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夜明けが君に届くまで  作者: ちる
第二章
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80話 月のお姫様と戦いの後に

 スマホの着信音が静かな夜の屋上に微かに流れている。


 通話に出なきゃ……きっと赫夜かぐやだ……


 朦朧とした意識の中で懸命に手を動かそうとしたけれど、身体は依然として痺れたまま動かない。


 もう男は遠くへ行ったはずだ。

 飛び回っていた蟲達も、気配すらなくなっている。


 暗くなりかかる視界で周囲を見渡せば、手当たり次第に使った力により屋上にあるフェンスもコンクリートの出っ張りも砂となって崩れ落ちて、床までもがボロボロで下のフロアがわずかに露出してしまっていた。



 これ修繕費とか俺払えんのかな……


 飛びかける意識を繋ぎ止めるために益体無いことを真剣に考えていると、視界の端にふわりと金色の羽根が舞う。

 暖かな赫夜の気配に安心してしまい、完全に倒れ込みかける。



「……朝来あさき?!」


 目の前に現れた赫夜が悲鳴に近い声を上げた。


「どうして……こんな……何が……」


「かぐ……や……」


「ごめんね。ごめん……私がお前から離れなければ……一人にしてごめんね」


 耳のすぐ横から聞こえる赫夜の呟きは戸惑いに満ちて震えていた。

 顔に柔らかな髪が当たる感触もするので、おそらく抱き締められているんだろう。


 大丈夫だって言って、抱きとめられたらよかったんだけどな。


 今の自分には、そんな余裕全く無いのが悔しい。


「俺、身体痺れてて……よくわかんないけど、結構……ヤバい、かも。後でちゃんと話すから……先に治して……貰っても良い……かな」


 残った気力を振り絞って言うと、赫夜が大きく頷きを繰り返すのが頬から伝わってきた。




+++




 目を開けると、常夜光の薄明かりに照らされて見慣れた自室の天井が見えた。


 赫夜が運んでくれたんだろうけど、あれから何時間くらい経ったんだろうか。

 寝たまま視線だけを窓の方へ移してみるとカーテンの隙間から入る光が無いので、まだ夜だと思われる。



「……意識が戻ったの?」


 額にスッと横から手が伸びて、体温を確かめるかのように触れてくる。


「赫夜、居たんだ」


「勿論だよ。――まだ起き上がらない方が良い」


 赫夜は身体を起こそうとした俺の肩を軽く押さえた。


「どれくらい経った……?」


「ビルの屋上で気を失ったお前をここへ運んでから約七時間。怪我と毒の治療はしたけど出血が多かったから、せめて朝までは横になっていて」


 端のめくれた掛け布団を整えて、ぽふぽふと胸の上を軽く叩いて諭してくる。

 

「朝来のご両親には流石に知らせられなくて……玄関に靴だけ戻して、いつの間にか普通に帰宅した。と見えるよう小細工をさせてもらった」


「ありがと。今日は父さんしか居ない日だからそれで全然大丈夫」


 母さんが居たら「帰ったなら一言言え」とか部屋まで言いに来る可能性があるので運が良かった。

 横になったまま、安堵の息を隠さず大きく吐き出す。


 

