契約その166 Motherとの決別……!
「よしお疲れさん。もう大丈夫じゃぞ」
何とか薬の時間内に帰って来たアルは、紫音に血液検査、唾液検査、検尿、体温測定などをさせられた。
「拒否反応とかはなさそうじゃな……。多重人格ゆえのイレギュラーが働いたのか?」
検査結果を見ながら紫音が呟く。
「拒否反応?」
時間が過ぎ、元の体に戻ったアルが聞いた。
「短時間とはいえ体を作り変えるわけじゃからな。体温上昇、頭痛、吐き気、目まい等の症状があっても不思議じゃない」
紫音が言った。
とにかく、色々調べてみるらしい。アルは紫音の部屋から出ていくのだった。
―――ルア、キミに返すよ。この体を。
アルはルアに脳内から話しかけた。
―――え?もういいの?今日一日はあなたに体を返すつもりでいたんだけど。
脳内のルアは驚いた様な声を上げる。
―――ぼくより、キミの方がユニの隣に相応しいから。
アルはどこか寂しげに語った。
―――わかった。でも、私とあなたは一心同体。あなたのやりたい事は全部わかるから。
ルアはそう言うと、リビングへと降りて行った。
「それで、私が気絶したからアルが代役をしてくれたの」
ルアはこれまでの経緯をみんなに話した。
「成程、つまり多重人格になった事で残り人数が増えて、ワンミスしてもコンティニューできる様になったって事か」
アゴに手をやりながらメイが言う。
「はは……まるでマリオみたいに……」
それを聞いたルアは苦笑いした。
だが、こうしてアルの人格が表面化する様になった以上、どうしてもやらなければならない事があった。
ルアはみんなにその事を伝える。
「みんな、私達には行かなくちゃならない所があるの」
ユニ達は、それが何なのかわかった。
「大丈夫?ついて行こうか?」
ユニが善意の同行を買って出る。
「いやいい。これは私達でケリをつけなくちゃいけない事だから」
「……そうか」
ユニはルアの意志を汲んだのだった。
「わかった。行ってこい」
そしてユニ達は、二人を快く送り出したのだった。
ルアが「行かなければならない所」は、しばらく電車に乗る事で行ける。
電車を降り、しばらく歩くとその場所が眼下に現れる。
刑務所である。
ルアは受付で面会の旨を伝え、しばらく待つ。
面会の準備ができたのか、ルアは個室に通された。
個室は、よく刑事ドラマなんかで見る様な面会室そのままである。
ルアに看守が一人、そして面会相手にも一人つく。
よからぬ事をされない為である。
パイプイスに座らされ、ルアは少し待たされる。
しばらくして、面会相手側の看守が低い声で言う。
「面会だ。入れ」
ゆっくりと面会相手側のドアが開き、看守と共に、ルアの母親がやって来たのだった。
灰色の服を着た彼女は、看守に着席を促され、渋々着席した。
ルアには、彼女が心なしか痩せている様に見えた。
「……今更、何の用なの?こんな暗い所に来て。ここはあなたみたいなトップアイドルが来る場所じゃないはずよ」
ルアの母は皮肉混じりに言った。
「本当は、私だって来たくなかった。普通の親子みたいに、同じ屋根の下で話したかった。現実はこんなアクリル板越しだけど」
ルアはアクリル板にそっと触れながら言った。
裁判は、今年の四月に開廷された。暴行、監禁、詐欺、その他の罪によって、彼女には無期懲役の判決が下されたのである。
日本の刑法では死刑の次に重い。
新興宗教を創り、多くの人を惑わせ、狂わせ、傷つけた。むしろ軽い方だとルアは思っていた。
「伝えたいのは近況報告かしら?学校は、仕事はどうとか、そんな普通の親子みたいな会話をしたいのかしら」
母はため息をつきながら言った。
「いやまさか、そんなくだらない事じゃないわよねェ……。あなたは全部持ってる。才能も、富も、愛も」
鳶が鷹を産むというのは、よく言ったものね……と母はまたため息をつきながら言った。
しかし、ルアは実の母の悪態を聞く為にここに来たのではない。
「残念だけど、私はあなたの子供じゃない。私は、私が生んだ人格だから。あなたはそのきっかけを与えただけ」
アルは母から暴力を振るわれた。美少女の姿に生まれたのに、精神が男。
無理やり女装させられもした。こめかみにタバコを押し付けられて、一生消えない火傷も負った。
そこで生まれたのが、母の理想の女の子として生まれた人格、ルアである。
女の子になったルアは、打って変わって大切にされたが、気に入らない事があると暴力を振るうのは変わらなかった。
結局スカウトしたアイドル事務所に引き取られ、過去と決別して新たに「飯戸留愛」という名前を与えられたのである。
だが、図らずも以前の洗脳の一件で、過去の象徴でもあるアルが目覚めた。
ユニ達の手によって母はこうして逮捕されたが、まだ決着はついていない。
やはりルアとアルの二人で。
ユニ達の同行を断ったのも、これは二人で解決するべき問題だからだ。
「だから私……ぼくは!」
ルアはアルに精神を切り替えて言う。
「あなたにお別れを言いに来たんだ。今のぼく達には恋人がいる。仲間がいる。受け入れてくれる人達がいる。それで十分だ」
彼が母に逆らった、最初で最後の時だった。
母は、やけに冷静だった。虚空を見上げている様である。
「そう……わかったわ……」
母はそれだけ言う。どこか憑き物が落ちた様な様子だった。
彼女にとっても、子の存在は呪いだったのである。
そろそろ面会の時間も終わる。ルアは帰ろうと立ち上がった。
「もう会う事もないだろうけど……じゃあね〇〇」
別れ際に、母は二人に声をかける。
まるでそこは普通の母親の様な口調だった。
ルアは振り返らずに言う。
「今の名前は『ルア』で『アル』なの。その呼び方で呼んで。呼ぶんならね」
ルアはそれだけ伝えると、部屋を出て行った。
夜はもうすでに暗くなっている。
ルアは携帯のグループメッセージに、「今から帰ります」とメッセージを送った。
すぐにユニから「由理が夕食を作って待ってる」とメッセージが来た。
それから少し歩いていると、小さな公園が見えてくる。
暗い夜に遊ぶ様な子供はおらず、中はがらんとしていた。
ルアはその中のブランコに座った。
座って落ち着いたのか、それとも周囲に誰もいなかったからか、色々なものが込み上げて来た。
ルアはその前にメッセージに「ごめんなさい。少し遅くなります」と打ち込む。
全員分の既読だけがついた。
それに感極まったルアは、何もいない公園のブランコで、声を出して思い切り……泣いたのだった。
悪魔との契約条項 第百六十六条
人間は誰もが、一人ではない。
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