73話 月のお姫様と女子高生のお土産
リビングの扉を開けると、赫夜が入ってきたと思ったんだろう夕鶴が「遅い!」と大声を上げてソファから立ち上がり、はたと瞳を丸くした。
「……あれ? 朝来、今日来てたんだ」
「ああ、ちょっと前に。一応上る前にひと声掛けたつもりだったけど聞こえなかったか」
「あー、多分その時はイヤホンで音楽聞いてたわ」
広い家なので、玄関とリビングは距離がある。
大きめに声を張ったつもりだったが、イヤホン越しでは聞こえなかったか。
「夕鶴、クリスマスの件はありがとう。おかげで何とか赫夜とは仕切り直しに成功した……と思う」
クリスマスの事後報告はしたもののメッセでのやり取りだったので、改めて礼を言い直す。
夕鶴は驚いた顔で数回瞬きをしてから、眉を下げて微笑んだ。
「どういたしまして! ま、赫夜のためだからね!」
「ってことで、またこうやって家で顔合わせるだろうからよろしく」
俺が肩を竦めると、夕鶴は両手を胸の高さで開いて「しょうがないなぁ」とわざとらしく笑う。
「んで、赫夜はまだ部屋?」
「あぁ、知り合いと通話中のはず。俺は先にリビング行っててくれって」
「ふーん……、都筑さんとじゃ時間掛りそうだな。朝来は飲み物いる?」
「え……?!」
夕鶴の口から出た名前に驚いて、上擦った声が出る。
「何? 変な声出して」
「いや、飲み物は大丈夫だけど……夕鶴は都筑さんを知ってるのか?」
「そりゃ知ってるよ。あの人がこの家とか、学校の手続きとかも全部してくれてるし。朝来もクリスマスに会ったって聞いてるけど?」
「まじか。会ったけど、そのへんの話は聞かなかったから」
赫夜が夕鶴を蟲やまつろわぬ神の話に関わらせていないので、俺の中で夕鶴はオカルト関係から遠い認識だった。
しかし、よく考えずとも赫夜と十年暮らしている夕鶴と、赫夜に給料を渡してたり、この物件を管理している都筑さんとは面識があっておかしくない。
「ってか、あの人があたしの設定上の父親だからね」
「そうだったのかよ……」
年齢的にはおかしくないし、あくまで設定上とはいえ……子供がいそうな雰囲気の人では無いのでミスキャストなんじゃないか?
ついそんな心の内を漏らすと、夕鶴は手を叩いて大笑いする。
「あたしもそう思うけど。戸籍作る時にさ、赫夜があたしの母親になりたがって」
「それも無理があるだろ……」
見た目十代の少女に十歳以上の子供がいたら犯罪の臭いしかしない。
「都筑さんが『あんたが母親とか子供の世間体を考えろ! 俺が父親の方がまだマシだ!』ってブチ切れて」
「キレたんだ……あの人」
感情的にキレる都筑さんも、キレさせる赫夜も正直想像できないでいた。
「最終的に、あたしが『子供の前で喧嘩するのやめてくんない?』つって終わった」
話を聞いてわかったのは、夕鶴が一番頼もしいってだけかもしれない。
なんともコメントを返しにくい昔話に、乾いた笑いしか出てこなかった。
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「あ、そうだ! 朝来に渡す物あるんだったわ」
頭の痛くなる昔話を終えた夕鶴は、思い出したようにパチンと両手を胸の前で叩いてリビングを飛び出していく。
一体何だろうか。物を貸し借りするような話になったことも無いし。
渡す物の正体に考えを巡らせる間もなく、夕鶴はすぐにパタパタとスリッパを大きく鳴らしながら戻って来た。
「おまたせ。はい、この前泊まりで行ったパークのお土産!」
夕鶴は、誰でも知ってる有名なテーマパークのマスコットキャラクターが描かれたビニールの手提げを俺の前に差し出してくる。
「ああ、わざわざ買ってきてくれたのか。ありがと」
「ショップ見てるだけでも楽しいけど、やっぱ見てるとお土産買いたくなっちゃってさ」
楽しかった時間を思い出すように歯を見せて笑う夕鶴に、中を見てもいいか声を掛けてから袋に手を突っ込む。
フワフワ、いや、フサフサとした柔らかい感触に首を傾げながら中の物体を取り出すと、俺の手に握られていた物がファーで作られた白い猫耳カチューシャだとわかって思わず身体が固まった。
「それ可愛いっしょ! 人気過ぎて在庫ないみたいで、パーク内でたまたま入荷してる時じゃなきゃ買えないらしいんだよね」
興奮して食い気味に語ってくる夕鶴を白い目で見てしまう。
手触りは申し分ない、ちょこんと乗ったリボンも可愛いとは思う……が。
「何でこれを俺への土産にしようと思ったんだよ……」
全然理解できない。
そもそも、キャラクターモチーフのカチューシャなんて、テーマパーク内で盛り上がるために付けるヤツだろう。
同い年の男が付けるチョイスじゃないし、お土産で貰ってもどこで使うんだよ。
「なーんでー? 意外と似合うかもしれないじゃん?」
「そんなわけあるか!」
ニヤニヤと意地の悪い笑みで揶揄ってくる夕鶴が腹立たしい。
値段も安くないキャラクターカチューシャを買ってまで俺で遊びたいのかこいつは。
「なら、似合いそうな子に付けさせたら良いんじゃないの?」
「ああそうかよ! ……じゃあ、そうする!」
手に持ったカチューシャを、目の前にいる夕鶴の頭の上に勢いよく被せる。
「ちょっと! 何すんの!」
頭を強く押されて、少し前のめりに体制を崩した夕鶴が抗議の声を上げた。
