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夜明けが君に届くまで  作者: ちる
第二章
84/89

84話 男子高校生と天使の事情

 見上げた空は夕暮れも終わりかけて、薄い紺色と橙色が美しいグラデーションを描いている。

 人気のない住宅街の一角にある、人気のない猫の額ほどに狭い敷地面積しかない児童公園のベンチに座って、現れるかもわからない女の子を待っていた。



「飾ちゃん……出てきてくれたら良いんだけど」


 鞄の中から最寄りのコンビニで買ったチョコレートの小袋を取り出してシャカシャカと振る。

 動物じゃないし流石にチョコレートで釣れるとは思っていないが、なんとなく買ってしまった。

 チョコレートを嬉しそうに受け取ってくれた飾ちゃんの顔を思い出すと複雑な気分になる。


 飾ちゃん――夕鶴の姉と同じ名前、同じ姿をしている女の子。

 俺達とこの公園で何気ない日々を過ごして、怪しい男達から匿ってくれて……なのに夜の街では一変して不審な動きを見せていて。


 考えを深めるほど眉間にしわが寄っていくのを感じて、指で伸ばす。

 堂々巡りの思考に息を漏らして目蓋を伏せると、微かに地面の砂利が擦れる音が耳に届いた。


 音のした方にゆっくりと視線を向ける。

 児童公園の入口付近に佇み、少し悲しげに眉を下げて俺を見つめている飾ちゃんがそこに居た。

 視線が合うと、飾ちゃんは服の裾をギュッと握りしめて口を開く。


「朝来くん……こんな所で何してるの?」


 ああ、飾ちゃんだ。


 目当ての人物の登場に安堵する。

 昨日も、その前の屋上も、夜に会った飾ちゃんは様子がおかしかった。

 ぼんやりとしていて、話しかけても何も返ってこない。

 夕方に通学路で会っていた、俺達を男達から助けた飾ちゃんとは別人のように感じていた。

 だから、ここでなら俺が話したい飾ちゃんと会えるんじゃないかって思ったんだ。


「飾ちゃんに会いに来たんだ」

 俺が笑みを作って言うと、飾ちゃんはおずおずと近寄ってくる。

 座ったままベンチの隣を軽く手で叩いて促すと、頷いて浅く腰掛けた。


「久しぶり……それとも昨日ぶりって言って良い?」


「昨日……?」


 昨日の飾ちゃんは本物なのか、確かめたくて訊ねると飾ちゃんは心当たりがないかのように首を傾げる。


「夜、路地裏で会っただろ。倒れてる人間の横に居たの見たよ。暗くて俺ってわからなかった?」


「……あ……そっか、見られちゃったんだ……」


「飾ちゃんなのか? 人を……俺の友達を昨日襲ったのは」


 気まずそうに言いながらも路地裏に居たことを否定をしない飾ちゃんに、怒りを抑え込むために強く拳を握って、できるだけ平静に問いを重ねた。


「……ごめんね。私のせいだと思う」


「なんでなんだ? 何が目的で人を襲うんだ?」