「……屋上でさ、変な男と戦ったんだ」


 赫夜がかざりちゃんを追って飛び降りて程無く屋上に現れた作業着を着た中年の男。

 蟲とともに突然殴りかかってきたこと、まるで俺を試すかのような発言……そして。


「蟲を追うな、女を諦めろ。あの男はそう言ってた」


「女……? 夕鶴? それとも室屋 飾のことかな」


「赫夜の事だと思ってたけど……そっちの可能性もあるか。で、拒否したら何処かに連れてかれそうになって、何とか逃げたくて」


「……それで、力を使ったんだね」


 赫夜は小さく咳払いをしてから確かめてくる。


「身体動かなかったから他にできる事思い付かなくてさ」


「ごめんね。私が朝来を一人にしたせいで……」


「いや、俺が最初からちゃんと戦えてれば良かっただけだし。馬鹿だよな、襲われてんのに人を殴るとか、剣を向けるとか……すごい躊躇ってた」


 あの男の言う通り、俺には人と戦ったり喧嘩したりといった経験はない。

 兄弟喧嘩もしたことがないし、戦うと言って思い浮かぶのは対人型ゲームでの撃ち合いくらいだ。


 赫夜と一緒に戦うと決めたはずだった。

 人間とも、いつかは戦うんだろうと漠然とは考えていた。


 でも、あの時、自分の手が他人を傷付けるんだと実感して……鈍ってしまった。


 情けなくなって自嘲をもらす俺の髪を赫夜の指先が優しく撫でる。


「お前は戦いと無縁の生活を送ってきた。それは幸運であり尊いものだよ。朝来が躊躇うのは仕方のないことで、恥じるものではない」


「……次は、ちゃんと勝つから」


 髪を撫でる赫夜の手を取って宣言すると、赫夜は眉尻を下げて、困ったようにも悲しそうにも見える表情を見せた。




「他に何か、思い出せることはある?」


「そうだな……時々誰かと通話してるみたいだった。お嬢さんって聞こえた気がするから多分相手は女」


「朝来に接触した蟲を使う男が会話する女……か。素直に考えれば草摩の縁者だろうね」


「やっぱり、敵は金葎求道会かなむぐらぐどうかいってことかな」


 俺の問い掛けに赫夜は難しそうに小さく唸って、顎に手を添えて考える仕草をする。

 

「目的が読めないし、彼らと室屋 飾の関係性も不明だけど……そう考えるべきだろうね」


 赫夜は答え終えると険しい顔をして黙って俯く。

 何かしら言いたそうに感じるけれど、同じくらい口が重そうだ。


「赫夜、どうかした……?」


「……朝来は厳しい戦いを乗り切って、今また新たな情報をもたらしてくれた。なのに、私は……」


「別にそんなこと無いだろ」


「私の、室屋 飾と思しき相手の追跡は失敗に終わった」


 否定しても耳には届いていないようで、赫夜はますます眉間を寄せて唇を噛む。


「話し掛けても、何度か威嚇のように攻撃を仕掛けてくるだけで返答は無かった。夕鶴の姉かもしれないと思うと応戦するのは躊躇ってしまって……最後は隣駅前の人混みに紛れられた」


「そっか、まぁ……二人は知り合いじゃないし、急に追われたら逃げるよな。飾ちゃんの様子もちょっと変だったし」


 仕方ない、と俺が言うと、赫夜は大きく頭を左右に振って否定する。


「人気のない路地の隙間をぐるぐると回って……少し考えればおかしいと気付けたはずなのに。その間にお前が襲撃を受けて、傷だらけになって……」


 赫夜の小さな手が俺の指をきゅっと握り込む。

 身体は俯きを通り越して、顔も見えないほど丸く屈められていた。



「屋上で朝来を見た時、息が止まるかと思った」


 赫夜の呟きはひどく悲しげで、それでいて呆然とした響きを強く感じた。


「お前が死んだかもしれないって、死ぬかもしれないと思ったら……怖く……なって……」


「赫夜……」


「戦いとは生命の取り合いだ。怪我も当たり前に負うもので……私は、わかっていてお前を戦いの場に誘った」


 赫夜は片手で顔を覆ってベッドの横から立ち上がる。

 そのままサッと背を向けたため、俺の手から白い指先がするりと離れていく。

 

「……なのに、お前が傷つく姿を見るのは嫌だと……思ってしまった。……私、おかしいね」


 震えた声で付け加えられた言葉に、何て返してあげるべきかわからなかった。


「――私は帰るから、ゆっくり休みなさい。力の影響か内臓機能が落ちてるし、当面は静養してて」


 俺が何か言うより前に、パチンと部屋の照明を落とした赫夜の気配は室内から消えていた。



明日もう一話分更新します

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