「夕鶴の言った通りにしただけだろ。似合ってるじゃん」
普段忘れがちだが、夕鶴は一般的に見てもだいぶ可愛い部類に入る。
猫耳カチューシャは子供っぽさが強いものの、よく似合っていた。
テーマパーク内でも似たような物を付けていたんだろうと想像できて微笑ましい。
「何で……本当さいてーな男だな!」
俺の素直な感想を煽りと受け取ったのか、夕鶴は顔を赤くして目を吊り上げた。
自分は俺に猫耳押し付けて面白がってるくせに、俺がやり返すと怒るのは本当に理不尽だと思うのだが。
「男に猫耳付けようとする女は最低じゃないのか?!」
「うっさ! ばーか! あたしが……せっかく……朝来のこと、応援してやろうと思ったのに!!」
「これが何の応援になるんだよ!」
「うるせー、ばか! 赫夜! 赫夜早く来て!!」
「子供かお前は」
ヒートアップした夕鶴は、乱暴に頭から猫耳カチューシャを外すと小学生以下の罵声と一緒に俺にぶつけて、バタバタと廊下へ駆けていく。
再び手元に戻ってきた猫耳カチューシャをどうしたものか迷ったが、一応お土産だし無下にはできない。
夕鶴の態度に呆れながらも手に持ったまま追いかけると、夕鶴はタイミングよく部屋から出てきた赫夜に飛びつくようにして背中に隠れる。
俺が遅れて二人に近寄ると、赫夜の背後の夕鶴から恨みがましい顔で睨まれてしまった。
「どうしたの……? 二人して、お腹空きすぎちゃった?」
部屋から出てすぐの廊下で、俺と夕鶴に挟まれる形になった赫夜は状況が読めないといった困惑の表情で俺達を交互に見ている。
「朝来が、赫夜に猫耳カチューシャ付けて欲しいんだって!」
夕鶴のとんでもない発言に、ぎょっとして手の中の猫耳カチューシャに視線を落とす。
「いや、違う。これは夕鶴がお土産として渡して来た物で……」
突然思いもしなかった使い方を赫夜に投げるので、しどろもどろになりつつ訂正し、赫夜の顔を窺う。
赫夜に、この白いフワフワの猫耳カチューシャを……?
装着した姿を妄想してみると、確かにすごく似合いそうだ。
見てみたい……かもしれない。
「朝来……お前……」
ぽつりと呟いた赫夜は、呆れを通り越して若干引いた空気を纏って俺を見据えていた。
しまった。
「赫夜……もしかして、今の聞こえた?」
「朝来は私が猫である方が好ましいと……そう」
赫夜は、「ふぅん」と冷たく言って顔を逸らす。
絶対零度の赫夜に震えて夕鶴に目で救いを求めるも、べっと舌を出されてしまう。
こんなの罠だ。
自分で付けたいとも思わないし、似合いそうだと思った相手も軒並み怒るし、ただの呪いのアイテムじゃないか。
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まだ十九時を回った程度だが、夕方から雲が増えたせいもあってか外はもう暗い。
あれから何とか機嫌の直った二人と、テーマパークの思い出話を聞いたり関連映画を見させられたりして過ごした後、折角だからと、クリスマス以来の環月の試し切りに連れ出されている。
「環月の扱い、少しは慣れた?」
「出し入れは家でも試してたから、かなり早くなったと思う。斬る方はまだ……なんとも」
「お前の動きの精度も一戦ごとに上がっているし、綺麗に斬れているけど。何か気になる?」
赫夜に問われて、足元に転がる胴が二つに割れた蟲の死骸を薄目で見下ろす。
断面も、そこから溢れ出て地面を濡らす体液も、目に入って気分の良いものではない。
斬ると死骸の見た目が精神衛生上よくないです。って、言っていいだろうか。
――いや、ちょっと情けないし、視界に入れないように努めよう。
「……えっと、そうだな。斬れ味が良すぎるっていうか、想像よりぬるっと斬れるから慣れないんだよな」
環月で斬る蟲より、家の包丁でカレー用に刻む生人参の方が硬い。
「なるほど、そこは確かに数をこなして感覚を馴染ませるしか無さそうだね」
赫夜はあごに指先を添えて納得するように頷いてから、もう片方の手を俺に向けて伸ばす。
帰りの合図だ。
「あのさ、赫夜は年明け忙しい?」
赫夜が帰ろうと声に出すより前に、言葉をねじ込む。
「一日は夕鶴の初詣に付き合うけど、それ以外の予定はないよ」
「じゃあ、俺とも初詣行かない?」
「良いよ。あ……そうだ、なら一日に一緒に行こうか。夕鶴には私から話すし、夕鶴も喜ぶよ」
二つ返事でパッと明るい笑顔を見せる赫夜に、真剣な声を作って話しを続ける。
「いや、俺は赫夜と二人で行きたい」
「さ、三人じゃ……駄目、なの?」
「俺は駄目。夕鶴も一日は赫夜と家族二人で過ごしたいと思う。だから、別の日が良いんだけど」
目を合わせて言うと、赫夜の大きな瞳がうろうろと左右に揺れはじめた。
「……わ、わかった。日程はお前に任せるから」
赫夜は僅かに顔を俯かせながら、こちらに差し出していた手を上に持ち上げて、目隠しをするように俺を遮った。
「……だから、その目で見るのは……駄目」
「その目って何? 俺の目は別に色が変わったりもしてないと思うけど」
「そうではなくて……そうではないけど……駄目、だよ」
うまい具合に視界が手で遮られていて、赫夜の表情はわからない。
弱々しい声を出されるとドキドキしてしまうが、昼のようにろくでもない願望が伝わると怖いので、過剰な期待を抱かないよう懸命に己を戒めていた。




