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夜明けが君に届くまで  作者: ちる
第一章
63/89

63話 月のお姫様とあたらしい朝

 夜の闇に紛れて雑木林を全力で駆け抜けていく。

 生い茂る堅い枝木が何度も皮膚を浅く裂いたが構わず一直線に進む。


 誰にも悟られぬよう幾重にも細工を施しておいたが、明け方には俺の不在が発覚するだろう。

 一刻も早く、まつろわぬ神を封じねばならない。


 木々の隙間から差し込む白い月光の柔らかさを頼りに、まつろわぬ神の怨嗟が渦巻く彼の一族の地下祭殿へと向けて我武者羅に走る。



 愚かな事をしている。


 周囲に人気が無いのを良いことに、声を抑えもせず高らかに嗤う。


 師を裏切った。友を裏切った。

 この日の為にと集い、尽力してくれた者たちの期待を、死んでいった民達の無念をも裏切った。


 愚かであると理解しながら、それでも、この決断をただの一片も悔いていない己がおかしくて、また嗤った。



+++



 額にくすぐったさを感じて、ゆるゆると眠りから覚めていく。

 なめらかなシーツの感触が心地よくて頬を埋めれば、ほんのりと甘い匂いがした。


 ちょっと、赫夜かぐやの匂いに似てる。


 微睡みの中、やっとの思いで繋ぎ止めた愛しい女の子を思い浮かべて心が温かくなる。


 重い目蓋を持ち上げると、ぼやけた視界の中心に赫夜の顔があって。

 また、こうして顔を見ることができる、ささやかな幸せに口元が緩んだ。



 ――が、よく考えたらおかしい。

 ベッドで寝ている俺の目の前に赫夜が居るのはおかしくないか。


 目覚めた思考が違和感を拾う。

 瞬きを繰り返して視覚情報の更新を試みるが、クリアになった視界にはやっぱり赫夜が居る。


 赫夜は、すぐ隣で同じようにベッドに寝そべって、微笑みながら俺を見つめていた。


「おはよう、朝来あさき


 状況が掴めなくて呆然としている俺に、赫夜は甘く溶けるように笑みを深める。

 その破壊力と距離の近さに息が止まりかけて、指先を動かすのにも数秒かかった。


「おはよう……え、ここ何処?」

「私の部屋だよ」


 そうだろうな、という回答だ。

 納得する一方で気が遠くなりかける。


 赫屋の部屋で、赫夜のベッドで、すぐ隣に赫夜が居て。 

 昨日、赫夜を大事にすると誓ったばかりなのに、もう俺はやらかしたんだろうか。


 流石に無いと自分を信じたいが、記憶と現状の差異に冷や汗が止まらない。



「俺、昨日リビングのソファで寝てたと思うんだけど……」


 昨日の赫夜との話し合いの後、夜中だったので一晩だけ泊めてもらう流れになって、ベッドを譲ろうとする赫夜を部屋に押し込んで、俺はソファに転がったはずだ。


「朝来は客人なのに、ソファで寝かせるのはやっぱりどうなのかなと思ってね。後から様子を見に行ったら……床に落ちていて」


「え、全然気付かなかった」


 落ちたら痛みで起きそうなものだが、ソファ周りにはふかふかのラグが敷かれていたので衝撃が吸収されたんだろう。

 自分の寝相が悪いという認識はなかったけど、流石にソファは狭かったらしい。


「そのままにもしておけないし、よく寝ていたから起こすのも忍びなくなってしまって。私の方で移動させてもらったよ」


 赫夜は唇に手を添えて小さく笑う。

 何も気づかずに赫夜のベッドで寝ていた気まずさに、こめかみを強く掻いた。


「起こしてくれて良かったのに」

「だって、何だか勿体なくて。見てる間に朝になっちゃった」


 さらりと、すごい事を言われた気がする。


「え、俺をベッドに運んでから、ずっと見てたってことか? いつから?」

「そうだなぁ、お前を運んだのが別れて一時間くらいしてからだから……」


 ひとつ、ふたつと指を折って数える赫夜に流石に困惑するしか無い。


「待て待て、長すぎるだろ」


 全然気付かなかった俺もどうかと思うけど、赫夜も眺めていないで声を掛けて欲しい。


「隣で見てても良いって、朝来言ってたじゃない」

「……そう来るか。いやまぁ、言ったけど、できれば起きてる時にしてくれないかな」


「可愛かったよ」


 慈愛に満ちたような微笑みを向けられて朝っぱらから心臓が忙しい。


 一回は見られているとは言え、やはり寝顔は恥ずかしさがある。

 緩んで変な顔をしていそうだし、口も開いてたかもしれない。

 万一よだれの後でもあったら困るので、口を端まで隠すように手のひらで押さえた。



+++



 気恥ずかしさから別の話題に変えようとして、ふと、奇妙な夢を見たことを思い出す。