 襲っておいて、どうしてそんなに申し訳無さそうな顔をするのか。


「飾ちゃんは……夕鶴のお姉さんじゃないのか?」


 俺が発した疑問に、飾ちゃんは瞳を大きく見開いて椅子から立ち上がった。

 胸の前で両手を強く握り、数歩後退りしながらわなわなと唇を震わせている。


「朝来くん……私のこと覚えてた……の?」


「……いや、人に聞いた。夕鶴には飾って姉がいるって。悪いけど俺は夕鶴にお姉さんが居たことも知らなかった」


 俺が答えると、飾ちゃんはホッとしたように胸を撫で下ろして微かに口元を緩めた。


「びっくりした……直接会ったこと無いはずなのにって思って驚いちゃった」


「どういうことなんだ? 飾ちゃんは本当に夕鶴のお姉さん本人なのか?」


「うん、そうだよ。――でも、そっか……夕鶴は朝来くんに私のこと全然話してなかったんだね」


 あっさりと正体を認めた飾ちゃんは、独り言のように呟くと少しだけ寂しそうに笑う。

 飾ちゃんは夕鶴の姉ならば、何で子供の姿をしているのか。

 漂う人間とは違う気配は一体……


「飾ちゃん……教えてくれ。前に俺が飾ちゃんからの質問に答えたみたいに、今度は俺が質問することに答えて欲しい」


「順番だもんね。今日はまだ戻らなくても平気だから……いいよ」


 飾ちゃんは屈託ない笑顔を浮かべて俺の隣に座りなおす。




「私ずっと身体が弱くて病院でもお家でも寝てばっかりだったの。朝来くんの事はね、夕鶴から話を聞いてたんだ」

 難病を患っていた飾ちゃんはずっと入退院を繰り返していて、桑野は空気が良いので自宅療養をしていたけれど、それでもベッドから起き上がれる日のほうが稀だったらしい。

 病弱な姉とは対称的に健康で活発だった夕鶴は、近所に住む姉と同じように身体の弱い友達の話を毎日のように枕元で聞かせていたようだ。


「私みたいに寝込むことも多いけど最近は遊べる日が増えたって、だから私の身体もそのうち良くなるよって。朝来くんも待ってるから、元気になったら一緒に遊ぼうねって」


 飾ちゃんは、もうすっかり紺色一色に染まった空を見上げて遠い過去を懐かしむように語る。


「何度か玄関先に来てた朝来くんを二階の窓から見てた。ずっとお話してみたいなって思ってたから、ここで最初に会った時も朝来くんだってすぐわかっちゃった。バレないか心配だったし、大人になってて驚いたけど……会えて嬉しかったよ」


 親しみのこもった笑顔を向けてくる飾ちゃんに返す言葉が見つけられない。

 頑張って口角を上げてみたけど、ちゃんと笑えているだろうか。


「引っ越しの日はね、新しいお家に行くんだってお父さんに言われたのに、車に乗ったはずなのに目が覚めたら病院みたいな場所にいたの。けど、それは私にとっては驚くことじゃなかったから……また途中で具合が悪くなったのかもって、数日して夕鶴と会うまでおかしいと思ってなかったんだ」


