61:そして日常(にちじょう)へ・・・。
・前回のあらすじです。
『和泉が【悪魔崇拝】の調査をおわりにする。ついでに。ライブでもりあがっていた地下ホールを、火の魔法で吹き飛ばす』
大陸北部の日ぐれは早かった。
午後の三時をむかえてから、空は赤みを深め、火の玉みたいな夕日が、脈々とつらなる山の稜線にしずんでいく。
暦のうえでは十月のなかばと、まだ秋のころあいだが、北に位置する山腹の土地は、すでに寒かった。
アントシアニンやカテロイドによる葉の変色が、山肌を臙脂や山吹色にぬりつくす。
ひゅーん。
樹冠のうえを、いちまいの絨毯が飛んでいく。
【学院】の王城風校舎から、ふもとの町へとつづく坂道にいたノワールは、金色の眼を動かした。
ちょうどいい高さの岩にすわって、ソーダ味の棒アイスを食べていたのを中断する。立ちあがって、「おーい」と絨毯――「魔法の」が頭につく――に、手を振った。
上空から、白髪の魔術師が見下ろしてくる。和泉だ。
「こんな冷える時にアイスですか?」
「いーじゃないのよ。……あげないわよ」
「いりませんよ」
ただでさえうすい生地のドレス一枚のノワールに、和泉はぶるりと身をふるわせた。魔力の向きを下にかえ、魔法の絨毯を降下させる。
航行時の風をしのぐために、和泉はパーカーのうえから、教員用の法衣をまとっていた。
黒い上着の左肩には、烏のすがたにもどったクロが、ちょこなんとおとなしく停まっている。
「和泉くん。この娘は?」
和泉がどいたカーペットに、彼の荷物と、もうひとり。黒いローブを身につけた、黒い覆面の人物をみつけて、ノワールは指さした。
草地から数センチ浮かせたままのフライングカーペットから、和泉がトランク鞄をもちあげる。
「クララ・モリス・B・カリオストロです。高等部の女子生徒。オレが地下を爆破した時に、ガレキに埋もれたのをみつけて……掘りかえしてやったんです。ほっとくのもなんだったんで」
「あら。あなたも破壊活動にめざめたの?」
「いえ。そのー。なんというか……。怒りのやり場にこまったというか」
「ふーん?」
のこりのアイスがたれ落ちそうになって、ノワールはあわてて舌ですくいとった。
ブルーハワイの氷菓子がなくなった木の棒には、「はずれ」と刻印されてある。
なお、現地の自衛団から器物損壊の罪を問われた和泉だが、【悪魔】をまねく集会への調査にきていたという事情をはなし、『ソロモンの指環』の見せたところ、あっさり無罪放免。釈放をもぎ取った。
「メイちゃんから、あらかた聞いてるわよ。徒労におわっちゃったらしいわね。ごめんなさいね。私の杞憂だったみたい」
「もともとは、シロが心配していただけのような。でも、やっぱりノワールさんも気にしてたんですね」
「んー? まあね。でなけりゃ、ふたりもけしかけたりしないわ」
「おもしろ半分――ってことは、ないですよね?」
ノワールは小さく笑ったまま、肯定も否定もしなかった。
「う……ううん……新刊……」
ほんのり焼けこげた黒ずくめが、ぴくりと動く。穴のあいた目の部分――奥にまぶたが見える――が、わずかにふるえる。
「――はっ!」
がばっ! 黒ずくめが起きあがる。
和泉は彼女が上体を起こすのとほぼ同時に、その顔をかくしていたトンガリ頭巾をうしろに引きおろした。
金色のボブショートに花の髪飾りをつけた、童顔の少女。カリオストロが、あたふたとあたりを見まわす。じぶんの現在地を確認する。
「ここは? バフォメットさまは? プログラム2863番・【愛があれば、性の差なんて!?】は?」
「知ったことか!」
ぺちんっ。
カリオストロの後頭部を、和泉は平手でぶった。ぼとりと絨毯からおっこちた少女を、「あらら」と哀れんで、ノワールはいくつか残っている荷物のほうに注意をやった。カリオストロのものだろう。
「ねーきみ。この紙袋ってなに? なーんか、うすい本がいっぱい入ってるんだけどー」
「ほほほほほ! 地下クラブ『魔王結社』で購入したものですわ!」
「へー。なんか斬新ー」
ぱらぱら。
袋から取りだした一冊を、ノワールはめくって閲覧する。
ちらりと横からこっそり和泉はのぞいた。表紙が【表】の世界で見なれたデフォルメタッチの絵柄であることに気づいて、ノワールにさけぶ。
「ノワールさん、それっ。オレにもちょっと貸してください!」
「やだ」
「なんでなんですかっ! いいじゃないですか。見せてくださいよっ」
「はいはい」
「ああんっ。わたくしのですわっ。かえちて!」
ぴょんぴょん跳ねて本を取りかえそうとするカリオストロを、頭上に手をやることでノワールはかわす。
ほいっと和泉に投げ渡した。(※よい子はこんないじわるしないよーに。)
和泉はすばやく、本のてきとうなところをあける。
斯くして、なかみは予想したとおりのものだった。
(コマ割り、フキダシ……ベタとかトーンとか! まちがいない。これは――)
漫画だ!
