74話 月のお姫様と初詣
一月三日、真冬にしては心地よい陽気に恵まれた今日は、まさに初詣日和と言っていいだろう。
だが、俺は今自宅のリビングに居て、隣には白地に金彩が施された華やかな振り袖を着た赫夜が、正面には両親が座ってにこやかにお茶を啜っている。
この状況で、呑気に天候を喜んでいる余裕などあるわけがない。
「赫夜ちゃん、ごめんなさいね。初詣の前に寄ってもらっちゃって」
「いえ、私こそ朝来が家に寄るようになってしばらく経つのに、ご挨拶が遅れました」
聞いたことのない猫撫で声で話す母さんに背筋がゾワッとしてしまう。
この場で嘆いても仕方ないが、俺が新年の予定を聞かれて、つい赫夜と初詣に行くと漏らしてしまったのが悪い。
そこで母さんが、俺の知らない間に赫夜に『新年のご挨拶をしたいのでよかったら家に寄ってください』なんてメッセを送るもんだから、赫夜が承諾してしまったのだ。
「挨拶なんて、そんなにかしこまらなくて良いのよ! 赫夜ちゃんとは会った時が……ねぇ、だから、普通に会いたかったの」
気まずさを緩和させるために口をつけていた湯呑みを持つ手が震える。
新年早々、息子の手痛いしくじりを蒸し返すのはやめてくれ。
「あの……神社混んでると思うし、もうちょっとしたら出るから」
「ついさっき来たばっかりじゃない」
「そうだけど。挨拶はしたじゃんか」
この空間も落ち着かないし、おかしな話をされたらと思うと俺は身が持たない。
「はいはい、二人の時間が減っちゃうものね」
「そういうんじゃない!」
やれやれと見当違いに呆れられてしまう。
訂正を試みたけれど照れていると解釈されたようで、手で払われるだけで終わった。
「――それにしても綺麗なお着物。よく似合ってるけど、準備大変だったでしょ」
「そうでもないです。昔は着物を着るほうが多かったので」
「あら、じゃあ、もしかして着付けも赫夜ちゃんが自分で? すごいわぁ」
「いや、そんな……大したことでは」
赫夜は母さんからの褒め言葉に少し戸惑っている様子で、髪に付けた大きな花飾りの位置を指で直しながらチラリと俺を横目で見てくる。
「本当に、もう行くから」
俺が再び言うと、母さんは呆れつつも諦めたようで「はーい」と返事をした。
「朝来ったら、こんな調子で気も回らない子だから、赫夜ちゃんには色々迷惑かけてると思うけど、これからもよろしくお願いしますね」
席を立った俺に続こうと腰を浮かせた赫夜に母さんが声を掛ける。
「……朝来は、まっすぐで、私の至らない部分を一緒に考えようとしてくれる人間だから……その、私の方こそ迷惑をかけている。……です」
赫夜は柔らかな声で答えてから両親に深々と綺麗なお辞儀をすると、そそくさと俺の横をすり抜けてリビングを出て行ってしまった。
「仲良しだね」
のんびりとした父さんの一言に、今すぐ顔を冷やしたい気持ちで一杯になった。
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我が家から初詣先の神社までは、徒歩三十分といったところだ。
歩けない距離ではないけれど、着物に草履じゃあ辛いだろうから遠回りでも電車で行こうと提案したが、慣れているからと固辞されてしまった。
「本当に歩きで大丈夫?」
「クリスマスの時も言ったけど心配しすぎだよ。天気も良いし、陽の光を浴びて歩くと気分がいい」
赫夜は歩きながら軽く腕を広げて伸びをした。
陽の光を弾いて揺れる金色の髪は眩しいくらいに綺麗で、目が離せなくなる。
「あのさ……さっきは親の前で言えなかったんだけど」
「なぁに?」
「今日の赫夜、綺麗すぎて緊張する」
「へぁ……?」
振り向いた赫夜が、気の抜けた声を漏らして足を止めた。
