55:いいかげん。本作品の【キーワード】になにをいれるべきか。まじめに考える時がきたようだな。
・前回のあらすじです。
『地下のホールにやってきた和泉とレオナ。そこで「男爵様」をみつけたレオナが、声をはりあげる』
「男爵様!」
レオナはさけんだ。
ながい黒髪の、ドレスすがたの魔術師に。
あいては振りかえる。
紫の目が。佳人のうるわしさと冷徹さをあわせた怜悧な視線が。ふるえ声をあげたツインテールの少女をしっかりとつかまえる。
「バロネス。って…………」
おいこら。
と言いたい気持ちをこらえて、和泉はひくりと顔を引きつらせるに留めた。
飾りベルトの三本あるコルセットを巻いた、細身のドレスに身をつつみ、首から使い魔の毒へびをひっかけている、うつくしい少女。
日本人の和泉にもなじみのある黒いストレートロングの髪。紫紺の光沢があるものの、「黒瞳」と称してさしつかえのない、黒味のつよい両眼。
【学院】のなかでたまにすれちがう……ほかの教員からも、授業態度の悪さで頭を抱えられている、高飛車な女魔術師。
「ウォーリック。だよなあ。どう見ても。おまえはただのメイ・ウォーリックだよな」
レオナに反応した少女を、両腕を組んでうんうん首をかしげながら、和泉は確かめる。
メイ・ウォーリックは【学院】の高等部三年生の生徒で、まだ和泉とおないどしと若いが、ちいさな領地をおさめる領主だ。
もっとも。和泉は爵位があるとは知らなかったが。
黒髪の魔術師――ウォーリックの瞳が、ちら。とレオナから逸れる。
「ああ。いたのですか。ただの和泉教授」
「くっ……。なんでおまえがこんなとこにいるんだよ。っつーか。バロネスって?」
「わたくしのことですわ。とは言え、この世界に『王』はいないので、【貴族同盟】のほうから賜った、ちょっとしたあだ名みたいなものですが」
「そうかよ……」
辛辣な切りかえしに――和泉が言ったことをそのまんま返しただけなのだが――奥歯をきしませて、和泉。
ふたりのあいだで、レオナのふたつに結ったモカブラウンの髪が、右に左にゆれる。
「あ、あの。お知りあいなんですか。――バロネス・ウォーリック」
「【学院】であいさつをかわすていどには。……というか、」
ウォーリックは和泉のあいてをさっさとやめた。
冷たい。というよりは、警戒する者にありがちな、疑うようなまなざしでレオナを射る。
「あなたは?」
ウォーリックはレオナに問いかけた。
一瞬。レオナの灰色の瞳から光が消えた。
「おいっ。そりゃないだろ!」
和泉がレオナのまえに出る。
ショックを受けて竦んだ彼女をかばうため、自分の背なかに押しやった。
目のまえの、若い魔女。
御年十八で、来年の一月に【学院】の大学部へのテストをひかえている受験生の女子生徒は、実のところ、二カ月ほどまえに和泉とともに仕事をこなした仲である。
大陸南部で起こった薬物事件の解決というのがおおまかな内容だが。
そのときの印象では、彼女は一度知りあった人間に対して、「だれですか。あなた」と知らんぷりをするような、陰湿さはない。
ましてや。レオナは必死の決意をしてウォーリック男爵のまえに立っている。
ぷるぷる震えるレオナ・フォックスのようすから、彼女の心情を組み取ることができないほど、ウォーリックの想像力はまずしくない。
そう信じさせてくれるだけの矜持の高さが、彼女にはあった。
が……。
「この子から聞いたんだ。彼女は、おまえんとこの領の出身で、なんでも男爵さま――つまりおまえだよな――から学費を出してもらって、この学校に来れたって」
「学費?」
片方の眉をつりあげて、ウォーリックは怪訝な顔つきをした。
一歩。レオナに近づく。一歩。レオナがさがる。
和泉のうしろに隠れてしまったメイド服の少女を、ともあれ、ウォーリックはすこし身をかがめてのぞきこんだ。
「わたくしが? この娘にですか」
「ちがうのか?」
きょとん。
としたウォーリックの表情からは、険悪な惚けを感じられない。
本気で「だれ?」と、知らないひとを紹介された者の、困惑顔だった。
ひとつの可能性に思い至って、和泉はうしろからパーカーのすそをぎゅっと握ってくるレオナに意識をやった。
「と。いうことは。もしかして、ひとちがい。……かな?」
「まさかっ。自分の出身地の支配者をまちがえるような無礼なまね、私はしません。でも、」
和泉のうしろに隠れたまま、レオナはしゅんとした。
「そうですよね。わからなくて当然だと思います。ウォーリック様。あの。私です。――いえ。……――です。」
(あん?)
ぽつり。
とレオナの発した一人称に、和泉は胸中で耳を疑った。
ウォーリックには聞こえていない。
……が。さきほどの「学費」にまつわる話に、身におぼえがあるのか。
まさか。というかたちに、彼女のくちがひらいていく。高貴なうつくしさに満ちたかんばせから、血の色が失せていく。
「レオナって。いえ、でも。そんなことが――」
ひとりごちるというよりは、自分のなかに生まれた、論理的に「正解」であるはずの「仮定」を否定するように。ちいさくうめくウォーリック。
彼女のつぶやきに、レオナがかぶせた。
声のトーンを、ソプラノから――。ずっと。
「おっ。……おれですっ。 ウォーリック様! ご出資をいただいた……フォックスです!!」
――ずっと。低くして。
広間の一画を、少年らしいテノールがふるわせた。
がちゃん。
と音がしそうないきおいで、和泉が石化する。
ウォーリックもまた、聞くまいと耳もとに両手をあげるも間に合わず、停止する。
それでもそのままフリーズしつづけなかったのは、領主たるものの意地か。民に対する献身か。
「なにがっ。レオナですか……!」
現実をこばむ苦悶のうめきは、このひとことを最後にして、ウォーリックは和泉のわきからびくびく顔をのぞかせている少女――否。
少年に、彼が忌避してやまない、両親からつけられた本名を叩きつけた。
「やっとわかりましたわ。レオナルド。レオナルド・アルフォンソ・ダ・フォックスっ。確かに、わたくしが美術魔法の才を見出し、このプリンピンキアへやった、魔術師です」
「ごぶさたしております。それと、その節はどうも……。ありがたく存じております」
もぞもぞ。
やっと和泉のうしろから出てきて、レオナ――。
レオナルドは、十七才の少年らしい、あどけなさの残ったテノールのまま、ウォーリックに一礼した。
着ていたメイド服のスカートをつまんで。緊張しながらも、優雅に。