64話 月のお姫様と男子高校生のためのワンピース
「赫夜、この後どっか遊びに行かない?」
朝食の後片付けを終えて、エプロンを首から外しながらリビングのソファまで戻ってきた赫夜を誘うと、赫夜は胸の前で両手を重ねて少し驚いたように瞳を瞬かせた。
「朝来は家に帰るんじゃなかったの?」
「夜には帰るけど、まだ朝だろ」
帰るとは言ったが朝に帰るとまでは言ってない。
屁理屈を返すと、赫夜は呆れを隠さずに微笑んだ。
今はまだ店も開いていない時間だが、準備や移動も考えればすぐ昼になるだろう。
カーテンの隙間から差し込む陽光は心地が良さそうで、まさにお出かけ日和と言えそうだ。
「今日ってほら、クリスマスだし。先週も遊びに行けなかったしさ」
クリスマスだと口に出すと、途端に意識してまごついてしまう。
語尾につれ小さくなる声に、くすりと笑う赫夜の声が重なった。
「うん、良いよ。行こうか」
拙い誘い文句に二つ返事で頷いてくれる赫夜に面映ゆくなる。
できるだけ一緒に居たいと思うし、家に二人で居るのも俺は嬉しいし楽しいけれど、二人きりの空間は落ち着かない部分もあって。
「街でいい? すごい混んでるだろうし、あんま遊ぶ場所とか詳しくないけど」
「私も出かけるときは夕鶴任せだけど、目的が決まっているなら多少は候補が出せるかもしれない。朝来はしたい事とか、欲しい物とかある?」
「物は別にいらないけど、折角だから赫夜とクリスマスぽい事したいかな」
「クリスマスっぽいこと……って何だろう?」
首を傾げる赫夜からは、頭に浮かんでいる疑問符が目に見えるようだ。
「いや、何って言われると……」
具体的にクリスマスっぽいと考えると、クリスマスツリーにプレゼント、ケーキやチキンくらいしかパッと出てこない。
もう少し何か無いものか。発想力が足りないように感じて頬を掻く。
「一緒に街でクリスマスの飾り付けを見て歩くとかだけでも良いんだ」
「私とでいいなら、何処にでも行くよ」
赫夜の慈しむような眼差しに、バクバクと心臓が大きく音を立てて急速に体温が上がっていく。
穏やかな笑みを見せる赫夜とは対照的に、騒がしく暴れまわる感情を鎮めようと二の腕を揉んだ。
「じゃあ、行くのはいつもの街で良いのかな。準備してくるから待っていて」
「あ、俺も洗面台とか借りていい?」
「自由に使って。場所はわかるよね」
赫夜が腕にかけていたエプロンが、くるりと身を翻したのに合わせて揺れた。
紺色の生地が描く曲線を目で追う。名残惜しさから無意識に伸ばした指に気付いて拳を握った。
もう少し距離が近かったら、手を取って引き寄せていたかもしれない。
赫夜が身支度のために部屋を出たのと同時に、体から熱を逃がすために長く大きな息を吐いた。
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「おまたせ」
リビングの扉が開いた音に振り向くと、コートまで羽織って外出の準備を完璧に整えた赫夜が微笑んで声を掛けてくる。
「準備はもう大丈夫?」
「うん。大分時間を取らせてしまったね」
「別に大丈夫だよ。スマホ見てのんびりしてたし」
女の子の身支度には時間が掛かると話に聞いてはいるし、言った通りスマホを見てたので特に待ったという感覚はない。
映画の上映時間みたいに差し迫った予定があるわけでもないので、急がなくて良いのに。
俺を待たせたと気を揉んでいる赫夜に、大丈夫だと念を押す。
むしろ、赫夜を待っている間、自分と出掛けるための身だしなみに時間を掛けてくれるのは嬉しいものなんだな、と思っていた。
「あれ、その白いワンピースってこの前着てたやつ?」
赫夜の前に立つと、前開きのコートから覗く白いワンピースが目を惹く。
先週、海沿いの公園で会った時と同じ、胸下からふんわりと広がっている柔らかそうな素材のワンピース。
あの日は夜だったので多少色の見え方が違うが同じものだろう。
「そうだけど。よくわかったね」
「見覚えあるから、もしかしたらと思って」
赫夜が俺の言葉に身構える。
「……同じ服だと駄目だったかな?」
しゅん、と赫夜は気まずそうに眉尻を下げた。
マイナスに解釈されると思っていなくて、慌てて空中でろくろを回してしまう。
そんなにおかしいことを言ってないはずなのに、何が悪かったんだろうか。
「違う、駄目とかじゃないんだ。先週と同じ服に見えたのが、ちょっと気になって……」
なんだか、やましい事柄への言い訳を並べている気分になる。
天井を仰ぎかけて、俺からワンピースを隠すように肩を内に丸めて小さくする赫夜の姿に、最初に言うべき一言が足りなかったんだと気が付いた。
