39:まじめに
・前回のあらすじです。
『あれ。主人公のあたま。悪すぎ?』
「わるいんですけど。ノワールさん。話したいのは悪魔のことじゃなくって」
水晶球のむこうにいる女性に、和泉は言った。
さして興味のないちょうしで、あいて――ノワールは聞きかえす。
『そうなの? じゃあ。なんなのかしら』
社交辞令か。でなければ「さっさと切れ」と言外に強いているかのような温度感。
和泉は逃げ場をもとめるように、となりに座って待っている使い魔の少年をちらりとみた。
「クロに聞いたんですけど。ノワールさんって、絵とか買いこむことあるみたいじゃないですか。それもけっこう高いやつ」
『あるわよ』
「それってなにを基準にして選んでるんですか。あと、師匠の生活費って、だいじょうぶなんですか?」
『あら。他人の通帳のなかみなんて気にしちゃだめよ』
「いや。さすがに金を勝手につかうのは見過ごせませんよ。弟子として」
『うーん』
水晶玉での通信を、切られてしまうかもと和泉は思った。が、使い魔にはそこまでの魔力はない。
片手におさまるオカルトな通信機のなかで、黒い長髪の美女は、すこしだけあたりを――キッチンのとなりにある洋間を――うかがうように、顔をめぐらせる。そこにあるじがいるのだろう。
『できればうちのあるじさまには黙っててほしいんだけどお』
「内容にもよります」
『安心なさいって。べつに借金してるとかじゃないから』
こちらの心をみすかして、ノワールは機先を制す。和泉が肩からちからをぬいたのを同意とみなし、彼女はつづけた。
『実はね。うちのあるじさまって、特許とか持ってんの。あの子ああみえて手先は器用だし。あたまはいいから。でもね、おかねに対して無頓着ってゆーか~。自分が今いくらくらい貯金してて、毎月どれだけ使ってるか、知らないのね』
とうめいな球体のなかで、ノワールがしなをつくる。なまめかしいというよりは、あまえような彼女の仕草に、和泉はあぜんとした。
ノワールはつづける。
『で。まあ。あるじさまが貯金の額を知らないのもね。私ってゆー優秀な使い魔が、全部やりくりしてあげてるからなのよ。ちゃんと毎月、不足にならないようにお小遣いもあげてるし。信用してくれてるわけ。彼女は』
「……。……。……。……」
ずぼらなだけの気もするが。
金銭のすべてを他者にまかせるというのは、いくらなんでも無防備はなはだしい。
管理能力に自信のない和泉でも、毎月の収支は計算しているし、使い魔に財産管理のいっさいをまかせることはなかった。まかせようと思ったことすらない。
『とゆーわけでー。私のあるじさまが知ってるのは、私が申告した金額だけってことなのね。だから私は、実際のたくわえと申告分との差額を、自由につかえてるってわけ』
「それ。横領っていうんじゃないんですか?」
『えらい人たちの社会ではね。でもねー。私たちとあるじさまなら、べつにいいじゃないの。知らぬが仏だわ。それに、一生かかっても使いきれない額なんだもの。いいでしょ。ちょっとくらい』
なっとくはできなかったが、いつまでも脱線するのももどかしい。
和泉は近くの人たちが受付に水晶玉をもどしていくのを気にしながら、本題に引きもどすことにした。
「わ、わかりました。じゃあ。師匠にはノワールさんの浪費について黙っててあげるんで。そのかわり、さっきの質問に、かなり本気で答えてくださいね」
『ふーん?』
ノワールが返したのは、挑戦的な声音だった。
『いいけど。あなた。さっき私になんて言ったっけ?』
「絵を買うとき、どういう基準で選んでるんですか。って言いました」
ノワールは鍋のほうにもどって、ゆがいていたパスタを笊に引きあげた。湯切りをする。
昼食。もしくはブランチだろう。もう昼の十一時だ。
食事のしたくをしながら、ノワールは和泉に答える。
『まじめに返すと、なんとなく。かしらねー』
「あの。本気でおねがいしますってば。それで困ってる人がいるんだから」
あいまいな回答にいらついて、和泉は凄んだ。
ノワールはフライパンにオリーブ油をひいて、スパゲッティとミートソースを炒めあわせながら、さっきと変わらぬちょうしで返す。
「まじよまじ。大マジ。画力がないのだって、魔法が使えないのだって、ほしくなったら買うもの。私。逆にめっちゃうまくても、つまんなかったら買わないわよ。んで。作り手にとっては不名誉なことに、買っても飾らずにクローゼットに閉じこめちゃったり、焼き捨てちゃったりすることもあるのね』
「場所を取るとか、飾るところがなくなっちゃって。ってことですか?」
『いや。なんかふつーに。いらなくなって。てか、理由はあんまりないかな。たまに「捨てるくらいならちょーだい」って言ってくる人もいるんだけど、こっちとしては「あげるくらいなら、私の好きなようにさせてよ」って思うわけで。当初の予定どおり、捨てたり燃やしたりしちゃうのよね』
「……。よくわかんない感性っすね」
『かもね。でも、私にとって芸術ってのはそーゆーもんなのよ。あ、だからね。私は絵とかより、コンサートとか劇のほうが好き。あとくされなくて』
「そうですか」
カクン。と和泉はうなだれた。
ノワールの意見は、聞くだけ疲れるというか、聞かないほうがよかったレベルのものだ。
まちがっても、レオナには教えたくはない。がっかりさせるだけなのだから。
こちらの気などつゆ知らず。ノワールがにっこり笑ってくる。
『参考になったかしら?』
「はあ……。努力しても意味のない世界ってのだけはわかりました』
よくみがかれた水晶のまんなかで、ノワールがおかしそうに笑い声をあげる。
『あははっ。努力に意味なんてないわよー。価値が高いってだけで』
――。
せりふの後半で、和泉は(いずみ)うつむけていた顔をあげた。聞きまちがいかと疑う。