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夜明けが君に届くまで  作者: ちる
第三章
89/89

89話 月のお姫様の過去と幼馴染の今

 草木が鬱蒼と生い茂る山道を登り始めて早数刻、葉の隙間から微かに見える空は朱から紺色へと移りかけていた。

 人通りが無くなって久しいとは聞いていたが、辛うじて先行きが察せられる程度の獣道でしかないといった印象だ。

 一昨日に降った雨によるぬかるみが未だ乾ききらず、足裏を重くさせる。


 目的地である庵まで、日が落ちきる前に着けば良いのだが。


 麓の村民いわく、この山で暮らしていた翁媼が最近顔を見せなくなったので親しくしていた者が様子を見に彼らの庵へ赴くと、人の背丈ほどはある巨大な怪鳥が住み着いていたらしい。


 怪鳥は今のところ村を襲いに来たりはしていないものの、気が気ではないと。

 怯える村民から頭を下げられ、一宿一飯の礼という形で怪鳥退治を引き受けてしまった。


「俺の手に負える程度ならば良いのだが」


 この山はやけに静かだ。

 今の時期、このような豊かな土地であればもっと獣の痕跡があってもいいだろうに。

 それでいて不浄の者が蔓延っている気配もなく、むしろ御山を思わせるほどの澄んだ気配を感じてしまう。

 いずれにせよ、早いところ解決して彼らを安心させてやりたい。



 『世は人のもののみにあらず、獣にも怪異にもそれぞれの理がある。我々は常に世界の流れを見極め中庸を選ばねばならぬ』


 師から説かれた教えを理解できぬわけでは無い。

 正しいと思うからこそ、今も修業を続けているつもりだ。

 しかし、人の身では容易に対抗できない者共の脅威に怯え、嘆き悲しむ人々を目にする度に、自然の摂理の一部であると飲み込むことに抵抗感を覚える。


 常人には無い力を持って生まれた我が身なればこそ、力無き者の困難を打ち払うために、この力を役立てるべきではないのか。


 何度考えても答えの出せぬ問いに耽ってしまい、払うように頭を振る。


 進むうちに地面の傾斜がなだらかになり、程なくして、あばら家と言って差し支えのない庵の前に出る。



「翁媼は居ないか? 俺は麓の村民に様子を見るよう頼まれてきた者だ」


 腰に差した剣に手をかけつつ庵に向けて声を張る。

 元より答えがあるとは思っていなかったが、案の定何も返ってこない。

 静かで寂しい場所だ。


 亡骸が残っているなら、せめて弔いくらい上げてやろう。


 柄を握る手を緩めて庵の縁側に足をかけた。




+++




 庵の横に翁媼の亡骸を埋め終わった頃には、もうすっかり暗くなっていた。

 額に滲む汗を真横に拭いながら現状について考えを巡らせる。


 翁媼は残念だったが何かに襲われて食われたといった様子は無かった。

 怪鳥は彼らの死に関わっていないかもしれない――が、頼まれた以上、存在を確かめぬまま下山するわけにもいかない。

 とはいえ周囲はもう随分と暗くなっている。

 山中の捜索は明日に回すとして、安全を確保するため今夜間借りする庵の周辺だけでも調べておくことに決めた。



 庵を一周ぐるりと確かめたが、やはり異変は感じられない。

 今日のところはこんなものかと腰を落ち着けようとした時、ふと、雑草しかない庭先の畑の奥の細い道が視界に入る。


 危険だ。とは思わなかった。


 ただ、妙に心惹かれた。


 一時を争う事態でも無いのだから暗い山中にあえて赴く必要など無い。

 なのに己の足は躊躇うこと無く、導かれるように細道を進んでいた。




+++




 微かな月明かりを頼りに細道のなだらかな傾斜を登り切ると、先は開けた崖だった。



 そして


 濃紺の夜空に浮かぶ月の下に、月と同じ淡い金色の長い髪をした女が居た。



 女の背からは身の丈をゆうに超える大きさの翼が生えていて、一目でこれが件の怪鳥だと知れた。

 同時に、己の敵う相手ではないとも。



「逃げないの?」


 怪鳥はゆっくり振り向くと、呆然と佇む俺に不思議そうに問い掛けてくる。

 じっと見つめてくる蜜のような金色の瞳は清らかさすら感じたが、感情は読み取れなかった。




「……ここで、何をしている」


「人間を見てた。この場所は麓の村がよく見えるんだ」


「何故?」


「楽しいから」


 こちらの警戒など意にも介さず、のんきな口調で言ってのける。

 俺が呆れて顔をしかめると、怪鳥は胸の前で手を合わせて緩んだ笑みを見せた。


「近くの庵に翁媼が住んでいたのを知っているか?」


「知ってるよ。言葉は彼らに教わった」


「交流があったのか……?」


 怪鳥の意外な返答に驚く。


「私がこの山で個を自覚してから初めて会った人間達だった。彼らは私を『姫』と呼び身の回りの世話をし、世のことを語り聞かせた」


 俺の困惑をよそに、怪鳥は柔らかな笑みに似つかわしくない静かな口調で淡々と言葉を続けた。


「季節が三度巡る間、共に庵で過ごした。以前は宮仕えをしていたそうだが、意に沿わぬ婚姻を嘆いた娘の死をきっかけに山へ移り住んだのだと。悔いているのだと、よく私に語っていた」


