66話 月のお姫様とクリスマスの記念
「写真は俺が大事に持っとく」
「うん。そうしてくれたら嬉しい」
歯がゆさを堪えて顔を上げると、赫夜はふわりと笑みを深める。
さっきより力の抜けた、安堵の色が混じった満足げな笑顔に、俺もつられて微笑みを返す。
写真を撮らせてごめんって謝ってしまいたかったけど、赫夜は嫌だとも消して欲しいとも言わなかった。だから、赫夜の言った通りに俺だけの物として大事にしておきたい。
会話が途切れたところで、人の流れの中で立ち止まっている俺達を避けて歩く人々の視線に気が付き端に避けた。
変な話をしているのが聞こえただろうか。少し焦って周囲の様子を窺うが、賑やかにイベントを楽しむ声がそこら中から聞こえているので、その点は杞憂らしい。
けれど、赫夜が視線を集めているという事実は変わらず。
男も女も、通り過ぎざまに「おぉ」や、「きれい……」と感嘆の声を漏らして赫夜に見惚れている。
街は外国人観光客も多いので赫夜も目立ちにくくはあるものの、淡く光を纏ったように輝いて見える金色の髪も、整った愛らしい容姿も、人の目を惹くのに十分すぎた。
隣の俺に刺さる視線は赫夜のオマケと言うか、美少女の隣りにいる肉親には見えない男が気になるんだろう。
仕方がないが、値踏みされるのは落ち着かない。
それに、これ以上立ち止まって注目を集めていたら、誰かがこっそり写真を撮ったりするかもしれない。移動した方が良さそうだ。
「次はあっちを見に行ってみようか」
「何か気になるものでもあった?」
「展示はこれだけみたいだけど、奥に物販あるっぽいから折角だし覗いて帰ろう」
展示スペースの出口先に設置されている今回のイベント専用の物販コーナーを指差す。
横を抜けてまっすぐエスカレーターへ向かってもいいだろうが、これも展示の一部みたいなものだ。
仕切り直しも兼ねて見ておくのも悪くない。
赫夜が頷いたのを確認して、物販コーナーへ向けて足を進めた。
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イベントの物販コーナーはそれなりに盛況だった。来たからには記念になる物やお土産を買おうという人が多いんだろう。
「思ったより色んなのが売ってるんだな」
物販コーナーの中に入ってみれば、外から見るより売り場面積は広かった。
今回展示されているツリーのミニ写真集やポストカード、クリアファイル、梱包に写真が印刷された箱入りクッキーなんかが売れ筋らしく前面に置かれている。
後は、服飾関係のイベントだからかブランドのTシャツやワンピースも奥の商品棚に掛けられていた。何気なく確認したタグに書かれた値段の桁数にゴクリと喉が鳴る。
「朝来、そのシャツが欲しいの?」
「いや、興味本位で……買う気がないのに触るのはよくないな」
「買わないんだ」
「買えないというのが正しいかもしれない」
シワが付かないように慎重に元の位置へ戻して見なかったことにしておく。
少し足早に通り過ぎた衣類棚の先にある雑貨が陳列された棚の前で、ふと、上段に置かれている小物が乱雑に積まれたカゴが目に止まり歩みを緩める。
「これはキーホルダーか……?」
「今度は何を見ているの?」
「この山のように盛られてる小物、何なんだろって考えてた」
俺の後ろから覗き込む赫夜に、ストロー素材の編みカゴに盛られていた先っぽに紐の付いた小物を摘み上げて軽く揺らす。
赫夜は物珍しげな顔をして俺の横に並ぶように前に出ると、同じようにかごの中身を一つ手に取った。
「色んな種類があるね。これはさっき見たツリーに飾られていたものと似てるかな」
「なるほどな。じゃあこれツリーの飾りなのか」
微かに見覚えのある癖の強い造形に、展示ツリーの内の一本を思い出して頷く。
