65話 月のお姫様と記念写真
街は可愛らしく描かれたクリスマスの図柄がそこかしこに見受けられる。日中のためイルミネーションこそ点っていないが、その分、赤緑白で構成された鮮やかな色彩が目立つ。
赫夜と街に出る時は基本的に夜の路地裏なので、昼間に表通りを歩いているだけでもかなり新鮮な気分だった。
隣を歩く陽の光を弾いてキラキラと輝く細い金の髪を見ているだけで心が弾む。
しかし、しかしである。
俺はクリスマスの繁華街を完全に舐めていた。
とにかく人が多すぎる。
思い付きの行動はよくないというお手本のようだ。
混むなら今夜という予想だったが、遊ぶなら昼から遊ぶに決まっている。
とどめを刺すように、近くに居た男達が「週末とクリスマス被ると人の数やべーな」などと笑い合ってるのまで聞いてしまった。
冬休みを謳歌する学生の身では曜日まで意識していなかったが、それならばこの人混みにも納得だ。
見通しの甘さを反省して、赫夜の耳に届かないよう注意しつつ溜め息をついた。
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流れに乗って辿り着いた大型複合施設は当然人で溢れかえっていたが、外よりは幾分マシで胸をなで下ろした。
入ってすぐのエスカレーター横に置かれたボードには、お誂え向きに八階にクリスマスツリーの展示スペースがあると書かれている。
「赫夜、疲れてる?」
ここまで人口密集地帯を抜けてきたし、疲弊していないだろうか。
心配になって尋ねると、赫夜はきょとんとした表情で首を傾げる。
「ううん。全然」
「なら、足痛いとかは? 人混みすごかっただろ。レストラン階も混んでるだろうけど、店とか見て回る前に休憩のが良いかなって考えてるんだけど」
「急にそんなに心配されると擽ったいよ。私、結構丈夫だよ」
捲し立てた俺に、赫夜は唇にゆるく丸めた指を添えて可笑しそうに笑う。
誘った俺がちゃんと気を回してリードせねばと考えていたけど、最初からは上手く行かないらしい。
ネットの記事には女の子をあまり歩かせてはいけないって書いてあったんだよ。
「そんなに俺の言ってることおかしいかな」
「だって、これまでの夜の探索では言わなかったじゃない。私は平気だから、休憩はお前に合わせるよ」
「……なら、先に八階のクリスマス展示でも見に行くか」
スマートな対応というのは実際やろうとすると中々に難しい。
気恥ずかしさを誤魔化すために後頭部をぐしゃぐしゃと掻き混ぜていると、赫夜は俺を見ながら、道を散歩している子供やペットを眺める時のような、微笑ましいといった表情を浮かべている。
「朝来は可愛いね」
「可愛くないから」
不服を込めて視線を投げれば、赫夜は「ごめんね」と言いながらも小さく笑った。
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エスカレーターで八階に上がると、他の階よりもあきらかに人が詰まっていて若干怯んでしまう。
床と天井から下げられた看板には順路を示す矢印が描かれていたので、赫夜とはぐれないよう歩幅を小さくしながら流れのままに列に並ぶ。
『海外有名服飾デザイナー十人によるデザインツリー展』だそうで、会場内には異なる飾り付けのツリーが十本、大きく感覚を開けて設置されていた。
鮮やかで光沢のある布が巻かれたツリーや、ぱっと見は普通だけど繊細な刺繍が施されたオーナメントで飾られたツリー、形容し難い突き抜けた造形のツリーと様々で、どれも熱心に写真を撮る人垣で囲われている。
「賑やかで良いね」
小さく落ちた穏やかな声に目を向けると、赫夜は俺を見上げて薄く笑った。
「そうだな。この人混みの一部になってるってのが、最高にクリスマスイベント参加してる感じする」
「朝来がまた変なことを言ってる……」
赫夜が少し呆れた眼差しで刺してくる。
結構本気で言ってるのに。
「空いてる方が見やすいし疲れないけどさ、やっぱイベントはこれくらい賑やかなのが良いし、そのための賑やかし要員って重要だろ。だから、ここに居るだけで重要な役割としてクリスマスイベントに参加してるって話」
「居るだけで……?」
「そ、俺も赫夜も同じクリスマスの賑やかし構成員だよ」
「……そう、一緒だね」
俺を見上げながら胸元を押さえて、ふにゃりとした笑顔を見せる赫夜が可愛くて。
赫夜がぴくりと反応して俺の右手を目で追い始めたので、触れたくなった手を強引な咳払いで誤魔化そうと努力はした。
「赫夜はどのツリーが好き?」
俺が訊ねると、赫夜は会場をきょろきょろと見回して一本のツリーを指差す。
「あの、三本目のピンク色のツリーは夕鶴っぽいと思ったよ」
「あの白ピンク紫のフリル付いてるやつか。確かにそれっぽい」
