70話 月のお姫様と男子高校生の力とクリスマスケーキ
静かになったリビングに戻って、ぼんやりと電源の入っていないテレビの暗い画面を見つめていた。
なんだか、一日でとんでもないことになったな。
昼過ぎからの一連の出来事を思い返して、まるで他人事みたいな感想しか浮かばず苦笑いしてしまう。
そっと前に手を伸ばして、手のひらに意識を集中させると、少しの間をおいて白金の剣が現れる。
質量のある淡い光の塊は、何度見ても奇妙で幻想的で、綺麗だ。
都筑さんには俺自身を認めさせると啖呵を切ったが、具体案など欠片も持ち合わせていなかった。
正直この界隈の基準を知らないので、自分の現在値も、認めてもらえるレベルがどの程度かもよくわからないが、俺にしか無い価値を考えてみるとおのずと絞られる。
俺にあるのは、この環月と、前世で培ったらしい体術と、ろくに使ったことのない霊能力、それと――
『人が使えるものではない』
赫夜に使わないよう言い含められた力。
「一番可能性がありそうなのは、そこだよな」
あの夜は朦朧としていたので、使い方すら確かではないけれど、試してみたい。
赫夜は怒るかな。
使うと体に影響が出るようなことを言っていたし。
力にしても、反動についても、具体的な話は聞かずじまいだったので、もう少し詳しく聞いてみたいが、話してくれるだろうか。
どう話を切り出すのが自然か、頭を悩ませていると、背後からリビングの扉が開く音が聞こえた。
「ごめんね、寝ちゃってたみたい……」
赫夜が眠たそうに片目を擦りながら、おぼつかない足取りでソファまで歩いてくる。
「いや、大丈夫だよ。一時間くらいだし。あ、でも、都筑さんは帰った」
「あいつは、いつも用が済んだらすぐ帰るから」
あくびを噛み殺すようにモゴモゴと小さな口を動かしている赫夜に、ソファを広くあけて座るように促す。
ぽすっとスプリングで弾むようにして俺の隣に座った赫夜は、眠気からか少し前のめりに揺れていて不安定だ。
膝にクッションでも置いたら安定するかもしれない。閃いて、横に置いてある中綿がしっかり詰まった大き目のクッションを身体の前に差し出すと、赫夜は両腕でぎゅっと抱き締めた。
腕の中のクッションに顎を乗せて、ふにゃりと顔を緩める赫夜は可愛い。
「朝来は、環月を出したりしてどうしたの?」
あぁ、忘れてた。出しっぱなしだった。
問われてようやく気付き元に戻るよう念じて、ど忘れしたのを誤魔化そうと頬を掻く。
「ちょっと、出し入れを確かめてたってとこかな」
確認してたのは事実だし。
「えらいね、コツを掴めれば一瞬で顕現させられるから、暇な時に試しておくといいよ」
すっと、赫夜の白い手が伸びてきて俺の頭を撫で始めた。
とろんとした瞳で俺を見つめる赫夜は未だ夢から覚めきらずといった印象で、撫でる力に若干のムラを感じる。
「……赫夜?」
「ん……嫌だった?」
「嫌ではないけど。昨日言った通り俺の心の声が聞こえても別に叶えなくていいから」
念のために言っておく。
撫でて欲しいと思ってはいなかったはずだが、甘えたいくらいは頭をよぎったかもしれない。
いたたまれずに頭を引いたのに、赫夜の手はそのまま髪の毛に吸い付くように追いかけてくる。
「別に何も聞こえてないけど、お前が少し気落ちしたような顔をしているから撫でてやりたくなった」
「あ……そう、なんだ」
赫夜の予想外の答えに、ぽかんとして上手く返すことができなかった。
けれど、赫夜自身の意志で撫でてくれてるんだと思うと嬉しくて、ちょっとだけ面映ゆい。
「都筑に嫌なこと言われた?」
「色々腹は立ったけど……正論な部分もあるっていうか……」
「あいつは弁が立つというか、自分が正しいように喋るのが得意なだけだから。半分聞き流すぐらいでいいよ」
苛立ちで目が覚めてきたのか、少しだけはっきりと喋り始めた赫夜の頬は膨れていた。
「じゃ、それくらいに思っておく。ありがと」
慰めようとしてくれる赫夜の気持ちをありがたく受け取って、口の端を持ち上げて返す。
赫夜は満足げに瞳を細めると、さっきよりも優しい手付きで俺の髪をすいた。
「――あのさ、今日話をしてて思ったんだけど。赫夜が使うなって言った俺の力ってやつ、詳しく教えてくれないかな」
結局、さり気なく訊く方法など思いつかなくて、繋ぎも何もない話題転換になってしまった。
開き直りだが、自分のことなんだから真っ向から聞いても良いだろう。
「どうして? 都筑に何か聞かれた?」
赫夜は僅かに警戒心を滲ませる。
俺の力を都筑さん達には知られたくないのだろうか。
「いや、全く。俺も何も言ってないし」
「なら急にどうしたの?」
「前は赫夜に言われた言葉でなんとなく納得してたんだけど、今日は環月も貰って、組織がどうとか、オカルト方面の話も聞いたせいかな。自分が持ってる力が気になったんだ」
