83話 夢の仕組みと幼馴染の決意
変な夢。
布団から起き上がって一番に感じたのは、それだった。
千年前の夢はいつものことだが、当時の会話が聞こえたのは今回が初めてだ。
時系列的には環月が造られてから数日といったところだったろうか。
赫夜が急に得意げな顔をして見せるあたりは、今も変わって無いんだって微笑ましくなる。
ただ、赫夜が最後に言おうとしたことは何だったんだろう。
そう大した事ではないのかもしれないが、ぶつ切りにされると多少は気になる。
上手く夢の続きが見れたら良いのに。
なんて考えて――そういえば、クリスマスの夢も変わっていたと思い出す。
あの日との類似点、いつもとは何が違うんだろうか。
腕組みして唸っていると、ふっと頭の中に一つの仮説が浮かんでくる。
あの日も、昨日の夜も……赫夜を抱きしめた、ような。
思い当たった条件に、流石に俺の煩悩が強すぎるだけではないかと慌てて頭を振る。
いや、赫夜も最初に会った時に、接触によって記憶をどうこうと言っていた覚えがあるけれど――
でも、いや、それでも。とグルグル考え込んでしまう。
まつろわぬ神の封印に関する千年前のこと、赫夜に心当たりがない以上、知るためには俺が思い出すのが一番手っ取り早い。
条件をはっきりさせる意味でも、試してみる価値はあるかもしれないが。
「けど……『寝る前に抱きしめさせて』なんて、すごい提案しにくいだろ」
心の中で留めておけずに、困惑が口から滑り出ていた。
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学校では、担任から竜が交通事故に遭ったとクラスに向けて説明があった。
クラスメイト達は一瞬ざわめいたが、担任が「落ち着け」と手を鳴らしたことで、すぐに平時の落ち着きを取り戻す。
『事件に巻き込まれた』ではなく『交通事故』となっている点に最初は違和感を覚えたが、事実と異なるのは未成年者に対する配慮とか、ご両親の意向とか、学校として騒ぎにしたくないとか色々あるんだろう。
俺と慎太郎だけ後から一人ずつ職員室に呼ばれて、事件については口外しないようにと言い含められたが元より他人に話すつもりはない。
わかりましたと短く答えると、「気を落とさずに、お前も十分気をつけるんだぞ」と肩を叩かれた。
昼休みは、自然と足がいつもの体育館と更衣室を繋ぐ人気のない廊下へと向いていた。
遠くから賑やかな生徒たちの声が響いてくるが、短い廊下には俺以外に人の姿は見えない。
ぼんやりと天井の切れかけの照明を見ながら、ふと隣が足りないと感じてしまう。
一人になりたくて来てたのに、なんだかんだ竜が隣りにいるのが日常だったのだ。
「少しでも早く解決しないとな」
誰も居ないのを良いことに呟いて、気合を入れる。
これまではずっと、蟲以外の敵の姿もろくに見えなかった。
だけど、今は違う。
金葎求道会、俺を襲ってきた謎の男、夕鶴を探してた連中、そして……飾ちゃん。
まだわからない部分だらけだが、相手の出方を待ってるだけじゃなく自分から動かなくては。
考え始めた途端、ポケットの中のスマホが震えた。
しかも、随分と長い。
首をひねりながら取り出すと、夕鶴からメッセではなく通話が掛かってきていたのがわかって、慌てながら応答ボタンを押して出る。
「悪い、通話だと思わなくて」
「ううん。あたしこそ急にごめん。今って平気……?」
耳に押し当てたスマホからは遠慮がちに訊ねてくる夕鶴の声が聞こえた。
おそらく向こうも学校から掛けてきているせいだろう。これまでより小さな、内緒話をするような話し方だ。
「……ああ、大丈夫だけど。昼に通話掛けてくるの初めてじゃんか」
年末くらいからはメッセでのやり取りもほとんどしなくなっていたし、通話も久しぶりな気がする。
ただ、以前学校の友人達に誤解されたくないみたいなことを言っていたのに、わざわざ日中に通話を掛けてくるなんて一体何用なのか。
「ちょっと、ね。朝来のこと心配になったのもあるし」
「俺が? 何で?」
「……川村君のこと、昨日は朝来も一緒に居たんでしょ」
