33:ホテルにて。
・前回のあらすじです。
『悪魔崇拝についてレオナにきいた和泉が、彼女の反応を不審に思う』
朝から雨が降っていた。
学園祭の、二日目である。
【フィレンツォーネ】の町は、黒い雲を頭上にのせて、しのつく雨にけぶっていた。
「ボクの……。ボクの。チョコバナナがあ~……」
なさけない声をあげているのは、和泉の使い魔のクロである。
べったり。宿泊先のホテルの窓に顔いっぱいをくっつけて、彼はうらみがましく本降りの外を睨んでいた。
『中央通信』という地方紙を、部屋のカウチに座って読んでいた和泉は、黄色いサングラスの奥で義眼を半目にした。
ビルディング風の宿。その地上四階の客室から一望できる街並みは、まだ午前だというのに暗い灰色に包まれている。
「泣くなよクロ。ひょっとしたら、屋内で露店、やってるかもしれないだろ?」
「やってないもん!」
クロは窓からはなれて、ベッドのひとつに飛び込んだ。
【表】の世界とはちがって、テレビも冷蔵庫もない部屋だが、かわりに店側がおすすめする雑誌や画集、教養文学などが、背のひくい棚にならべられている。
十月のなかばとあって、ただでさえひんやりとした秋の空気が、窓をたたく雨により、ことさらに冷たくなっていくようだった。
クロがジーンズをつけた脚をばたばたさせる。布団につっぷしたまま。
「マスターは、パンフレットちゃんと読んでないんだっ。雨天時は露店中止って、書いてあったじゃないか!」
(うっ……)
和泉は広げていた新聞で、ゆがんだ表情を隠した。
――昨日。レオナとミーコが去っていったあとのことである。
和泉は空からミーコを探してくれた報酬に、約束していたチョコバナナをクロに買ってやろうと店に行った。
食べものをあつかう出店は校庭に集中していた。
パンフレットを参照したところ、クロが行きたがっていた店は、前庭の西側に出ていた。
混雑がピークに達しつつある昼の学園祭会場を、和泉は人をよけながら店をめざした。
しかし苦労のかいなく、ふたりが到着したときには、チョコバナナの販売は終了となっていた。
売り切れ。というやつである。
店員に訊くと、翌日にまた開店するということだった。
なので。本日はまっさきに、和泉たちは買いにいくつもりだった。
が――。
「まあ。あれだ。クロ。まだあと一日あるわけだし。今日はざんねんでも、チャンスはあるわけで……」
「あしたも雨だったらどうすんだよっ。チョコバナナ買えないもんっ。わーん! ボク、がんばったのに! がんばらされたのにいいい!!」
クロはベッドにひっくりかえって、じたばた手足を振りまわす。
ふだん家に閉じこめっぱなしで、なにかと我慢をさせることが多いクロだけに、こうも運のわるいかたちで望みが砕かれてしまうのは可哀想だ。
ましてや「高級車がほしい」とか「大きなお屋敷がほしい」とか、そういうのではない。
もらえて当然のささやかなごほうびがもらえないのが、なんとも……。はたから見ていて、いたたまれないのだ。
「そうだな。おまえはよくやってくれたよ。えーと。だからだな――」
こんこん。
はげましの言葉を探していると、ドアから音がした。
ルームサービスなんてたのんでいないため、「ん?」と和泉は怪訝になる。騒音に対するクレームかもしれない。
「すみません。和泉さん、いますか?」
ドアの外から返ってきたのは、聞きおぼえのある声だった。
和泉はカウチから立って歩いていく。
どうやってホテルの場所を知ったのか。疑問に思いつつ。
ドアをあけると、ツインテールの、セーターにロングスカートすがたの少女が立っていた。そばには、五才くらいの、褐色肌の女の子もいる。黄色い髪をふたつのお団子にして、彼女――ミーコは、今日も中国風の服を着て、パンダのリュックを背負っていた。
和泉がよほど変な顔をしていたのだろう。
ツインテールの少女――レオナは、ぱッと一歩ひいて、頭をさげた。
「ごめんなさい。その、和泉さんがここにいるの……。人伝に聞いて……」
「ああ。そういうことか」
だとしても妙な気がした。だが和泉は詮索しないことにした。
多少しこりは残るが……。
「あの。今日は、私が学園祭をご案内するということで、おむかえに来たんです。ごめいわくでしたか?」
「まさか。でも――店番とかは? いいの?」
「はい。二日目はもともと、一日みてまわれる予定でしたから。喫茶店って、サークルの子とやってるんですけど……当番はかならず、みんな一日は休みがはいるように調整しているんです」
「レオナああ~」
ベッドから飛びおりて、クロが三人のところにやってきた。ひっしと、ここぞとばかりにレオナのセーターにしがみつく。
「食べものって、今日ほんとに売らないの? ボク、マスターにチョコバナナ買ってもらわなきゃならないのに」
「あ。屋外でやってた露店は、一部校内で移動販売するみたいですよ。教室でつくって売りあるくから、販売点数はすくなくなるし、場所もばらばらになるけど」
『一部の店は』という点に、和泉は不安になった。
クロも「全部だったらいいのに」と不服顔をしている。
ミーコがクロの感情のくもりに気づいた。
「チョコバナナはやるって言ってたよ。618教室でつくるってきいたから、行ってみたら買わせてくれるんじゃないかな」
「ほんとっ。やったあ。マスター、すぐ行こう!」
「わかったよ。――それじゃあレオナ。今日はよろしく、おねがいします」
「はい」
レオナはお日さまみたいな笑顔で大きくうなずいた。
茶色いツインテールが、ぴょこんとはねた。