「……彼らは何故死んだのだ?」


「病で。二十日前に死んだ。女が三日後だ」


「……そうか」


 言葉に偽りは感じられなかった。

 怪鳥を自分達の姫の代わりのように育てていたというのは奇妙な話ではあるが、子を失った親の嘆きは深かったのだろう。



「話、おしまい?」


 黙した俺に怪鳥が問いかけてくる。

 ただ、会話を続けるためではなく締めのつもりらしく、崖の方に向き直り再び麓の村を眺めだした。



「――眺めたところで、村民達も寝静まる頃ではないのか?」


 立ち去るつもりが、つい熱心な怪鳥の様子が気になって、真っ暗で動く者も居ない村など見て何が楽しいのかと疑問を投げかけてしまう。

 怪鳥は不躾な俺の言葉に不快感を示すこともなく、村を見つめる瞳に焦がれるような色を浮かべながら微笑む。


「人は寝ている間に夢を見るのでしょう?」


「そうだな……? 起きた時に覚えているかいないかは人によるだろうが……」


「私には無いものだから感覚はわからないけど、彼らの見る夢が優しいものであれば良いと……思っている」


 そう語る怪鳥の横顔は穏やかで慈愛に満ちていた。


 頭上から降り注ぐ月光と同じ色の髪、透き通るように白い肌。

 纏った襤褸すら上等な衣に思えるほど、そこに居る女はただ美しかった。




+++




 庵からほど近い崖の上で座り込む女は今日も飽きずに村の様子を眺めていた。

「お前、今日で私のところに来るのは三日目じゃない?」


 女は背後の俺に視線を向けることなく言う。

 事実ではあるのだが、まるで嫌がる女のもとに無理に通っているかのように言われた気がして癪に障る。


「麓の村民から、この山に巣食った怪鳥の退治を任されているからな。解決するまでは帰れんのだ」


「ふぅん。倒せそう?」


 他人事のように興味なさげに返されて、苦笑いが漏れる。


「いや」


 己の力に対する自負はあるが、こいつとでは相打ちすら目が薄いだろう。

 ただ、怪鳥が翁媼を害していれば戦う覚悟でいたが、何もなかったのだから退治する意味はない。


 俺には――だが。



「昨日話した件についてだ。お前には悪いが、この山から他所に移ることはできんか?」


 村民があれほど不安を訴えている以上、俺が去っても遠からず別の者が討伐に来るはずだ。

 そうしたらこの女はどうなるのか。


 俺にはこの女が人を害する怪異には思えずにいる。だからこそ、住処を移してもらうのが良いのではないか。

 それが、俺が三日この山にとどまっている理由だった。

「嫌だよ。私はここに生じたのだし、行く宛もないし。それは昨日も言ったつもりだけど?」


「ならばせめて、もっと山中深くに」


「嫌だ。別に人に気取られないようにすることくらいできる」


 女は膝を抱えて身を丸くする。

 昨日よりも頑なになってしまった女の様子に溜め息が出る。


 確かに、人が怖がるからと言うだけで、育ての親とも言える翁媼と暮らした場所から出ていけというのも酷な話だとわかってはいるが。

 どうするのが双方にとって丸いのか、この場合の中庸とは何だろうか。

 考えあぐねていると、丸くなった女が小さくこぼした。


「麓には近寄らないよ。人にも見つからぬように今後は気を配る……」


「だが――」


「でも、ここが良い。ここが一番人が見える……」


 女の切実な呟きに、言葉を失う。



 中庸とは何であるのか。

 正しい選択とは――





「なぁ、お前は俺と一緒に山を降りる気は無いか?」


「……なんで?」


 ゆるゆると俺を見上げる訝しげな蜜色の瞳が『お前が人を避けろと言ったのに』と訴えかけてくる。


「俺の勝手な都合だ」


「なにそれ」


 口先を尖らせて拗ねたように言った。

 実際そうなのだろう。

 最初に見たときは人外の者らしい神秘性を感じたが、何度か話していくうち見かけより随分幼い印象を持つようになっていた。


「俺は修行の傍ら、各地で人々を苦しめる怪異の討伐をしている。凶悪を払うには力が必要だ。俺にお前の力を預けてはくれないか」


 術師が契約した怪異や精霊を共連れにする事もあるのだと付け加えると、女は呆けた顔で瞬きを繰り返してから、花がほころぶように笑った。


「……うん、いいよ」



 間違っているのかもしれない。

 けれど、物欲しげに村落を眺めていたこの女に、もっと近くで人の営みを見せてやりたいと思ってしまったのだ。




+++




 優しい夢を見ていた――気がした。



 まどろみの中に割り込んでくる声が次第に大きく、ハッキリと耳に響く。


「――あたしに、出ていけっていうの?」


