41:人生のすべて
・前回のあらすじです。
『和泉が「本気だす」って言って、全力でほかのひとをたよりにする』
(※サブキャラクターの視点からはじまります)
〇
――声をかけられなかった。
昨日見かけた「男爵様」のうしろすがたに、レオナはなにも言えなかった。
今日以上に雑踏が多く、にぎわっていた宮殿づくりの校舎内。
その一室に、あの人はいたのだった。
学校長の、ゴッホホ教授の展示会をみていたのだ。
一階の廊下で、ゴッホホ本人がしつこい客引きをしていたから、もしもそのゴリ押しにまけて鑑賞に上がったのだとすれば、律儀のような気もする。
だが。レオナが「男爵様」に抱くのは、そのていどの感情だった。
学校への資金も出してもらい、なにより将来に期待をしてくれているのだろうに、それに対する感謝よりも、猜疑心のほうが先に立つ。
それは劣等感のあらわれなのかもしれない。
絵へと方向をさだめる魔術師は、うらをかえせば「音」による魔術を習得できなかったがために、ちがう分野に移ったとも言える。
呪文による魔術の発動において、満足な成績をのこせなかったために、材料さえそろえばあるていどの現象を保証する画工タイプに切り換えたと。
この理屈に反論するのはたやすい。
だが「言うはやすし」とは言ったもので、美術系の魔術において、音の魔術を上まわる結果をのこしたものはいない。
前人未到の領域。といえば聞こえはいいが、負け犬の遠吠えでもある。
純粋な画工として生きていくことを考えていない以上、系統はちがうとはいえ、一般的な魔術師――呪文をつかいこなす術者との力量差を、無視することはできなかった。
「男爵様」は、おそらくは天才の部類に属する。
すくなくとも、レオナには手の届かないという意味において、神にも匹敵する才能の持ちぬしであることに変わりはない。
そんな魔術師が、あきらかにおなじ術者として、はるかに劣る自分に大金を投資する理由とはなんだろう。
あとでなにか、むりな要求でもされるのではないか。
されてしまったとして、いわゆるひとりの魔術師として「おちこぼれ」である自分に、なんの役に立てるというのだろう。
なにより、今の自分のありさまを見て、突き放されてしまったら。
――そんなことをさせるために、学校へやったわけではない。
と。
あの人なら、ごまかしも衒いも、隠すこともせずに、切り返してきそうだった。
例えそれが、レオナの人生のすべてを否定するものであったとしても。
(だめだなあ)
とレオナは思う。
宮殿の西棟。
四階にならぶ個室のひとつである。
魔法によって拡張されているのは、ひろい校舎のなかでこのフロアだけだった。
もとの面積と容量が大きすぎて、空間をひろげる必要がなかったというのもあるけれど、真相は「できなかった」のひとことに尽きる。
あっちもこっちも、ぽんぽんと空間をゆがめて領域を拡げたり、つなげたりする技術は、プリンピンキア美術魔法学校にはない。
場所を限定してなら、「壁画」の作成によってなんとかなるが、それも何人もの職人が数日がかりで描いて、やっと可能になるというしろものだった。
工事にも似た塗装によって増設されたエリアには、生徒のためのアトリエがずらりとならんでいる。
使う画材によっては制作中の暴発もある絵魔法だが、工房の内外になんらかの防御措置をほどこしている。……ということはない。
自分にあたえられた制作現場。つまりはほどよい広さのある一室で、レオナはぼんやりとスツールに座りこんでいた。
目のまえには、描きかけの――というのもおこがましい。覆いをかけたカンバスが一枚、イーゼルに立てかけられている。
四角い、まっしろな面が、まんぜんと椅子のうえの創造主をみつめかえす。
「ぬしさまー。せっかくのフリーなのに、絵のつづきをやるの?」
レオナとおなじく、スツールに座ってぼんやりしていたミーコが、おっくうそうに、立てたひざに頬をくっつける。
レオナは答えない。
画材を手にすることもなく。彼女はまるで、そうしていれば着想が降ってくると信じているかのように、カンバスをながめつづけていた。
「声。かけたらよかったかなあ……。男爵様に」
「そりゃあそうよ。せっかく来てくれてるんだもん。お礼くらい――」
「あの人も、悪魔について調べてた……」
レオナは独白するように言った。ミーコは言葉をひっこめる。
主人が、男爵のうしろすがたをみつけ、自分が腕をひっぱってあいさつをすすめるのを、消極的にだが拒絶したのはわかっていた。
消極的。
レオナは、その場から逃げだしこそしなかったものの、あいてがこちらに気づかぬまま、どこかへ行ってしまうのを見送った。
そしてそれ以上、追いかけることをしなかった。
引け目があるのだ。
もとより身分的なちがいもあり、男爵に対してレオナは委縮することが多い。それ以上に、あいてに自分の現状を知られたくない気持ちがある。
レオナが子どものころから、ずっとそばで見守ってきたミーコには、主人がなにを考え、なにを思いなやんでいるのかくらいはわかる。
あるじは男爵に――自分が夢を追いかけるのに、おしげもなく投資をしてくれた恩人に、見放されるのが怖いのだ。
そんな心配を抱えこんでしまうくらいに、レオナは変わってしまった。
ふるさとにいた時とは、比べものにならないくらいに。
――あの集会に、参加してから。