オーナメントなのだろうが、クリスマスだからとツリーを飾る家も少ないだろうし、キーホルダーにもバッグチャームにも使える感じだ。
売り方は雑だが、クリスマスらしい商品という意味では売り場内でも上位に入るだろう。
「なぁ、記念品とか買って帰らないか」
「記念? なんの?」
「今日、赫夜とクリスマスしに来た記念」
写真が駄目なら、記念品でどうだろうか。
ぱちりと瞬きをして問う赫夜に閃いたままを伝えてみたが、あまりピンとこないようで首を傾げられてしまった。
「朝来って、こういう小物が好きだったんだ?」
「いや、でもすごいクリスマスっぽいだろ」
「好みよりもらしさが大事なの?」
「お土産とか記念品なら、場所やイベントらしさは重要じゃないか」
むしろ他に重視すべき部分なんか無いだろう。人に配る物なら無難にお菓子にしておくが、例えば北の大地で記念品をと言われたら俺は木彫りの熊を選ぶ。
熱意を込めて語ってみせると、俺の言い分に赫夜はどこか呆れたように、それでいて微笑ましげに目を細めた。
何処か行った時、何かのイベントの度に一つずつ増やしていったら。
赫夜の猫脚の小箱から記念品が溢れるくらい、あの空っぽの部屋が賑やかになるくらい一緒に過ごして。
そうやっていつか、赫夜の寂しさが遠くなれば良い。
「ってことで、この中から俺に一つ選んで買ってくれないか」
「えっ……!?」
赫夜は蜜色の瞳を丸くして大袈裟なくらいに驚いた。
「クリスマスには、クリスマスプレゼントってものがあるんだけど。赫夜知ってる?」
「どうして知らないと思うんだろう? 馬鹿にされてるのかな」
からかってやると、不服そうに口を尖らせながら白い眼差しを送ってくる。
迫力のない優しい睨みが可愛くて、堪えきれずに笑いが漏れてしまう。
「でも、私が買って大丈夫なの? 朝来は私がお金を出すの嫌なのかと思ってた」
うろたえながらも、ほんのりと嬉しそうに訊く赫夜にたじろぐ。
伝え方を間違えたらツリーごと買ってきそうだ。
「俺が赫夜に買ってもらって、俺も赫夜に買う。プレゼント交換しないかってこと」
「私と朝来でプレゼントを交換し合うの?」
「そ。今回はクリスマスプレゼントだけど、次からも一緒に行った場所で買えるお揃いの記念品を贈り合うのって楽しそうじゃないか?」
与えたがりな赫夜への牽制を込めて『お揃い』を強調しておく。
こう言っておけば、とりあえず高額な物にはならないはずだ。
バイトもしていない高校生では大したものを渡せないのがもどかしいが、小遣いで無理をするのは違うだろう。それなりの物を贈るなら自分で稼がないと意味がない。
何より、特別な間柄にはまだ遠いしな……
今日一日でわかったが、赫夜はなんだかんだ俺に甘い。
それは鞘守との約束からくる親近感とか、出会った頃に言っていた愛着ってのが正しいんだろう。
人恋しさも相まってか許容の判定が広い気がする。
「無理にとは言わない。ちょっとでも引っかかる部分があれば断って大丈夫だから」
押すのをやめるつもりはないけど、押し付けるようじゃこれまでと変わらないから。
きっと、俺が気を付けないといけないんだ。
「次からも……一緒に行くの?」
ほんやりと呟いた赫夜の声はどこか熱を帯びたように聞こえて、俺を見上げる潤んだ瞳が溶けるほど甘い色に見えてしまい心臓が跳ねる。
「赫夜さえ良ければ。正月もあるし、他にも……カレンダー見たら何かあるはず」
「人日とか鏡開きとか?」
「ごめん。それは全然わかんないけど」
名称にうっすら聞き覚えはあるけれど、具体的な日にちや行事内容は浮かんでこない。
ぱっと口から出てくるあたり、赫夜はやはりイベントが好きなんだろう。
「何もなくても、蟲退治の合間の息抜きでもさ、遊びに行って記念品買って帰ろう」
