリックは微分析分の問題に使っていた頭を片手で抱えた。
先月十八才になったばかりの魔女である。黄色と赤のリボンを左右の耳のまえに垂らしたおさげにひとつずつつけている、黒いストレートロングの美しい少女だ。
ふだんはさほど、『テスト勉強』なんて益体もないことをしない彼女だが、進学がかかっている受験ともなるとちがう。
彼女の在籍しているここ――魔術の最高峰学府【学院】は、初等部から大学部の学生までを教育し、望めば研究課程にもすすめるが、それらは決して「エスカレーター式」などという生ぬるいシステムを意味するものではない。
推薦という制度もなく――それに匹敵する……もしくは「優先権」としては遥かに上回る【ソロモンの指環】なる権威の塊は存在するが、メイはそんな便利アイテムを持っていないし、持つ必要もないと思っている。
ともあれ。こうして【学院】での授業を終え、放課後をむかえてなお【学生寮】の一階(学校関係者には「独房」と揶揄される。相部屋ではやっていけない「問題児」に与えられる一人部屋だ。だったら問題のある生徒のほうが、まともな生徒よりもはるかに得だというのがメイの持論だ)にある小さな寝室で、夕焼けが夜空に変わってもなお学習机で参考書や問題集とにらめっくらをしているのは、いかにも馬鹿げている。
生来がこらえ性のないメイは、先ほど――唐突にやってきた女性ノワールが、ずうずうしくも声をかけることによって意識に闖入してきたのを「運の尽き」と定め、練習問題用のノートに回答を書く手を止めた。
ちら。とサイドテーブルに、紫がかった黒目をやる。
魔鉱ランプ(魔法の石を熱源にした加熱器具)の上で煮立っていた魔法薬を確認する。
本来緑色の液体になるところが、どす黒い青になっていた。
あっためる二十数分を数学でつぶそうとして、そのまま忘れてしまったのだ。
「あーらら。あなた、薬学科うけるつもりなの?」
「心霊科ですわ」
メイは器材のスイッチを切った。心霊科――テレポートやテレパシー、サイコキネシスなど、近代魔術、あるいは「超能力」と呼ばれる魔法について研究する学科であり、カリキュラムの必須科目のなかに魔法薬の製造は入っていない。
しかし大学進学のために受ける【学院】の試験科目は、一般教養の五科にくわえて、そのほかいくつかの実技試験がある。
魔法薬学は実技テストのひとつで、出題される薬品については他の科目と同様、当日まで不明だが、劇的にむずかしい種類のものが出されるという話は、過去百年にさかのぼって聞かない。
もちろん。今年が運に見放された百年目という可能性も、なきにしもあらずだが。
〈つづく〉