56:「しょうがないなあ」
・前回のあらすじです。
『男爵のメイ・ウォーリックと会えたレオナ。そのレオナの正体が、明かされる』
「う……。……」
「う?」
お辞儀をしたレオナのそばで、苦しげな声があがった。和泉だ。
髪だけでなく、全身をまっしろにして、彼はつっ立っていた。
その硬直状態から、ようやく脱する。
「うおおおおおおおおおお!」
ばちこおーん!!
振りかぶった和泉の右拳が、レオナの横っつらをぶん殴る。
手加減なしのグーパンチに、なんの用意もなかったレオナは、殴られたいきおいのまま吹っ飛んでいった。
すっかり片づけを終えていた、『完売しました』の札をつけた長テーブルに、どんがらがっしゃん。頭から突っこむ。
「ぶへえあ!?」
へんな悲鳴をあげるレオナに、ストレートパンチを繰り出したポーズから、さらに追いうちをかけようと、和泉は歩きだす――。
目をまるくして、ただただあぜんとしていたウォーリックだが、
「なっ――。なにをしているのですか。和泉教授!」
「うるへえー!!!」
ギンッ!!!
ものすごい剣幕でにらまれて、ウォーリックはみじろぎした。
彼女の首にストーラのごとくたれさがった黄色いへびも、こころなしか怖じ気づいたように、主人のえりもとに巻きつく。
テーブル近くにいた売り子らしい黒ずくめたちの、まごまごしたさまも、和泉には見えていないようす。
血走った義眼を、和泉は、とりあえずウォーリックに向けつづけた。
「こんな狼藉がゆるされるかっ。だまされたっ。オレは……。この男に、だまされたんだ!」
身も世もなく泣きはらしながら、ずびしっ。と和泉はテーブルに突っこんで尻をこっちにむけたままのレオナを指さす。
「だまされた……。なにか、金銭でもうばわれたのですか。レオナルドに」
「ちがあああううっ。そおじゃないっ。気持ちの問題だッ。だってさ、オレはさあっ。ウォーリック……!」
だんだんッ。だだダダあンッっ。
じだんだ踏んで、酒にでものまれたかのごとく。怒ったかと思えば泣きだす和泉に、そばにいるウォーリックも、まわりにあつまってきた野次馬たちも、なにもできないでいる。
和泉は訴える。ぐしゅぐしゅ。洟をすすりあげながら。
「オレは……。オレはっ。こんな理想的な女の子が、この世にいたんだって嬉しかったんだ。なのに、それが……。その正体が、実は男だったなんて……。あんまりだろ!」
「いっ。和泉さん……」
よろよろ。
まっぷたつに割れたテーブルのあいだから、血まみれになったからだを起こして、レオナがやってくる。
見ずしらずの黒ずくめたちが、彼女……。彼の両わきをささえてやって、歩くのを手伝っていた。いいひとたちだ。
「そのー。和泉さんのいう『理想的な女の子』が、この世にいないとまでは言いませんけど。私が考えるに、『男が女になりきろうとする』場合、どうしても『女の子らしさ』を意識してしまうというか。そういうところを知らないうちに強調してしまうので。結果的に『男からみた女性像』っていうのを体現してしまうのかなあ。と。だから、和泉さんから見て私のありさまが、『理想的な女の子』っていうふうに映ってしまったのも、むりはないんじゃないかなーと。――げふおうっ!」
「れーせーに解説してんじゃねえやああ!!」
ばごおーンっ。
予備動作なしのアッパーカットで、和泉はレオナの華奢な下あごを撃ちぬいた。そこかしこで、
「なあ。あいつ、止めたほうがよくね?」
「おまえ行けよ……」
「やだよ。ふつうに噛みついてきそうだもん……」
などと、おたがいをせっつきあう黒ずくめたち。彼らの声が、聞こえたわけでもなかろうが。
「やめなさいっ。みっともない!」
「くっ……!」
打ちあげられたレオナを地上でキャッチして、ウォーリックが、和泉とのあいだに割りこんだ。
レオナはすぐさま、あらわれた擁護者の庇護にあずかるべく、ウォーリックの背後にしがみつく。
和泉は恥も外聞もなく、わめきちらす。