あまり言いたく無さそうな雰囲気を感じさせる赫夜に、「知りたいんだ」と再度強く訴える。
赫夜は俺を撫でていた手を止めて、しばらく難しい顔をしていたが、やがて諦めたように小さく息を吐いた。
「私が言わないからって、都筑に聞きに行かれると面倒なことになりそうだしね」
「面倒って……やっぱ、人間には使えない力が使えるってバレると退治されるとか?」
「うーん、その可能性も無くもないけど。どちらかと言えば、崇め奉られるとかじゃないかな」
「崇め……奉られる?」
何だそれは、神様じゃあるまいし。
意味がわからなすぎて思わず復唱してしまう。
「それほどの力ってことだよ」
赫夜は眉を下げて力なく微笑む。
「私は朝来を昔から見てきて、朝来が平穏な人間らしい人生を尊んでいるように感じていた。だからね、これから詳細を話すけど、その力は決して使わず、秘するのが良いと私は思っている。覚えておいて」
「わかった」
物分りの良い返事をしてみせたけど、今のところ、力を使えるようにするという方針に俺の中で揺らぎはない。
赫夜の心配そうな、縋るように揺れる瞳に、少しだけ後ろめたい気持ちになる。
「それじゃあ、話は食事をしつつにしようか」
すっくとソファから立ち上がって赫夜が言う。
「ご飯? わざわざ用意してもらうの悪いし、話が終わったら家帰って食べるよ」
「都筑が持ってきたチキンとケーキ、良ければ食べていってくれると助かる」
「特にチキン」と不服そうに眉根を寄せる赫夜に苦笑いが漏れた。
+++
ダイニングテーブルに並べられた皿から、俺が二本目のチキンを手にとって齧り始めたところで赫夜が口を開く。
「以前少し話をしたけど、私達も、人間の術師も、力の行使には元素を使う。元素は大気に、そしてこの世界に存在する全ての物にも含まれている」
「ここにある皿とか、フォークとかにも?」
齧りかけのチキンを皿に置いて、油で濡れた手をおしぼりで拭いながらケーキ用のフォークを眺める。
「お前が食べたチキンもだし、全ての人間や生き物に等しく含まれている。魔法や霊能力と呼ばれるような、元素を感知し扱う才が発現するかは個人差があるけどね」
「赫夜にも?」
「勿論だよ。私や蟲のような神精霊、妖異と区分されるものの身体は元素で構成されている。元素が混じっていると言うよりは、元素の塊であると考えて良い」
説明を受けて、正面に座る赫夜をまじまじと見つめてしまう。
赫夜は俺の視線の動きが気になるようで、くすぐったそうに眉を下げて小さく笑った。
「私は元素でできた生き物だから、人間とは力の使い方が違う。例えば、火を起こしたいと思えば、その意思を直接周囲の元素に伝播させることで火を起こす」
こんなふうに、と言って立てた赫夜の人差し指の先に炎が揺らめく。
「……それ、赫夜みたいな存在は念じたら何でもできるって言ってる?」
「元素の使い方の話だから、できる事の範囲は個々によって違うかな。でも、私は結構何でもできる方だよ」
なんだかちょっと得意げに返された。
……まぁ、可愛いから良いか。
「対して人間は、何もないところで火を起こそうとする場合、元素へ働きかけるための触媒や術式、精霊に代行させる祝詞など何かしら必要になる。踏むべき工程が段違いに多いんだよね」
「なるほど……じゃあ、俺は? 術式とか触媒とか俺は何も知らないし、何もしてなかったはずだけど」
俺の記憶では、ただ蟲を倒したいと思っただけだ。
赫夜の説明と照らし合わせるなら、思っただけで敵を倒せたのは赫夜達と同じ力の使い方をしたからということになる。
「そうだよ、朝来は私達と同じ元素の使い方をした」
「やっぱり、そうなんだな」
予想が当たって納得していると、そんな俺を見て赫夜は深く頷く。
「時折、人の中には私達と同じ方法で力を使う者が生まれる。その大半が現人神の子孫であり、一族が遥か昔から神の権能を少しでも残そうと必死に繋いできた血脈の賜物だ。でも、人の理を外れた大きな力は持ち主を蝕む。私の知る限りは精神を壊して口も聞けないか、短命かのどちらかだよ」
「赫夜が俺に使うなって言ったのは、だからか」
「……そうだけど、少し違う」
急に曖昧に言葉を濁した赫夜を訝しく思って目をやると、赫夜は俺の視線から逃れるように俯いた。
「違うって何?」
今更、何が言い難いんだろうか。
問いかけると、赫夜は観念したように俺を見つめ返す。
「朝来は……あの時、蟲を元素に還した」
「それは前も聞いたけど、赫夜達と同じ力の使い方でやったのが不味かったってことだろ?」
「あのね、朝来は既に個として存在が確立している元素へ干渉して、結び付きを崩して大気に溶かした。そんな事は私にもできないんだよ」
赫夜にもできない?