「……うん、良いよ」
眉尻を下げてへにゃりと嬉しそうに頬を緩ませる赫夜に、じわじわと恥ずかしさが限界値を超えてきて、たまらずに視線を横に逃した。
「よし。なら、このカゴの中から俺用のヤツ選んで」
「朝来は?」
「勿論、俺も赫夜にあげるヤツ選ぶよ」
かごの中身をそっと掻き分けるように物色していく。
アクセサリーとかなら赫夜っぽい、赫夜に似合いそうな物って指標になるだろうけど、オーナメントは身につける物とも違うので途端に悩ましい。
サンタクロースや月モチーフは定番だったり本人の印象と強く結びついているものの、どうも俺の中でしっくりこなかった。
赫夜もカゴから出した一つ一つを丁寧に棚の上に並べて真剣な面差しで吟味している。
一生懸命考えてくれている赫夜を横目に、負けられないなと謎の対抗心が湧いてしまう。
気合を入れ直してカゴ漁りを再開して程なく、カゴの底から摘み上げたオーナメントを見て「これもアリか」と強い説得力を感じてしまった。
候補として脇に避けておいた物と見比べても、今日のプレゼントには一番適しているだろう。
少し恥ずかしいけど、インスピレーションは大事だと自分を納得させるために独りごちた。
「赫夜決まった? 俺はもう決まったよ」
手元に残した一つ以外をカゴに戻しながら少し挑発的に窺ってみると、赫夜は悩ましげに握られた拳を口元に当てて小さく唸る。
「ん、私はまだ……種類が多いし、朝来が自分で選んだほうが良いんじゃない?」
「それは駄目。赫夜も自分で欲しいヤツ選ぶってなら考えなくもないけど」
「……うーん、難しいよ」
眉根を寄せてうろたえている赫夜は可愛らしいし、頑張って考えてくれているのも嬉しいので特に急かすつもりはない。
ただ、売り場を長時間占有するのは他の客達に悪いのも確かだ。
プレゼント選びのヒントにでもなればと、赫夜の目の前に俺の選んだオーナメントをぶら下げた。
「ちなみに、俺はこれにした」
サンタ服を着た黒い犬のキャラクターが描かれた金属プレートがゆらゆらと揺れる様を、赫夜は食い入るように見つめている。
「犬のサンタクロース……?」
「月とか星とかのが赫夜には合いそうだけど、持ってて貰うなら俺っぽいやつが良いなってこれ見て思ったんだよ」
……それが犬ってのは若干不本意だけど。
サンタ犬のオーナメントを選んだ理由を聞かされた赫夜は、口を隠すように広げた手では隠しきれないくらい大きく声を上げて笑った。
「そんなに笑わなくていいだろ。犬みたいって言ってたの赫夜じゃんか」
「だって朝来が可愛いから」
「笑いを取ろうとは思ってないんだけど」
気恥ずかしさを咳払いで誤魔化す。
クリスマス感もある可愛いキャラクター商品として黙って渡せば良かった。
赫夜はまだ笑いを堪えるように口元を手で覆いながら、再びオーナメントの載ったカゴの中へ手を伸ばす。
「じゃあ、朝来にも私っぽい物にしようか。……これでどうかな?」
赫夜が俺に向けて差し出したのは、黄銅のプレートで作られた空を飛ぶ鳥の形をしたオーナメントだった。
プレートそのままで着彩はされていないが、かえってシンプルで美しいといった印象を受ける。
「赫夜ってやっぱ鳥なの?」
照明の光を反射して金色の縁を輝かせるオーナメントをしげしげと眺めながら、夜空に透けた赫夜の翼を思い出して訊く。
「さぁ、どうだろう?」
悪戯っぽい微笑みではぐらかされてしまう。
半ば正解と言っているようなものだが、明言する気はないらしい。
「ありがと、嬉しいよ」
「うん、私もだよ」
お互いにオーナメントを握り締めながら笑み交わして、会計の列へ歩き出す。
横に並ぶ赫夜との距離が、ほんの少しだけ近くなった気がしてこそばゆかった。