 病院に似た場所で再会した夕鶴は、両親が居ないと飾ちゃんに泣きついた。

 そこでようやく、飾ちゃんも何日も顔を出さない両親にも、何を聞いても答えてくれない白衣の男達にも不信感を覚えたらしい。


「でも、それからすぐ別の部屋に二人で入れられたの。真っ白で何もない部屋――」



 その先は、聞いているだけで吐き気がするような酷い話だった。

 日々繰り返された苦痛を伴う蟲を使った実験の数々。

 何人もの白衣の男達に囲まれて、泣いても乞うても止むことはなかったと。


三咲みさきが言うには、私の見た目が変わらなくなっちゃったのは実験で蟲が混じっちゃったからなんだって」


「だから、飾ちゃんからは蟲に似た気配がするのか」


「朝来くんはそんな事がわかるの? すごいね!」


 目を丸くして大仰に驚いて見せる飾ちゃんは、見た目の年齢と相違無く幼いと感じた。

 俺が痛ましく思う視線には気付いていない様子で、飾ちゃんは「でもね」と続ける。


「この身体は私が蟲を操って擬態させてるだけだから、姿は一緒だけど本当の私じゃないんだ」


「え? じゃあ本当の飾ちゃんは……?」


「本当の私はやっぱりベッドから起き上がれなくて。お話も上手くできないんだ。だけど、三咲が蟲の使い方を教えてくれてからは、こうやって歩いたり話したりできるんだよ」


「あのさ……さっきから話に出てくる三咲っていうのは誰?」


 一度目は話が脱線すると思って流したが、やはり気になって聞いてしまう。

 「みさき」という響きからは女性の名前のように感じるが。


「三咲は私が居る施設の人だよ。蟲使いなんだって言ってたよ」


「その人って……もしかして、草摩って名字だったりしないかな?」


「えっと、他の人は草摩さんって呼んでるから多分……そうだと思う」


 やはりという思いとともに冷たい汗が背筋をつたう。

 俺の顔を少しだけ怪訝そうに覗き込んだ後、飾ちゃんは話を続けた。


「……あのね。私の身体、もうあんまり保たないかもしれないんだ」


「保たないって、どういう意味なんだ」


 最悪の想像が頭をよぎる。

 飾ちゃんは俺の問い掛けに静かに瞳を伏せるだけだった。


「蟲が人を襲っちゃうのは、そのせい。私の蟲が私を生かすためにご飯を食べてるの。私じゃ抑えられない……だから、ごめんなさい」


 肩を縮めて頭を下げる飾ちゃんは一層小さく見える。


 蟲が人を襲うのは蟲使いが命じて、何かしらの意図があってやらせているんだとばかり思っていた。

 なのに、誘拐されて酷い目にあってきた被害者の、本人には制御できない暴走みたいな理由だなんて。

 もしかしたら、蟲の事件を止めようとするならば、目の前のこの子が死ぬかもしれないなんて。


「施設の人達は夕鶴が生きてるって知ってから、私の代わりになれそうな夕鶴のことを探してたの。私が駄目になる前に核を替えないといけないって言ってた」


「核? 代わりって……飾ちゃんは一体何をさせられているんだ」


「よくわかんない……私はただ暗いお部屋で蟲を作ってるだけ。でも、私が蟲を作ることでみんなが救われるんだって。世界を救うためなんだって」


 飾ちゃんの口から他人事のようにぼんやりと語られる理由は予想だにしないもので、飾ちゃんに、夕鶴に、酷いことをしてきただろう奴らの「世界を救う」という言葉の白々しさに反吐が出そうだった。


「飾ちゃん……飾ちゃんの居場所を教えてくれ。絶対に助けに行くから……!」


 小さな肩に手を載せて伝えるが、飾ちゃんは俺を困った表情で見上げてから左右に首を降る。


「私は大丈夫。私がみんなを救えるなら、夕鶴のことも救えるんだよね?」


「そんなの信じちゃ駄目だ」


 詭弁だ、嘘に決まっている。

 仮に本当だとしても、耳にするだけでも悍ましい事を拐ってきた人間に強いてまで為すことじゃないはずだ。

 

「でも、私が居なくなったら夕鶴が……痛いのも気持ち悪いのも、私は慣れちゃったけど……夕鶴は昔ずっと泣いたから可哀想だよ」


 飾ちゃんは俯いて、ぽつぽつと独り言みたいに呟いた。


「夕鶴には今、自慢のお姉ちゃんが居るんだって。幸せそうで、楽しそうで……忘れられちゃったのは少し寂しいけど、あんな場所のこと覚えてるよりずっと良いもんね」


 小さな手で、服の裾を千切れそうなくらいに引っ張って握りしめて。

 まるで自分を納得させるように話す飾ちゃんの姿は悲しく映る。



「――夕鶴は飾ちゃんに会いたがってる。会って本当のことが聞きたいって。今日俺にしてくれた話を、飾ちゃんの口から夕鶴に聞かせてやって欲しい」


 強く服に食い込む指を解くようにして取って、飾ちゃんの顔を覗き込んだ。


 最初は何を聞いても夕鶴には会わせないようにしたいと思ってた。

 飾ちゃんが嘘をついている可能性もないわけじゃない。


 だけど、だけどさ、こんな話されたら。

 飾ちゃんの話は俺には本当に聞こえたし、これが嘘なら俺が全部責任とるよ。


「でも……夕鶴があの人達に見つかったら……」


「勿論俺もその日は夕鶴と一緒に行く」


 実際はもう捕捉されているが、警備が厚くて手が出せないだけだろう。

 そんな中、夕鶴を赫夜に内緒で連れ出すのは危険だとわかっているけど。


「だけど……」


「飾ちゃんは……もう保たないかもって言ったよな。それなら尚更、今話すべきだと俺は思う」


 飾ちゃんは、ぐっと眉間を寄せて伏せ気味の瞳を揺らす。

 少しの間沈黙してから、覚悟を決めたように顔を上げて俺と視線を合わせた。


「それなら私も、夕鶴に渡したいものがあるの。三日後の夜、十二時にここから少し北に行ったところにある槌久茂神社に来て」

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