「前に夕鶴から、俺と遊びに行く日のためのワンピース買ったって聞いてたからさ。だから、それ今日も着てくれて嬉しいって言いたかったんだ」
僅かに頬が火照るのを自覚して一息に言う。
言い終えた時には、赫夜は目を丸くして少し固まっていた。
数秒して、あからさまにハッとした赫夜は気まずそうにもごもごと唇を動かす。
「夕鶴がね、朝来と遊びに行くなら、これを着て行かないと駄目だって買った時に……だから、今日は着ないとって思ったんだけど……先週と同じでも平気?」
「何回だって見たいし、嬉しいに決まってる」
嬉しかったを強調して言うと、赫夜は僅かに眉根を寄せて、また固まった。
「えっと、赫夜……?」
おそるおそる呼びかけると、赫夜はさっと顔を横に向けて、戸惑いの滲んだ視線を左右に動かす。
これは、引かれたかもしれない。
返事のない赫夜の横顔が、俺の不安を刺激してきて薄っすらと冷や汗をかく。
黙って返事を待つべきか、言い訳をしてみるべきか。
焦りを顔に出さないように表情筋に力を入れながら悩んでいると、赫夜が唇を小さく噛みながら、少しぎこちない緩慢な動きでコートを肩から滑らせた。
「はい、これで見える? ……ただのワンピースだし面白くはないと思うけど」
脱いだ濃い茶色のコートを持った手を後ろで組んで、落ち着かない様子で言う。
見たいとは言ったけど、前回直視できなかったから正面でしっかり見ておきたいという意味だったのだが。
まさか、コートを脱いでまで見せてくれるとは思わなくて驚いているけれど、目はしっかりと赫夜に釘付けになってしまう。
赫夜の着ているワンピースは、オフショルダーでこそないが想像より襟ぐりが広く開いていて、白い首筋と鎖骨のラインがはっきりと見えていた。
それでも、けっしていやらしい訳ではなく、赫夜の儚げな印象を強くしている。
乳白色の滑らかな肌の眩しさに視線を下げると、今度は脚に意識が向いてしまう。
スカート丈も短く、すらりと細い脚は腿の半ばから隠せていないけど、薄手の黒タイツを履いているおかげで辛うじて目視できた。
今まで見た服装だとハイネックで首周りが詰まっていたり、ロングスカートだったりと、とかく露出が低かったのに、急に肩が見えそうなミニワンピースなのだ。
どこに目を向けたって落ち着かなくなる要素しか無い。
じわじわと侵食してくる煩悩をなんとか押さえて、赫夜に素直な感想を伝えるために口を開く。
「すごい似合ってる。可愛いよ」
言い慣れない褒め言葉に顔どころか全身がものすごく熱い。
ワンピースは、赫夜にとても似合っていて可愛い。
ただ、それ以上に、こうして俺に見せてくれる赫夜が可愛いんだけど。そこまで口に出したら今度こそ本当に引かれそうな気がする。
「朝来、昨日から変だよ……急におだてるようなこと言って」
赫夜の顔がさっと薔薇色に染まった。
大きな瞳を溢れんばかりに開いて、ぱくぱくと小さな口を震わせている。
「おだてる? いや、本当に可愛いと思ってる」
「だって、今までそんなの一言も言ってなかったじゃない。おかしいよ」
「ずっと思ってたけど恥ずかしくて言えなかっただけだ。初めて見た時からずっと、赫夜のこと可愛いって思ってたよ」
バサリと重たい音を立てて、赫夜が手に持っていたコートが床に落ちた。
臆さずに伝えると、赫夜はさらに顔を赤くしてきゅっと唇を結ぶ。
指先でスカートの裾を摘むように弄んでいる仕草から、本気で動揺してるのがわかって表情筋が段々と緩んできてしまう。
恥ずかしい台詞は、恥ずかしいけど案外言えてしまうものらしい。
本心だからというのもあるし、本気だからだろう。
赫夜の反応が良くて、恥ずかしさより押したい気持ちが強くなるというのもある。
ちょっとは男として意識してくれてるのかもと期待するじゃないか。
「……朝来はやっぱり、ちょっとおかしくなった」
「だとしたら、赫夜のせいかな」
言ってやると、やや不満げに薄紅に染まった頬を膨らませて俺を見上げてくる。
「私は何もしてないよ。人のせいにするのは良くないと思うけど」
「赫夜に俺の気持ち知って欲しいから、ちゃんと言うことにしたんだ。だから、赫夜のせいだろ」
「お前、無茶苦茶だよ……」
途方に暮れたようにこぼした赫夜は、耳の端まで真っ赤に色付いていた。
出掛けることにして本当に良かった。この調子で家に居たら絶対に指一本触れないなんて自信がない。
俺には他人の目という監視が必要だ。
悪い気を起こしかけた自分に苦笑いしながら、床に落ちたコートを拾い上げて赫夜の肩にそっと掛けた。
今週は三連休なので、月曜日にもう一回更新します
よろしくお願いします




