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夜明けが君に届くまで  作者: ちる
第二章
82/89

82話 月のお姫様と夜の誓い

 竜を救急車に乗せた後、店で待つ慎太郎を先に帰して、警察から少し事情を聞かれて。

 迎えに来た父さんと帰宅した頃には、もう日付が変わりそうな時間だった。


 父さんは家に着いてからも事件には触れず、自室へ戻ろうとする俺に「明日は学校休んでもいいからね」と言って背中を優しく叩いた。



 覚束ない足取りで階段を登り自室には入ったものの、電気を点ける気にも着替えをする気にもなれず、ベッドの縁に腰掛けてぼんやり床を見ている。


 明日学校に行くなら、もう寝た方がいい。


 自分に言い聞かせる度に、血塗れで地面に横たわる竜の姿を思い出してしまう。


 どうして竜があんな目に。

 偶然なのか、それとも……


 頭から離れない凄惨な光景を掻き消すために両手で顔面を覆い唇を強く噛む。

 もしかしたら俺のせいかもしれない、と考えるのは――怖かった。




 唇に感じる痺れと痛みに意識を向けていると、一瞬、 指の隙間から月明かりに似た柔らかい金色の光が差し込んだ。


 驚きながらも緩慢に顔を上げれば、赫夜かぐやが少し困惑した表情で佇んでいる。

 こんなにも暗い室内なのに、まるで赫夜自身が淡く光を纏っているかのように鮮明に見えた。



「……朝来あさき、何かあった?」


 先に口を開いたのは赫夜だった。

 いたわるような声色で静かに問いかけながら俺のすぐ目の前まで歩み寄ってくる。


「赫夜は……なんで……」


 部屋に来たのか。

 訊ねたつもりだったけど、声が掠れて音になっていなかった。

 それでも俺の疑問は伝わったんだろう。見上げた赫夜は眉を下げて微笑みながら優しい手付きで俺の髪を梳く。


「お前から連絡が来なかったからね。外出で疲れて寝ているんだろうと思ってはいたんだけど」


「あ……」


 言われてようやく、昼間別れる時に赫夜と通話する約束をしたことを思い出した。


「そうだ、俺が言い出したのに……忘れてて」


「寝てるなら、それで良かったから。最近は色々あったし、お前の身に何かあったらと思うと……つい心配で見に来てしまっただけだよ」


 赫夜は約束を忘れていた事に気分を害した様子はなく、むしろ安堵したように笑みを深める。

 その優しさに、堪らない気持ちが募って視線を逸らす。


「……ごめん」


 簡素な謝罪を口にする。自分で聞いても反省しているような感じのしない素っ気ない言い方になってしまったけれど、今はこれで精一杯だった。


 すると、俺の頭を撫でていた赫夜の手がすっと離れた。

 かわりに顔面がフワリと肌触りの良いニットに包まれる。


 温かさと柔らかさと、ほのかな甘い匂い。

 赫夜に抱き締められているのだと認識するまで時間がかかった。


「かぐ……や……?」


「こうするとね、夕鶴ゆづるは落ち着くみたいなんだ」


 きゅうっと、頭を抱き締める力が強まる。

 俺にとっては心地よくも少し落ち着かない感触で、「離れて」と言おうとして口を開いたのに声が出ない。


 目の奥が熱くなって、息が上手く吸えなくて。

 離れなきゃいけないはずの赫夜の腰に腕を回して、強く抱き寄せていた。



「……竜が……俺の友達が、むしに襲われた」


 耳に届く自分の声は縋るように震えている。


「飯の時、家族から電話だって……店出てって……全然帰ってこなくて」


 竜は噂好きで好奇心旺盛なところもあるが、友達の中では一番しっかりした奴だ。

 路地裏の危険性はニュースや学校で日頃周知されているのに自ら飛び込むとは考えられない。

 俺達を店で待たせていたのだから尚更だった。


「……なんで路地裏行ったのか分からないけど、見つけた時はもう血まみれで……いつ意識戻るかわからないって……」


 竜の怪我は赫夜と最初に会った夜に助けたコンビニ店員の時よりも酷く、足の一部は骨が見えていた。

 傷から覗く赤黒い肉と粘り気のある血液に濡れた白い骨を思い出して吐き気がする。


「俺がもっと早く探してれば……俺が竜を一人にしなければ……こんな……」


「……朝来のせいじゃない」


 これまで黙って聞いてくれていた赫夜が俺の頭を抱き締めたまま静かに言う。

 ただ一言に涙が滲んで、でも、俺が今泣くのはズルくて間違っているような気がして。

 強く目を閉じて零れ落ちるのを堪えた。


「現場に……倒れてる竜の隣にかざりちゃんが居たんだ」


「室屋 飾が?」


