32:男爵様
・前回のあらすじです。
『和泉がいじめたベンガルトラが、レオナの使い魔・ミーコだった』
〇
洋館を出て、薔薇園から校舎の前庭に和泉たちはもどってきた。
メイド喫茶から駆けよってくる人物がいる。
モカブラウンのツインテールの少女、レオナだ。
「ミーコ!!」
メイド服をひらひらさせて、周囲の客の好奇の目も気にせずに、レオナは三人のもとにやってくる。
「ぬしさまあー!!」
クロとつないでいた手をぱっと離して、おさない少女――ミーコもまた走りだした。
レオナの胸に、ミーコが飛びこむ。
レオナは彼女をひっしと抱きしめた。
「ああっ。よかった。心配してたのよ。どこ行ってたの……」
「ごめんなさい。男爵様がいたから、ごあいさつしなきゃって。だってぬしさま。すごくあの人にお世話になったでしょう?」
レオナにだっこされた状態から、すとんと床におりて、ミーコは主人の灰色の眼をみあげた。
うっそりと、レオナのゆたかな睫毛が、瞳の上半分をかげらせる。
「……。……うん。でも、きっと今の私を見たら、がっかりするだろうな……」
ぽつりとレオナはこぼした。
ミーコは心配そうに、そして哀しそうに、あるじを見つめていた。
レオナの視線が動く。
彼女たちの先にいる和泉とクロは、気まずげに身動ぎした。
和泉が言う。
「あー。とりあえず、その子が――。きみの探してた子でいいんだよな?」
レオナとミーコのまとう魔力は、気配がまったくの同質のものであることを、和泉の鼻に伝えていた。
レオナはしっかりとうなずく。
こらえきれず、和泉は肩をふるわせた。レオナにわめく。
「小柄のとら猫だって言ってたじゃないかっ。まじもんのトラだったなんて、聞いてないぞ!」
「えっ……。い、言いましたよ私。あの。猫科の獣で。トラ縞模様で。小柄なほうなんですけど。って」
「マスターがちゃんと聞いてなかったってことだね」
「ぬしさまをいじめないで!」
「くうううう…………っ」
黒い頭のうしろに手を組んだクロに諭され。レオナのまえに両腕を広げてかばうミーコに睨まれて。完全にわるものの和泉である。
観光客のなかからも、遠まきにこの諍いをながめて「なあに。いじめ?」「やあねえ」とささやきがもれる。
「うう……。いいんだいいんだ。どーせオレなんて……。なにやっても報われないぼんくらなんだ」
「そこまで落ちこまなくっても」
気まずい空気に汗を垂らして、レオナはうなった。
和泉はあてつけがましくレオナたちに背をむけて、しゃがみこんで、地面にたくさんの『の』の字を書きつづる。
雑踏にもどるまえに黒い法衣は脱いだため、この情けない青年が魔術の研究と教育の総本山【学院】の教授であることを知るものはいない。
レオナが咳払いした。
「とっ。とにかく……。ミーコをつれてきてくださって、ありがとうございました。これ、すくないですけど……」
エプロンのポケットから、レオナは十枚つづりのチケットを和泉に差し出した。
プリンピンキアの学園祭でつかえる金券、リーラだ。千円分ある。
「えっ。いいの? カリオストロから、もう二千円分もらってるから、お礼はべつにいらないんだけど」
「いえ。そもそもは私がおねがいしたことなので。あまり差しあげられないのは、申しわけないのですが」
「あっ。いや。うれしいよ。ありがとう」
しゅん。とうつむくレオナから、和泉はうやうやしくチケットを受け取った。うずくまっていた姿勢から、きちんと立ちなおす。
これで金券が三千円分になった。
クロにチョコバナナを買ってやったとしても、まだはめをはずして学園祭をたのしめる金額だ。
「それじゃあミーコ。私、もうすぐ交代だから。そのあとで、いっしょに男爵様のところに行きましょう」
「うん。――でも。どこに行っちゃったかわからなくなったの。校舎のほうまでは、ついていけたんだけど」
「そう。たぶん、作品を見てまわっているんだと思う。視察も込みで来てるだろうから」
「そっか。にしても変だよね。去年は来なかったのに。なにかあったのかな?」
「気まぐれ――。とも思えないけど」
レオナの声に、ふと和泉は不安の色を感じ取った。
脳裏に、トリスの町でシロが言っていたのがよぎる。一部の貴族が悪魔崇拝について騒ぎたてている。――と。
(その男爵さまが、ビビッてる内のひとりで、調査のために来てるってことかな?)
そう考えると、つじつまがあう気がした。首をかしげて、黙考をつづける。
「あのお」
声をかけられて、伏せていた顔をあげる。と、和泉はぎょっとしてあとずさった。
レオナの顔が、すぐ目のまえに来ている。
「どおおお!!」
「あ。すみません……」
レオナは数歩動いて、和泉から距離を取った。
こんなにまろやかな性格の子に、至近距離でみつめられて、和泉の心臓はばくばくしていた。
「その。明日でよければ、学祭のほうを案内させていただこうかと。今日はちょっとむりで。あさっても……。私、集会があるから、だめなんですけど」
「集会って――。あ。ひょっとしてさっき、薔薇園で会ったみどりの髪の男の子と、おなじ集まりとか?」
和泉はレオナに鎌をかけてみた。
はッ。と彼女の両サイドにながれる髪がふるえる。それを和泉は脈ありと受け取った。
「……それってまさか。【悪魔】がらみだったりする?」
単刀直入に和泉は詰問した。
レオナはすばやく、ミーコの手を取る。あさっての方角に、身体をむける。
「い、いこう。ミーコ。はやくしないと、あのひと帰っちゃうかも!」
レオナはミーコを引きずって、露店と客らのごったがえすなかに走っていった。
メイド喫茶の、注文と会計用のテントの奥から「あれ。レオナちゃーんっ」と、高い声が追い駆ける。
「……行っちゃった。まあいっか。ちょっとはやいけど、交代ってことで」
店番を早目に切りあげたレオナを、おなじく当番をしていたメイド服の女性が、小さく肩をすくめてあきらめた。
(『第2幕:フィレンツォーネにて』おわり)
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