夕鶴は少し気まずそうに言う。
昨日、その一言に込められた意味はすぐに分かるが、夕鶴から言われるとは思わなくて驚いてしまった。
「なん……夕鶴それ、何で知ってるんだ」
「最後にメッセのやり取りしてたのがあたしで、会話が途中だったからか……川村君のお姉さんから入院したって連絡があったの」
「そう言うことか。でも、夕鶴と竜ってそんな仲良かったんだな」
知っていれば昨日俺も連絡をしたのに。
報告できなかった事を謝ると、夕鶴が「違うってば」と少し慌てたように声を大きくした。
「昨日は朝来の服を買うからって、赫夜は普段どんな服着てるのか聞かれたの。合う系統が良いんじゃないかって……」
「え、俺の話?」
「そうだよ。それで……あたしが赫夜の服選んでるから、朝来の服がわかったら今度そっちに合わせて買うよって話になって。写真送ってもらったりしてて」
「なんで試着の時に写真撮ってるのかと思ったら、あいつ……」
写真を撮って見比べたほうが選びやすいとか言ってた意味は一つじゃなかったらしい。
俺に黙ってやるなよ。なんて、すぐ隣りにいたら文句を言ってるところだ。
今、言えないのが堪らなく悔しい。
俺が言葉を詰まらせていると、夕鶴が気遣うように俺の名前を呼ぶ。
「ねぇ……川村君、ただの交通事故じゃないんでしょ。朝来は大丈夫なの? あんたには赫夜が居るから、あんまり心配してないけど……でも」
「そうだよ。竜は多分夕鶴が想像している通りだ。俺よりも夕鶴こそ、最近は大丈夫?」
「あたしは最近ずっと車通学だし、学校と家の往復しかしてないから」
大丈夫と明るい声で言ってくれる。
確かに、都筑さんが手配している車での通学ならば余程の事がない限りは安全だろう。
「けど、一応注意して欲しい。昨日、俺は飾ちゃんにも会ったんだ」
「飾に? それって……まさか、前回あたし達を助けてくれたんじゃないの?」
「昨日は話もできなかったから実際はわからないけど、無関係じゃないはずだ。夕鶴は次に飾ちゃんを見かけても、一人で追いかけたりしないでくれ」
夕鶴が通話口で息を呑んだのがわかる。
過去を知りたくないと言った夕鶴に飾ちゃんの話を切り出すのは少し迷ったが、危険がある以上言わないわけにはいかなかった。
「……急にごめんな。でも、そう言うことだから」
夕鶴の記憶を刺激して具合を悪くしないように、話題を切って通話を終わらせようと結ぶ。
そんな俺の気配を察したらしい夕鶴が「待って」と短く引き止めてくる。
「昼休み、もうそんなに残ってないだろ」
「わかってる。でも、あたしは本題まだ話してない」
「竜の話じゃなくてか?」
「そっちも心配だったけど、あたしが朝来に話したかったのは飾のことなの」
夕鶴はこれまでの内緒話のトーンをやめて、ハッキリとした口調で言った。
「過去のことは知りたくないんじゃ……具合も悪くなるんだろ」
「そうだけど……だけど、あの日からあたしも色々考えたの。過去なんて思い出したくないって気持ちは変わんない。でも、段々あたし何で怯えなきゃいけないんだろうって腹が立ってきた」
吐き捨てる夕鶴の声には、腹が立ったと言う言葉通りに怒りの感情が含まれているのが伝わってくる。
「思い出すかもって考えるだけで吐きそう。だけど、今何が起きてるのかは知りたい。飾が昔のあたしの知り合いなら、なんで今になって接触してきたのか。何考えてるのか。あの男共が何なのか……全部、飾に直接聞きたいの」
「夕鶴……何言ってるのかわかってんのか」
「わかってるよ。朝来がまた飾と会うことがあったら、あたしが話したいって言ってるって伝えて欲しい」
夕鶴はあえて俺が言わずに訊ねた部分を補完して言い切った。
直接本人から事情を聞きたいという気持ちはわかるが、あまりにも危険過ぎる。
「赫夜は何て?」
「あえて朝来に言ってるんだからわかるでしょ。赫夜あたしを守るために色々してくれてんのに、言えるわけ……無いじゃん」
「赫夜は夕鶴が過去を知りたいなら教えるって言ってただろ。まず相談してみろよ」
「……だけど、これはあたしの問題だから」