「……俺が見た時にはただ立ってるだけだったけど、無関係とは思えない」


 むしろ、飾ちゃんがやったのではないかと感じた。

 やはり彼女は夕鶴のお姉さんの姿に似せているだけの別人で、俺を襲った男の仲間なんだろうか。


 前回、手を引かないと言った俺への見せしめなのかもしれない。

 どうしても、そんなふうに考えてしまう。


「なのに、去って行くのを俺は……追えなかった……」


「竜は大事な友人なんでしょう? 人命を優先した、お前の行動は間違っていないよ」


 赫夜はゆっくりと俺の背中を撫でる。

 手のひらの温かさに、情けないとわかっていても言葉が続かなかった。



「……ごめん、俺……」


「いくらでも泣けば良い……朝来に、こうして頼られるのは悪い気がしない」


「……もう、戦うことに躊躇ったりしないから……」


「……そんなに気負わずとも、お前なら大丈夫だよ」


 頭上に優しく降る声に、折れかけた気持ちを奮い立たせる。

 蟲を操って人を襲わせてる奴らを倒して、元凶のまつろわぬ神も倒して、全部解決してみせるから。


 自分でも感じ取れるほどに強張った背中を一際大きくさすった赫夜が、コトンと俺の頭に顎を乗せたのがわかった。


「私にも……お前にしてやれる事があるのだと思えて嬉しいよ」


 囁きに、再び自覚した現状の気恥ずかしさとバツの悪さに顔を上げかけた俺を、赫夜は前に体重をかけて頭を抱えこむようにして胸元に押さえつけた。


「赫夜、もう……」


「駄目。――良いじゃない、今夜くらい」


 くすぐったそうに笑う赫夜の柔らかな声が耳の奥に響く。


 良くない、甘え過ぎだろう。

 内心ツッコミを入れる一方で、今もう少しだけこのままで居たくて。

 赫夜を抱きしめる腕に力がこもるのに気付かないふりをした。




+++




 もうじき日も暮れる。


 仮宿の縁側に座り、遠い山の合間に落ちていく陽光をただ見送っていた。

 明後日にはまつろわぬ神との決戦が控えている。

 この間にも、できる事はいくらでもある筈だろうに、愚かにも数刻こうして空を見るだけで過ごしてしまった。


 所々ささくれ立つ板の表面を撫で、まるで己の心のようだと柄にもなく感傷に浸っていると、トタトタと騒々しい足音が近付いてくる。


鞘守さやもり、ここに居たんだ」


 振り返れば、俺を探していたらしい赫夜と目が合う。

 赫夜は足を早めて寄ってくると、腰よりも長い淡い金色の髪を器用に手で払いながら隣に腰掛けた。


「何かしてたの?」


 腰を折り曲げて顔を覗き込むように見上げながら問われ、何もしていない後ろめたさから言葉に詰まる。


「……環月かんげつの慣らしを少しばかりな」


 一昨日に渡されたばかりの霊剣を思い出して誤魔化しを述べると、赫夜は疑う様子もなく満足そうに笑んだ。


「そう、問題なく使えそう?」


「あ……ああ、見事な剣だ」


「そうでしょう! 急造にしては中々の代物だよ」


「……お前の手柄ではあるまい」


 ぐっと拳を胸の前で握り込み、得意げに言う様子に毒気を抜かれてしまう。

 通常の半分以下の期間で立派な霊剣を鍛え上げたのは鍛冶師の功績だろうと返せば、赫夜は柳眉を逆立てた。


「急造による強度不足を使用者を限定する縛りで補う案を出したのも、実際効果を付与したのも私だよ。そも、刀身には私の羽根も溶かし込んでいるんだ。貢献度合いならば私こそ褒められても良いくらいじゃない?」


 唇を尖らせて詰め寄ってくる赫夜の言は正しいかもしれないが、赫夜は人としても化生としても年齢相応の落ち着きが足りない調子乗りなきらいがある。

 迂闊に褒めると陸なことがない。というのが共に過ごした六年で培った経験則だ。

 

 適当に流す俺に赫夜はめげずに正当性を主張してくるが、数回の応酬の後、ようやく諦めたらしく大きく息を吐いて立ち上がった。


「もう良いよ! お前はそう言う男だ。多少は労いの心があると期待した私が愚かだった!」


 癇癪を起こした子供のように言い捨てる赫夜に呆れつつ、戻ろうとする背中に声を掛ける。


「……おい、赫夜。お前は一体何用で来たのだ」


 すると、赫夜はぴたりと足を止めた。

 肩越しに振り向いた赫夜の蜜のような金色の瞳は、つい今しがた子供じみた癇癪を起こしていた者と同一とは思えない静謐さを湛えていた。


「鞘守、――――」




 ――赫夜が口を開いた瞬間、テレビの電源を落としたかのようにプツリと夢は途切れ、朝を迎えた。

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