「その振り袖も髪飾りも似合ってる。普段と雰囲気違ってすごく綺麗だ……って、今日会ってからずっと考えてた」
まだまだ褒めるのは慣れなくて気恥ずかしい。
最後までつっかえずに言えれば多少は格好がついたかもしれないのに。
「そう……なんだ」
赫夜は小さく呟くと、さっと着物の袖で顔を覆って瞳から下を隠してしまった。
「今日は私の方あまり見ないから、朝来はクリスマスみたいな洋装の方が好ましかったかもしれないと……思って」
それは、赫夜が俺の感想を待ってたって受け取って良いんだろうか。
着物の袖では隠しきれていない耳の端が赤く染まっていて、恥ずかしそうに半ば伏せられた瞳を縁取る長いまつ毛が震えている様子は俺の心臓に悪い。
――これ、次もちゃんと言おう。
「……行きますか」
「う、うん」
声を掛けると、赫夜はぎこちない動きで前を向いて、また歩き出す。
隣に並ぼうとすると少し足を早めて俺より前へ出てしまうので、結局、神社に到着するまで赫夜の顔を見ることはできなかった。
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俺達の来た神社は、この辺りでは一番規模が大きく有名な所だ。
秋の終わり頃にはCMを流したりもするせいで、わざわざ遠い地域から参拝に来る人も居る。
今日ここを選んだのは、近くて賑やかだからだ。
境内が広く、屋台の数も多いので見て回るだけでも楽しめるだろう。
神社の敷地より手前の道路まで伸びている参拝列に並んで小一時間、ようやく賽銭箱の設置された本殿前の階段まで進んだ頃、赫夜が隣から俺を覗き込むようにして囁きかけてきた。
「ねぇ、お前はこれから賽銭を投げて願掛けをするわけじゃない?」
「まぁ……初詣はそのために並んでるわけだし」
「おかしくない?」
「おかしいって、何が?」
訝しげに眉を顰める赫夜がよくわからなくて首をひねる。
「朝来は私には全然願い事を言ったりしてくれなかったのに、ここでは願い事するんだね」
じっと俺を見る瞳が冬のお手水より冷たい。
「いや、初詣は願掛けするイベントであって、それとこれとは」
「違わないよ。願い事があるなら私に言ってくれても良いじゃない。私は駄目で、ここの祭神なら良いの?」
赫夜は胸の前でぎゅっと着物の袖を握り込んで、前のめりに詰めてくる。
ただでさえ混雑で普通より人同士の間隔が近い中では後ろにも横にも退けず、身体がピッタリと密着してしまう。
「私、そんなに頼りないかな」
勢いとは裏腹に、赫夜は切なげな表情で小さく唇を噛んだ。
「頼りないわけじゃなくて、俺からすると初詣の願掛けは願い事というより決意表明に近いと言うか……」
腕に赫夜の柔らかさを感じる。
距離の近さをより一層意識してしまって、こんな状況なのに体温が上がりそうだ。
しどろもどろになっていると、後ろから小さな咳払いが聞こえて 反射的に肩が上がった。
ハッとなって周囲に目を向けると俺達の前にはちょっとした空間ができていて、その先には大きな賽銭箱が見える。
「――あ、俺達の番だ!」
俺を見上げる赫夜に呼びかけて強引に前を向かせる。
後ろの人に頭を下げてから、賽銭箱に準備していた小銭を投げ入れて手を叩いた。
願掛けを終えて、横目で赫夜を窺う。
少し長く掛かってしまった気がするので、待たせたかもしれない。
「い……」
行こうかと声を掛けようとして、慌てて口をつぐむ。
赫夜はまだ瞳を閉じたまま、深く祈るように手を合わせていた。
その横顔は本当に綺麗で、神聖な儀式の一場面を切り取ったかのようだった。
文字数が微妙になってしまったので分けることにしました。
明日初詣後半戦は更新します。