今日何度目かの耳を疑うような話に、驚きで声も出なかった。
俺の中で、赫夜は圧倒的に強い存在だと認識している。同行した夜の戦いや、千年生きて叶えてきた人々の願いの内容、都筑さんらが引き留めたがっている話からしても間違いないだろう。
そんな赫夜にできない事が俺にできるって、意味がわからない。
「……いや、でも、それが本当なら、まつろわぬ神を倒すのも楽になりそうだよな」
「朝来には環月がある。まつろわぬ神を倒すための力はもう足りているよ」
「でもさ、手段が増えたり、余力が出るのは良いことじゃないか」
「今、私が危険性を伝えたばかりだと言うのに、どうして朝来は力を使おうとしているの? 何がお前をそうさせるの?」
空笑いする俺を、赫夜は眉根を寄せた渋い顔で窘める。
「朝来が幼い頃に身体が弱かったのも、力のせいだったかもしれない。今は健康そのものだけど、本来なら力を持っているだけでも身体に負荷がかかっているはずなんだよ。絶対に使おうなどとは思わないで」
胸の前で祈るように強く手を組んで切実な眼差しで訴える赫夜に、それでも、頷くことができなかった。
+++
重たくなった空気と自分の返事を誤魔化すために、夕鶴の行っているテーマパークのこと、明後日は竜に飯を奢るのだとか、他愛ない話題を喋り続けた。
最初は急に変わった話題に戸惑いを隠せない様子だった赫夜も、話題が変わるに連れて笑みが増えてきたのでホッとしていた。
ダイニングテーブルの上には、てっぺんに苺が乗った丸型の可愛らしいショートケーキがお互いの皿に乗っている。
まだクリスマスは終わってない。
今日が赫夜と俺にとって楽しい日として終われるように、もっと赫夜の笑顔が見たかった。
「このケーキ、クリームさっぱり目で美味しいよ。苺も大きいの入ってる」
白いケーキにフォークを差し込み、二口ほど堪能した感想を、まだフォークを握ったままケーキに手を付けていない赫夜に伝えた。
「そう、良かったね」
赫夜はまるで、ケーキを前にはしゃいでいる子供を見るような慈愛を滲ませた視線を俺に向けてくる。
「ケーキ食べないの? チキンは……まぁ、しょうがないかもしれないけど、ホットミルク飲んでるだけじゃないか?」
「うーん、そうだね。私もケーキは食べようかな」
食欲が無いのか心配で聞いてみると、赫夜は小さく笑って手に持ったフォークをてっぺんの大きな苺に突き刺して、すっと腕を前に伸ばして俺の口の前に苺を差し出す。
「えっと……これは……」
正面に見えるのは、少しテーブルに乗り出すような格好で俺に苺を食べさせようとしてくれている赫夜だ。
忙しく思考を回して三回確認したが、他のものには見えない。
「苺、お前は好きでしょう?」
「そんな話したっけ……?」
「飴を貰った時、いちご味が好きって言ってたよ」
「……言ったな」
「ふふ、忘れてたんだね」
ささやかな話を覚えてくれたのが嬉しい。けれど、自分が忘れかけていたことが少し気まずくて後頭部を掻く。
「俺のそんな些細な話題、覚えててくれる赫夜がすごいんだよ」
「そうだよ。私、忘れたりしないもの」
得意満面の笑顔で自分を誇る赫夜は、あまりに微笑ましく可愛らしい。
「ほら。朝来、口を開けて」
唇にひんやりとした苺の感触がして、ゴクリと固い唾を飲み込んだ。
俺は暴れ出しそうな心臓を抑えるのに必死なのに、赫夜から感じる雰囲気は餌を運ぶ親鳥くらいなのが少しばかり虚しい部分はあるけど。
こうなったら、やるしかない……よな。
恥ずかしさはかなりのものだが、正直嬉しい。
別に、他に誰も見てないし。
「いただきます……」
苺に歯を立てて、慎重にフォークの金属部分に口がつかないよう、ゆっくり苺を引き抜く。
一口で頬張るには大きい苺をもぐもぐと懸命に咀嚼していると、赫夜がさっきより深くテーブルの上に身を乗せて、俺の口の端を指で拭った。
「一口で食べるから、クリームが付いちゃったよ」
指先に、拭い取った生クリームを乗せたまま甘く微笑む赫夜を蠱惑的に感じてしまって、咀嚼し切る前の苺の塊をそのまま飲み込んでしまう。
喉に詰まらせて、慌ててコップを掴み温くなりかけたコーヒーをあおった。
「大丈夫?」
「大丈夫」
「美味しい?」
「うん……美味しい。すごい甘酸っぱい」
気負いの感じられない穏やかさで「良かった」と笑いかけてくる赫夜にもどかしさを感じつつ。
総評として、最初にしては良いクリスマスだったんじゃないかなと思うことにした。
連休らしいので更新一回増やしてみました。
次は土曜日に通常通りです。
クリスマスがやっと終わりました。




