15:まほうのじゅうたん
・前回のあらすじです。
『和泉が、じぶんの意見でじぶんのくびをしめる』
〇
――『これ。つかっていいわよん』
と。後日和泉はノワールから【マジックアイテム】をもらった。
【学院】にある、自宅のアパートメントである。和泉のような教授や助教、【学院】付属の【魔術研究所】につとめる魔術師にあたえられる、研究室つきの集合住宅【宿舎】である。
『研究室つき』――といっても、学院長や【賢者】の屋敷が持つものには到底およばない。広いリビングルームといったていどの、広間である。
自宅のその広間に、和泉は立っていた。
ノワールやシロと、【トリス】の町で会ってから、一週間後のことである。
彼はいちまいの絨毯を、ばさりと床にひろげていた。
そばにはリュックサックをせおった、黒髪の少年がいる。
和泉の【使い魔】のクロである。十才くらいのみための男の子だ。ブラシで梳いても、すぐにぼさぼさになるくせっ毛に、愛嬌のある黒い両目。
小柄な体躯に、ハーフジップのなが袖と半ズボン、茶色いローファーをつけている。
人間のすがたをしているが、彼もまた、シロたち同様にもとは人間ではない。そのへんを飛んでいた『ハシボソガラス』である。
クロはじっと床をのぞきこんでいた。主人が準備を終えるのを待っているのだ。
「マスター。このカーペット、なに?」
フローリングにしかれた絨毯を指さして、クロは和泉にきいた。
「このまえノワールさんからもらったんだよ。むり言って調査してもらうから、これくらいはしてあげるって」
「そうなの? でもさー。こんなただの布もらってもね。それにボクたち、いまから出掛けるんでしょ? なのにどうしたの? いまからもよう替え?」
予定では、朝の九時にここ【学院】を発つふたりである。
そして現時刻は、朝の八時五十分だ。
「あほか。クロ、オレもちゃんとかばん持ってるだろ? どうやったらもよう替えするように見えるんだ」
「だってえー」
クロは絨毯を指さした。不服そうに。
「これは【魔法の絨毯】なの。おまえだって、聞いたことくらいあるだろ」
「ない」
「それでも【学院】に住んでる【使い魔】かよ……」
「しょーがないでしょ。マスターの使い魔なんだから」
「こっ。このやろう……!」
使い魔のふがいなさは、そのまま契約主である【魔術師】にはねかえってくる。
和泉は「くっ……」とうめくことで、この不毛な会話をおわらせた。
「【魔法の絨毯】ってのはだな、【飛行の魔術】をサポートしてくれるアイテムだよ。空中を移動するときに、操縦者にかかる負担を、絨毯にくみこまれた装置が、いくらか軽減してくれる」
「ふーん」
クロはたいしたこともなさそうに返事した。自分のお鼻を、指でほじほじやりながら。
「……もういいから、のってみろ。窓あけてからな」
「はーい」
クロは主人に言われたとおり、部屋の窓をあけた。それから絨毯のうえに移動する。
朝の、さわやかな空気が吹き込んでくる。
秋晴れの青空は、どこまでもたかく、頭上へとつづいていた。
「じゃあ行くぞ。――上昇を呼ぶ、シルフの唄」
和泉も、荷物とともに【絨毯】にのって、呪文を唱えた。
脳の特殊な器官――これの形成が、いわゆる【魔術師】としての『素質』のめばえだ――から、全身へとおくられた魔力が、適切な発音をなぞって、魔法を完成させる。
ふわり。
発動した【飛行の魔術】が、絨毯ごとふたりを宙に浮かばせた。
本来ならかたちのくずれるはずの敷き布が、【魔鉱石】(この世界に存在する、魔力をやどした石)を内蔵した装置によって、板状のかたちを維持する。
自室の窓から、和泉は山腹の景色がひろがるそとへと魔力のベクトルをむけた。
すーっ。とあまりにもかるい負荷で、魔法の絨毯はアパートメントの上階から、枯れ葉色の山へと飛翔する。
「マスター。戸締りしなきゃ」
「あっ。そうだな」
くるりと和泉は宙でうしろをむき、そとから窓をしめた。
「鬼を祓う、がらすの鈴」
【結界魔法】の呪文を唱え、開かないように出ぐちを閉ざす。
これで、開閉部分に掛けた魔力の鍵を解かない以上、外部からよその人間が和泉の部屋に侵入することはない。
「よし。じゃあ、あらためて行くか」
「うん。うわー、マスターと旅行なんて、ボクたのしみだなー」
「……ま。一生にいちどくらいはな」
男と一緒に旅行して、なにがたのしいんだ。
となさけない気持ちになりつつも、満面の笑みのクロをまえに、あまりしょげてはいられない和泉である。
自分の使い魔を……。ましてや、戦闘力を見込めない、このクロという少年をつれて【フィレンツォーネ】に行くことにした和泉の胸中は、至極単純である。
シロから伝えられたウワサを、信じていないのだ。
(ま、まあ。【美術系の魔術】って、いままで無視してきてたし……ちょっとくらいなら、べんきょーするのもありかなー、なんて……)
内心でひとり言いわけをするものの、もちろんその実は、ノワールの言葉を気にしている和泉である。シロの懸念については、もはや彼のなかで、おまけていどになっていた。
(……学園祭であそびつつ、ひまを見つけて、ウワサのことしらべてみるか)
十月中旬の三連休。
本来なら、ゴロ寝か読書でつぶすはずだったこの三日間を、和泉は【フィレンツォーネ】での滞在につかうことにしたのだった。