 起き抜けの衝撃的な状況に、頭の端に追いやられていた。


「そういえば、今日変な夢を見たんだ」

「変というのは?」

「多分、鞘守さやもりの記憶なんだけど、これまでとは全然違ってて。まるで、自分が今そう考えてるみたいに感情が聞こえたんだ」


 前世の夢の中なのに、赫夜の姿が見えなかったのも初めてだった。


「夢で何があったの?」

「森の中を走ってた。まつろわぬ神を封印しないといけないって、地下祭殿って所に行こうとしてた」


 あまりにも晴れやかな気分で、近しい人達を裏切ったと嗤った鞘守の心情は理解し難い。

 止むに止まれぬ事情があったのだと思いたいが、それにしては感情が見合わない。


 鞘守の考えはやっぱりわからん。

 昔の自分として考えてしまうせいで、掴めなさに余計に腹が立つ。

 知りたかった千年前の謎に手が届きそうだと強く感じたのに、結局謎が増えただけだ。


「他に何か、わかることは?」

「いや……それくらいかな。ごめん」


 薄くなっていく夢の記憶は、細かい部分が端から霞んで消えてしまった。


「謝る必要はないよ。本来は記憶がある方がおかしいのだから」

「けど、大事な部分だったはずなのに。欲しい部分だけピンポイントで思い出せれば良いんだけどな」


 悔しさを軽口で表すと、赫夜は少し眉を下げて苦笑いに近い表情を見せる。


「それより朝来、体調に変化はある? 痛みや吐き気は?」

「身体は全然、大丈夫だよ」


 心配そうに尋ねる赫夜に口角を上げて見せると、赫夜は安堵するように肩の力を抜いた。



「じゃあ、私はこれから朝食の準備をするから、朝来は顔を洗っておいで」

「いや、悪いし。朝食は別に食べなくても平気だよ」

「駄目。すぐにできるから待ってて」


 赫夜はベッドから降りて、クローゼットに掛けられたエプロンを手に持って部屋から出ていく。

 ベッドの上に取り残されて赫夜の後ろ姿を見送っていると、ちょっと恋人同士の朝みたいだと顔が熱くなる。


 駄目な思考から目を逸らすように部屋に置かれた時計を確認すると、もう朝の九時過ぎだった。


 どうりで、照明が点いていないのに部屋が薄明るいはずだ。

 目を覚ましてから何度目かの衝撃に頭を揺さぶられて、目を剥いていた。



+++



「それ、何飲んでるの?」


 目玉焼きの乗った焼き立てのトーストをかじりながら、ダイニングテーブルの向かいに座る赫夜が傾けているマグカップから漂う優しい甘い匂いに興味を惹かれる。

 

「ホットミルクだけど、朝来も飲む?」

「なるほど。いや、俺はこっちのコーヒーで十分。いい匂いがしたからちょっと気になっただけだよ」


 トーストと一緒に出して貰ったコーヒーの入ったマグカップを手に持って掲げた。

 熱そうに、ちまちまとマグカップに口をつける赫夜の様子は可愛らしい。


 飲んでいるものといい、やっぱり猫っぽいんだよな。


 拗ねられたら怖いので口に出さないように細心の注意を払ってはいるが、心の中で思ってるだけなら許されるだろう。

 幸い、こういう考えは伝わらないみたいだし。


「赫夜はホットミルク好きなんだ」

「んん? どうだろう。いつも飲んでるだけで、考えたこと無かった」

「いつも飲んでるなら好きなんじゃないか」

「そうなのかな? 人の子は朝に牛乳を飲むと良いって本で読んで、夕鶴に飲ませようと始めただけだから。私の好き嫌いとはあまり関係がないんじゃないかな」


 俺の指摘にも、確信には至らないと言った雰囲気で肩を竦めている。


「でも、俺には何も聞かずにコーヒー出しただろ。夕鶴だって、もう飲んでないんじゃないの?」


「それは、そうなんだけど……私としては習慣みたいなもので」


 俺の予想は当たっていたようだが、逆に赫夜の謎の照れポイントを刺激したらしく、もごもごと言い訳を口にし始めた。


「何でそんな頑ななんだよ。ずっと飲み続けるくらい好きってことで良いだろ別に」

「そうかもしれないけど……生態を明らかにするのは弱点を晒すようなものだよ」

「動物かよ」


 ツッコミを入れると、マグカップを持つ赫夜の手にぎゅっと力が入る。


「赫夜はホットミルクが好きだって、俺覚えたから」

「……ん、うん」


 強引に話を区切って、わずかに残ったトーストに齧りつく。


 眉を下げた赫夜の口元はマグカップで隠れていて見えない。

 マグカップの中に落とされた赫夜の頷きがすごく恥ずかしそうに聞こえて、つい笑ってしまった。

二章開始です。

定期更新頑張りますので、お付き合いください

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