「あまやかすなウォーリックっ。あとおまえもッ。仮にも男なら、女のうしろにかくれるんじゃねえッ。かっこわるいぞ!」
「男か女かであるまえに、レオナルド・アルフォンソ・ダ・フォックスは、わたくしの領民ですわ」
和泉の大声に、負けじとよく通る声で、ウォーリックが反駁する。
当のレオナは、領主の腰にひっしと抱きついて、すっかり守られる子分の体である。
「ううううう……。にわかにガキ大将気取りやがってえ~。……しかも、いまのはみょお~に説得力があるんだよなあ……」
「それはどうも。……それより、」
事態が鎮静化したとみてとって、ウォーリックは話の焦点をレオナに変えた。
「あなたも。いいかげんはなれていただけますか。レオナルド」
「ウォーリック様。私のことは、どうか『レオナ』と」
「離れろ。と言っているのです。レオナルド」
「レオナです」
「レオナルド――――」
「レオナです」
黒い瞳で見下ろしてくる領主に、きっちり視線を合わせて、レオナ。
(……オレが思ってたより、はるかに図太いのかもしれない)
事前のおどおどとした態度はなんだったんだ。と和泉はギリギリ歯噛みして、ウォーリックに食いさがるレオナを睥睨した。
レオナの呼称について折れたのは、ウォーリックのほうだった。
「では。レオナ」
「はいっ」
ぴょこんっ。レオナは立ちあがる。
きちんと直立してみると、レオナとウォーリックはほとんどおなじ背丈だった。
ウォーリックが問う。
「なにかわたくしに、話したいことがあったのではなくて? よもや、ただ見かけたから呼んだだけ。というわけでもないでしょう」
「…………どうして。そう思われますか」
「だいぶと切羽詰まった顔をしていましたから」
和泉のうしろに隠れていた時。レオナのおびえきった表情を思いかえして、ウォーリックは答えた。
レオナはうつむく。
血のついた、ひらひらの、スカート丈のみじかい、メイド服をつまんで。
「その……。お話ししたかったのは、このことなんです。おれは――私は……。プリンピンキアにきてから、やりたいことが見つかって……」
「女装が?」
ツンと返ってきた言葉に、レオナは、より深く、首の角度をしたにやった。だがすぐに、それではだめだと自分を鼓舞する。勇気を振りしぼって、男爵に答えるべく、頭をあげた。相手がどれだけあきれ、怒り、あるいは……。見損なったような表情をしていたとしても。
「……っ。……!」
発しようとした音は、のどまであがってきて、止まった。
レオナの予想していたとおり、ウォーリックは、どこかあきれていた。
あきれて。しょうがないなあ。とさえ言いそうな、笑顔で。
静かに、レオナ・フォックスを見つめていた。
「……『女装が』。というか……」
レオナは、正直に話すことにした。
「好きな服装をしていたら、いつのまにか、こういう女の子らしいかっこうになっていたというか……」
「そうですか」
ふっ。と息をつくようにして、ウォーリックは言った。
くちのはしには、まだほんのすこし微笑がのこっている。
「バロネス・ウォーリック。あの。申しわけありません。絵の勉強のために、この学校にやってくれたのに……。こんな――」
「こんなふうに、好きなことができているのですね。レオナ」
堰を切ったように、斬鬼と謝罪の念をくちにする少年を、ウォーリックはさえぎった。レオナはただ、質問に答える。
「……。はい」
「なら。あなたにわたくしが言うことは、なにもありませんわ」
「……。……」
レオナは息がつまった。
お礼を告げるべきなのに、出てこない。ただぺこりと頭をさげて、逃げるように背をむけた。そのまま領主のもとから走り去ってしまう直前に――。
「うれしいです。男爵様!」
あわてて振りかえって、ありったけの気持ちをこめて、レオナは言った。
男爵様がどう受け止めたかはわからない。礼も言えない不調法者。と機嫌を損ねたかもしれない。
だがレオナは、感じたことをそのまま伝えることにした。
それでよかったのだと思った。