夕鶴の部屋の女の子らしい雰囲気を思い出して納得する。
「じゃ、ピンクのツリー前で写真撮らせてよ」
「写真なんか撮ってどうするの?」
「ツリーの前で記念写真ってのはクリスマスっぽいだろ。ちゃんと参加しないと」
「さっきは居るだけで参加してるって言ったのに……」
「これは俺と赫夜のクリスマスっぽい事するってイベントだから、さっきとは別枠」
軽口を叩きながらピンク色に飾られたツリーの前へ背を押してやれば、赫夜は大きな瞳を瞬かせて困ったように肩を丸めた。
「よろしければ、私が彼女さんとのお写真お撮りしますよ」
スマホカメラを起動して撮影のために距離を開けようとすると横から優しげな女性が話し掛けてきて、突然の申し出に驚いて凝視してしまう。
シンプルなスーツ姿の女性は首から『スタッフ』と書かれたネームホルダーを下げていた。イベントにおけるサービスの一環のようだ。
「えーと……じゃあ、お願いします」
少し悩んでからスタッフにスマホを渡せば、お手本のような爽やかな笑顔で「まかせてください!」と赫夜の横に立つように促された。
「ツリー入れるのに縦で撮っちゃうので、お二人はもっと寄ってもらって良いですか?」
「ちょっと待ってください。……えっと、これくらいですか」
横に身体をずらして、赫夜と腕がぶつかった位置でスタッフに確認する。
「うーん、お兄さん半分切れちゃいますね。彼女さんは位置そのままで、お兄さんが後ろに立ってください」
言われた通りに赫夜の後ろに回るが、スタッフからは「もうちょっと前に」と距離を詰めるように指示が飛ぶ。
流石にこれ以上は近すぎないか。
二人の距離は一歩分も離れてないのに「もっと」と言われて、困惑の視線をスタッフに送る。爽やかな笑顔を崩さないスタッフから、わざと密着させようとしている空気を感じてしまうのは気の所為じゃないはずだ。
クリスマスだし、撮影サービスのマニュアルにでも書かれているのかもしれない。
他にも記念写真を撮りたい人は山程いるはずで、俺がもたついて撮影スタッフを拘束するのは悪いだろう。
「赫夜、ちょっとだけ――」
口を開きかけた俺の胸に、赫夜が背中をつける格好で倒れ込んできた。
ふわりと、柔らかい髪の毛が頬をくすぐる。
「赫夜……?」
赫夜は何も言わずに、まっすぐ前を向いたまま体の力を抜いて寄りかかってくる。胸に感じる赫夜のほどよい重みと暖かさが心地よくて、心臓には悪かった。
返却されたスマホを確認すると、匠の腕による仲睦まじいカップル感溢れる写真が収められていてむず痒くなる。
「写真はどうだった?」
「ああ、綺麗に撮れてた。今から送るよ。スタッフの人って期間中ずっと撮ってるんだろうけど、写真上手くてすごいよな」
スタッフの手腕を褒め称えながら写真が表示された画面を見せると、赫夜は控えめな微笑みを浮かべて頷く。
「私には送らなくて良いよ。朝来が持っていて」
「や、でも写真って言ってもデータだし手間無いぞ。もしかして写真撮るの嫌だった?」
「嫌なわけでは……無いんだけどね」
赫夜は小さく首を振って否定する。
先を言い辛そうに間を開けてから、憂いを帯びた声で、ぽつぽつと話を続けた。
「本当はね、私の姿が写真に残るのは良いことではないんだって、わかってるんだ。人の記憶と違って写真なんかは正確に残ってしまうから。なのに朝来や夕鶴に言われると、つい。駄目だね」
「駄目ではないだろ。写真だって、他の誰かに見せる気もないし」
「お前を疑ってるわけではないんだ。もう良いんじゃないかとも……思う。でも、夕鶴の手元にある十年近く前に撮った写真と今日の写真と見比べても、私だけ何も変わっていない」
気まずそうに頬を掻いて苦笑いする赫夜に、そんなこと無いとは言えなかった。
赫夜の外見は俺と同じ年頃にしか見えない。
服装や化粧で誤魔化したって二十代半ばが限界だ。
淡く金色に輝く作り物めいた繊細な美しさも、夢で見ていた千年前と何ら変わりがなくて。十年前もきっとそうで、二十年、三十年先も同じなんだと、考えなくてもわかってしまう。
「……考えが足りなかったな。俺、赫夜との記念ができるのが嬉しくて」
「朝来が嬉しいなら、私も嬉しいよ。だから、この写真はお前だけのものにしておいて」
そっとスマホを指先で押し返される。
柔らかい笑みを浮かべる赫夜は、普段通りの穏やかさで事もなげに言った。
俺を見つめる赫夜の瞳は優しい色をしているのに。
奥に隠れた寂しさを、俺は見落としてはいないだろうかと焦燥感で喉が焼けつく。
クリスマスを楽しんで欲しかった。一緒に過ごして記念になることを積み重ねて行けば、赫夜の寂しさを埋めてあげられるんじゃないかと考えていた。
ただ、それは赫夜の心以外の部分でも容易ではないらしい。
赫夜が人と一緒に居ることの難しさを知って、苦い思いに顔が歪んだ。




