31:けむりのヴェールのむこう
・前回のあらすじです。
『襲いかかってきたトラに、和泉が人間化の魔法をかける』
他人の使い魔をむりに人間にかえるのは、一般的にあまり感心される行為ではない。
とはいえ非常時における緊急避難として、いちおうの釈明の余地はあった。
ただし。あいての使い魔に魔法をかけられるだけの力量がなければ、そもそもこの議論は成立しない。
そして大抵の場合、他者の使い魔をばけさせるのは至難のわざだった。
主人となる魔術師と、術をかける魔術師とのあいだに、それだけの実力差がなければ、使い魔の内なる能力を強引に引き出すことはできないからだ。
魔法陣の外側にいるトラは、うすれゆく白煙のなかで、人のシルエットをとっていた。
和泉の魔術は成功したのだ。
じまんをするつもりであらためて明言するが、和泉はそこらの魔術師あいてであれば、魔力の量と強さにひけを取らない自信があった。
【学院】での修業は半端ではないのだ。
「わあああああん!」
術の成功に、ひとり「やったぜ」と悦にはいっている和泉の耳に、かんだかい声が響く。
水をあびたドライアイスのように、人影の足もとに溜まってはながれる白い気体。
煙のヴェールのむこうにあらわれたのは、褐色の肌の女の子だった。
黄色い長い髪をシニョンに結って、白地にピンクの花模様のチャイナ服を着ている。
背中には、パンダのかたちのリュックサックを背負っていた。年齢は五才か六才。
和泉の身長の半分ほども大きさのない――ちいさな女の子が、大きな声をあげて泣いていた。
「あーあ。いーけないんだー。いけないんだー。マスターちっちゃい子泣かせたー」
「やめろっ。ただでさえ自分で『やべっ……』って思ってるとこなんだ。こんな状況、なんも知らん第三者にみられたら……問答無用でリンチだぞ!」
まっさおになって自分の頭を両手で抱えて、和泉は煽ってくるクロにわめいた。
地肌の黒い、エキゾチックな華やかさと、子猫みたいな愛らしさの共存する少女は、ふさふさした睫毛のぬれた両目に手をあてて、わんわん泣きつづけている。
「ぬしさまーっ。どこーっ? へんなお兄ちゃんたちが、私をいじめてくるよおおおお!」
「ちっ。ちちちっ。ちがうっ。ちがうんだ、きみ! オレは、全然あやしい魔術師なんかじゃなくって」
「それってさあ……。めっちゃ犯罪者的なせりふだよね」
となりから茶々をいれてくるクロにゲンコツをあびせて、和泉は黙らせた。
頭のてっぺんを両手でおさえてしゃがみこむ少年を尻目に、あたふた、チャイナ服の女の子をなだめる。
「オレは、レオナって人からミーコっていう子をさがすようたのまれてさ。ひょっとして、きみがそのお――ミーコちゃんかなあ?」
ひざを完全に折りまげて、ほとんど座りこむようになりながら、和泉は女の子の顔をのぞきこんだ。
まぬけなことに、和泉は事前にレオナの魔力の匂いを記憶していなかったのだ。
もっとも。普段から他人のにおいをくんかくんか嗅ぎまわるような性癖を持ったおぼえはないで、それもしかたないのだが。
レオナ。という名前が出たあたりから、少女の泣き声は止まっていた。
ひっく。ひっく。しゃくりをあげて、彼女はゆっくり落ちついていく。
「……うん。ミーコは私だよ。ぬしさまが、私をさがしてるの?」
「うーん。まあ。そういうこと。オレはその手伝いをしてて。で、途中にちょっとした事故にあって、ここに飛んできちゃったんだ。その時に、きみの背中に落ちちゃったんだよ。痛かったよな。ごめんね」
ちいさい子と交流することのすくない和泉は、一生懸命敵意のないことを示そうと、へたな笑顔をつくり、なれない猫なで声を出して少女をあやした。
とはいえ。謝罪についてはまじめである。
クロが和泉のうしろから、少女にひょいと顔を出す。
「ちゃーんときみの主人のところにつれてってあげるからさー。もう泣くなよ。っていうか。なんできみ、こんなとこにいるの?」
「…………」
少女――ミーコはシニョンからはみだした二本のほそい三つ編みをゆらして、顔を伏せた。
つれていってあげる。とクロに言われて、和泉の法衣のすそをぎゅっと掴む。
とりあえず薔薇園にもどろう。と和泉が立ちあがると、少女はしゃっくりのおさまった声でふたりに告げた。
「私ね。男爵さまを追いかけてきたの。でも、とちゅうで見失って……。どうやってぬしさまのところにもどればいいか、わからなくなっちゃったの」
「それでここに入りこんだってわけか」
先を引きつぐ和泉に、ミーコはこくりとうなずいた。
「うん。だってほかのところは人が多くて……。こわくて」
クロのほうに言って、和泉はミーコと手をつながせる。
自分よりサイズのちいさな女の子を見る機会のすくないクロは、「しょおがないなあ~」とカッコつけて渋っては見せたものの、意気揚々と彼女の手を握りしめた。