夕鶴はムッとして声を尖らせた。
意見を変える気がなさそうな様子に、つい溜め息が漏れてしまう。
「俺に言えて赫夜に言えないってのもおかしいだろ」
「これまで朝来には、赫夜との事で何度か手伝ってあげたじゃん……借りを返してよ」
「いや、それ……普通の使い走りならいくらでもしてやるけどさ」
飾ちゃんは、まだ本当に夕鶴の姉本人か確定していないし、本人だとしても怪しい点が多すぎる。
自分の身を守る術も持たない夕鶴が飾ちゃんに会いたいと言い出して赫夜が素直に頷くかは怪しいが、今更俺達だけでコソコソするのもいかがなものか。
「伝言してって言ってるだけだもん、大して変わんないじゃん」
「俺だって、そんな都合よく飾ちゃんと会えるかわかんないぞ」
「朝来なら……会えるよ」
夕鶴が根拠無く言い切る。
ますます態度が頑なになる夕鶴をどう言えば説得できるんだろう。
後頭部を鷲掴みに刺激しながら思考を巡らせてみたが、効果的と感じる案は思い浮かばない。
「夕鶴が飾ちゃんと会って話したいって気持ちは否定しないけど、まず赫夜に話せよ。この前の男達の件もあるし、昨日の事だって……何かあった時どうするんだよ。俺だけじゃ夕鶴を守りきれる保証なんてないんだぞ」
「朝来に守って欲しいなんて思ってない!」
「お前……そりゃ、そうかもしれないけど、本当に何が起きるかわかんないんだからな!」
夕鶴がむきになって大声を出すので、こっちも腹が立ってしまう。
俺が強い口調で返すと、夕鶴が何か言いかけてぐっと飲み込んだのがわかる。
「夕鶴にとって、赫夜は家族なんだろ。何でそこまで言いたくないの?」
「……家族だからでしょ。過去については朝来が言ったおかげか、いつでも話すって言ってくれてるけど。赫夜があたしの過去の件について、今自分が朝来とやってる事について。あまり関わらせたくないって思ってるの伝わってくるし」
夕鶴の言葉に、過去の事は夕鶴自身に決めてもらった方が良いと話した夜の、赫夜が浮かべた寂しそうな笑顔がちらつく。
「後は……何でか飾を懐かしいと思うほど、赫夜に後ろめたくなるから……かな」
スマホから夕鶴の小さな苦笑いが聞こえる。
お互いにお互いを思うからこそ言えないって事なのかもしれない。
「言えない理由は、わかったよ。でもやっぱ危険だと思うし――」
理解はするが、それとこれとはまた別問題だ。
心苦しさも湧いてしまうものの断りを入れる俺を引き留めるように、夕鶴は「だったら」と被せた。
「朝来が飾と話した時の様子を見てあたしが会っても良いかを決めて」
提案された内容に虚を衝かれて、廊下中に響くような大声が出た。
「はぁ?! 何言ってんだよ。俺は反対してんだぞ!」
「反対してる朝来が会ってもいいと思うくらいなら、良いじゃん」
「まず俺に決めさせるなって。何かあった時の責任持てないって言っただろ!」
「あたしも、守ってとも責任取れとも言ってない。結果的に死んだって別にあたしは恨まない」
慌てる俺にポンポンと言い返してくる夕鶴の声は、驚くほど落ち着いていて、夕鶴が本気なのだと嫌でも感じてしまう。
「ばかやろ……軽々しく死ぬとか言うな。俺は夕鶴がまた死ぬなんて嫌だからな」
「ごめん。でも、本心だから。朝来が決めた方を信じる」
「……それ本当に最低だからな。俺が間違ったらどうすんだよ」
「朝来は何だかんだ言っても、この場で断らないで飾に会ってから決めようとしてくれるよね……ありがと」
俺の思考を見通したようにクスリと笑う夕鶴に、もう一言くらい悪態をついてやろうと思ったが、口にする前に通話を切られてしまった。
ただでさえ考えることが多いのに、夕鶴との会話でどっと疲れを感じてしまい大きな溜め息を吐く。
飾ちゃんは、俺から見ても情報を得られる可能性が一番ある相手だ。
夕鶴の願いはともかくとして、話が聞けるなら聞きたいことはたくさんある。
問題はどうやったら接触できるかだが――
「やっぱ、あそこかな……」
もう一度溜め息を吐きながら制服のポケットにスマホを突っ込んで、教室へ戻るため足を踏み出した。