 夕鶴ゆづるの声だ。

 だけど、何があったのか。夕鶴の声は強い怒気を孕んでいる。

 ただ事ではない雰囲気に慌てて身体を起こそうとしたけど、完全に眠気が晴れていないのか鉛のように重たい。


「それは違う。事が終わるまで霊山の本拠地に居を移してもらうと言っているんだよ」


 続いて聞こえてきた赫夜かぐやの声もいつもと違って固く鋭かった。


 何か良くない別の夢なのではと疑いたくなるのを堪え、再び沈み込みそうな身体を肘で支えながら周囲を見回す。

 俺が居るのは意識が飛ぶ前と同じリビングのソファだ。

 二人の声は少し離れたダイニングの方から聞こえてくる。


「何が違うの! 何であたしだけ蚊帳の外にするの?! あたしも赫夜かぐや朝来あさきと一緒にあいつらと戦う! 戦わせてよ!!」


「お前に戦う能力はない。それが自分でわかっていないなら、尚の事させられない。この先は本当に命に関わる」


「あいつらを殺せるなら怪我くらいどうってこと無い!死んだって構わない!!」


「夕鶴……馬鹿なことを! 聞き分けなさい!」


 ヒートアップしていく夕鶴に対して最初は静かにたしなめていた赫夜だったが、今の発言は流石に看過できなかったようで声を荒げた。

 けれどそれは、夕鶴を怯ませるどころか更に火を注ぐだけだった。


「赫夜、あたしには本当のことを知る権利があるって言ってたじゃない! あたしと、あたしの家族が巻き込まれてるんだよ?!」


「事情を知ることと、戦いに直接参加することは全く違う話だ。お前はまだ子供で、私には保護者としてお前を守る義務がある。お前がじっとしていられないのなら、私はこうする他ない」


 赫夜は夕鶴の怒らせた肩に手を乗せて宥めようとするけれど、夕鶴は両手を振り上げて払いのける。


「保護者?! 飼い主の間違いでしょ?! あたしのこと家族だなんて思ってないくせに! あたしがあたしの家族を助けるのを邪魔しないで!!」


「夕鶴……!」


 咄嗟に声が出た。

 ここまで二人のやり取りに口を挟むべきか迷っていたが、流石に見ていられない。


 二人は俺が起きていた事自体に気付いていなかったらしく、驚きに目を見開いた。

 けれど、夕鶴はすぐに苦々しげに顔を歪めると、顔を隠すように身を翻してリビングの扉を乱暴に開け放つ。


 「……わかっている。お前の家族は室屋むろや かざりだ」


 急いで夕鶴を追いかける俺の背中に届いた赫夜の一言が歯がゆくて。

 夕鶴の耳には届いていないことを祈ってしまった。




+++




「待って夕鶴!」


 夕鶴を追いかけた俺は、自室に入ってしまう間際でなんとか腕を掴むことができた。

 身体半分は室内に入っていたところを力ずくで廊下に引き戻す。


「……悪いけど、待って」


 せっかく捕まえたので、部屋に逃げ込まれないように空いている手で扉を締めて押さえておく。

 張り倒される覚悟だったが、夕鶴は先程よりも心底驚いた顔で俺を見返すばかりだ。


「なんで……?」


 呆然としていた夕鶴の瞳が言葉と同時に揺れて、じわりと滲む。


「なんで……あたしの方に来るの……」


 夕鶴は震えた声で呟いた。


 その姿にリビングの言い合いで見せた激しさは跡形もない。

 腕を掴む俺の手を両手で掴み返されたが、夕鶴の触れる指先が震えていて。

 藁をも縋る、で縋られる藁の気分はこんな感じかもしれないと漠然と頭によぎる。



「なんでも何も、心配だからだ。さっきの、口に出して後悔したんだろ」


 俺の指摘に、夕鶴は唇を噛んで視線を落とす。

 夕鶴は赫夜に「家族だと思っていないくせに」と口に出してすぐ、俺が静止するよりも前に『まずい』という顔をしていた。


「夕鶴が置かれてる状況の辛さとか、俺、ちゃんとは分かってないと思う。でも、その分文句とか不満とかぶつけてくれていいからさ……自分で自分を傷つけるようなこと、あんまり言うなよ」


 夕鶴の頬を大粒の涙がいくつも滑り落ちていく。

 激しい流れをせき止めるように、夕鶴はきつく目を閉じて俯いた。


「……霊山って、電波入るのかな? 嫌じゃなければ、また毎日メッセージ送るよ」


 俺の言葉に夕鶴が小さく首を縦に振る。


「飾ちゃんを助けて、早く全部解決できるように頑張るからさ」


 夕鶴はさっきより大きく首を縦に動かす。

 それから何度か声をかけてみたが、全部首の動きだけで返された。



 しばらくして、都筑さんが部下だろう人を二人連れて家に来るまで。

 夕鶴は俺の顔を見ることも、掴んだ手を離すこともなかった。

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