押しよせるなつかしさの波に、和泉は泣きそうになった。
と思ったらすでに泣いていた。
最初のページにもどって、あらためて読みなおす。シリアスなサイエンス・フィクションとか、ギャグにふりきった冒険ファンタジーとか。オリジナルの短編が、一冊に編纂されている。
エッチなのはない。
「なんてこった。この世界に漫画があったなんて……」
「バフォ様がひろめたのですわ。彼女は戯画のこころえがありまして。ヴォーカル活動のかたわら、こうした創作も布教していたのです。最初こそ、だれもあいてにしていませんでしたが……。すこしずつ認められていき、いまでは感化された『同士』のものたちが、それぞれの空想をえがき、自費出版の読みものとして、発行しているのです。そして年に一度だけ、プリンピンキアの会場を借りて、大規模な即売会をおこなっているのですわ」
「……いわゆる。同人誌ってやつだな」
和泉が知っているかぎりでは、「同人誌」というのは原作つきの「二次創作」というイメージがつよい。
だが二次創作は、あくまでカテゴリのひとつ。
同人誌――同人雑誌ともいう――は、志をおなじくする者が、共同で編集・発行する読みもののことをいう。
書き手たちの「オリジナル作品」のみを綴った雑誌もあるのだ。
というか、本来的にはそっちのほうがふつーだ。
和泉が手にしているのは、後者のほうの同人誌である。そしてカリオストロが、ノワールからかえしてもらった紙袋にはいっているのも、すべてオリジナルの創作物だった。
カリオストロの手がのびてきて、ぴしゃりと和泉から漫画を取りあげる。ケンタウロスやホビットたちのいるゲームチックな世界で、ノームの主人公の学生生活が、いい感じにはじまりそうだったのに。
「つれて帰ってきてくれたことには、感謝をもうしあげますわ」
カリオストロは、ぱっぱっと漫画冊子から汚れをはらった。
魔法の絨毯にのこっていた、じぶんの旅行トランクをひきずりおろす。
ウォーリックが、カリオストロの宿泊していたホテルの従業員にはなしをつけて、持ってきてもらったものだ。カリオストロもまた、ウォーリックと同じホテルに泊まっていた。
なお、和泉たちが帰路につくまえに、彼の女男爵どのは、ひとあしはやく馬車駅に行ってしまった。首尾よく「魔法の関所」をとおるワープ便をつかまえて、先に【学院】についたのだろう。
あやうい動きで鞄をたずさえて、カリオストロは、ぺこりと和泉にあいさつする。
「それでは和泉先生。わたくしはこれで。急がなければなりませんのよ。史貴先生にも、いくつかたのまれていたサークルのがありますから」
重たそうに本のいっぱいつまった四角い紙袋をかかげて、カリオストロ。
彼女は和泉が「学長が?」と訊きかえすよりはやく、呪文を唱えた。
「空をまたぐ、智者の伝令」
カリオストロのベルトシューズの下を、青い円がかこう。
一瞬後、円のなかにいた少女は、和泉たちのまえから消えた。空間を転移したのだ。
【学院】の敷地内には、いくつかの転移指定紋がきられているから、そのいずれかに飛んだのだろう。【学生寮】か。はたまた学院長室のある【学舎】か。
「ねえ、」
虚空をつかんだ和泉に、横からノワールが黒い長髪をゆらして問う。
「【表】の出身者って、そんなに漫画が好きなの?」
「……。……。まあ。それなりに」
和泉はおおむね認めた。
かぶりを振って、思考を切りかえる。
「悪魔の召喚がどーのこーの、さわいでフタをあけてみれば……ただのイベントでしかなかったなんて。拍子抜けですよね。なんもなくて、よかったにはよかったんですけど」
「そうね」
みじかくノワールはつぶやいた。梢にのぞく校舎の尖塔に、くるりとからだをむける。
「シロちゃんには、私から『デマだった』って伝えておくわ。んーなことしなくても、さっきの娘がおおむね教えちゃいそうなもんだけど」
「ははっ。かもしれないですね」
頬をかいて、和泉は去りゆくノワールを見送った。
絨毯から魔力をぬいて、くるくる巻きとっていく。乗ってふたたび浮上して自室に帰ってもよかったが、すこし歩きたい気分だったのだ。めんどうでも、ここから持って移動することにする。
(れーせーになってみれば……)
今回の件については、言いだしっぺのシロよりも、ノワールのほうが警戒していた気がする。
優等な魔法力を保証する【貴族】とはいえ、まだ学生のウォーリックにまで調査をたのんだというのだ。
もしかすると、そちらもシロ経由なのかもしれないが。
なんとなく、ノワールの独断で、あの受験生の魔術師は、勉強に忙しいこの時期に、あの観光地へ追いやられてしまったのではないか。
草を踏みわけ、山道をのぼり、なつかしの校舎と森林庭園のひろがる【学院】の敷地にはいる。
秋の深まりゆく庭園の、さらにむこう側にいけば、学生寮や、教員たちの住まう宿舎の建つ、居住区に出る。
休日ゆえに人のいない――学長は執務室にいるのだろうが――城をながめ、和泉は思った。
(誰にでも、怖いものはあるってことなのかな)
学長のそばにいるであろう、使い魔の少女・シロをたずねにいった、黒猫の女性・ノワール。
彼女の、ここにはないうしろすがたを幻視しながら。
(オレはなんにも知らないんだな)
白い襟足を掻いて、自室のあるアパートメント――宿舎へと、和泉は歩いていった。
明日からまた仕事だ。
〈おわり〉
〇以上で『鉄と真鍮でできた指環《4》 ~魔窟のエクストリーム~』は終了です。
〇つぎの投稿は、れんらく用の文章となります。内容は『完結のお知らせ』などです。
読んでいただいて、ありがとうございました。