35:気がむいたら
・前回のあらすじです。
『和泉たちが、レオナたちとプリンピンキアの学校に行く』
〇
クロの報酬であるチョコバナナは首尾よく買えた。
宮殿風校舎の東棟。一般教養用のちいさな教室で、学生たちが今まさにできた商品をかごに入れて出発しようとしていたところに、運よく出会したのだ。
レオナが、知り合いである彼らのひとりを引き留めて、和泉たちにひとつゆずってくれるように言ってくれた。
彼らは先日の出店で場所取りのさいにレオナに世話になったらしく、感謝の意をこめて、本来二百円(金券で二百リーラ)のところを、無料で一本よこしてくれた。
学生たちのほうからもどってきたレオナから、チョコレートとチップのたっぷりかかったおかしを受けとりながら、和泉は言う。
「わるいなあ。あのさ。代金、レオナによこすよ。現金で。その……。あんまり良くしてばっかってのも、申しわけないし」
「いいんです。私が好きでやってることですから」
腰のひくくなる和泉に、にこっとレオナは微笑んだ。
肩からずれたピンクのショルダーバッグを彼女は掛けなおす。
和泉は困惑した。
「そういうわけにも。あ、ほらクロ。おまえもちゃんとお礼を言いなさい」
「うんっ」
元気よく返したものの、クロはもうチョコバナナに夢中である。
「ありがとうレオナ。だいすき」
ぱくぱく食べながらのお礼である。和泉は頭が痛くなった。
「ごめんな。もうちょっと行儀のいいやつだったらよかったんだけど。どーもオレには、ひとを教育するちからってのがないみたいで」
「そうですか? じゅうぶんだと思いますよ」
ぺこぺこする和泉に、レオナは愛想よく手を振る。
彼女は自分の使い魔のミーコと手をつないで、先頭をあるいた。
窓の外は小雨になっていた。
が。いつまた本降りになるかわからない。
そんな、ぐずついた天気だ。
〇
レオナの先導で、和泉たちは、おなじ東棟にある画廊にやってきた。
昨日、カリオストロが行くと言っていた展示室である。
教室をふたつ分くっつけたほどもあるスペースに、学生たちのかいた絵が、額縁におさめて飾られていた。
触れないように、立ち位置を規制する赤いロープが張られている。
和泉は順路にしたがって、絵をながめていった。音楽はともかく、絵なんて【表】にいたころに、漫画や、イラスト投稿サイトでしかみなかったため、本格的な絵画やスケッチ、抽象画など、ながめていても到底わからない。
「どうですか?」
一幅の、ギリシャ神話――タイトルには『ピグマリオン』とある――を描いた油絵を見あげる和泉に、レオナがとなりから声をかけた。
美術館では私語厳禁のところもあるが、ここはおしゃべり自由であるらしい。
あちこちから、へえー。すげー。こまかいとこまで描けてる。などと、見物客から声があがっていた。
和泉はレオナに答えた。
「えっと。オレ、絵は描かないし。あんまり見ないから、よくわかんないけど――」
描いた学生が、どこかにいるやもしれない。
彼ら彼女らをがっかりさせないよう、和泉は言葉をさがした。
「でも、やっぱ。うまいんだなって思うよ。色とかも、陰影とかすごいし。写実的っていうのかな? 質感もあってさ。――かなり、いいと思う」
事実『ピグマリオン』はよく描けていた。
技法について知識のない和泉には、専門的なことを語ることはできないが、彫刻師の男ピグマリオンが、自身のつくった乙女の石像に手をかかげ、おそらくは愛をささやいているさまは、美術についてはさっぱりしろうとの和泉をしてさえ、切実ななにかを感じさせる。
レオナがひっそりと笑う。
「じゃあ。買いますか? それ」
「え。――――」
じょうだんめかして返そうとした。が。半笑いのまま、和泉の表情はかたまった。
レオナの目が笑っていない。灰色の双眸には、真剣そのものの昏さがひそんでいた。
「それ。私が描いたんです。おのぞみでしたら、一点一万円でおゆずりします。原価を考えれば、破格の値段なんです。……これでも。サイズや値段が手ごろじゃないなら、ポストカードだってあります。魔術の効果はうすれますが、そちらは一点、二百円です。……どうしますか?」
セールスマンのような口調――。ではなかった。ただのおし売り。でもない。
レオナのまなざしは、こちらの反応をうかがっている風だった。
真剣に問う少女に、和泉はなんとなく、答えをはぐらかさなければならない気がした
「……。……き。気がむいたら――」
「買わないでしょう?」
レオナは、和泉の声にかぶせるように言った。
そのとおりだった。
レオナの描いた絵は、技術的にもきっと問題はなく、きれいで、ひとつの美術品として、高い完成度があった。
だが。だからと言って、金をはらってまで手にいれようとは和泉はおもわなかった。
考えもしなかった。