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夜明けが君に届くまで  作者: ちる
第一章
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61話 いぬのきもち

 もう一度、赫夜かぐやと話がしたい。

 公園で会った次の日から学校帰りに赫夜の家を訪ねていたが、留守ばかりで顔を見ることすらできずにいた。

 スマホから『話をしたい』とメッセージを送ってみても既読が付かない。

 わかってはいたけど、完全に避けられている。


「今日は赫夜まだ家に居るかなぁ。昨日は待ってろって言ったのに居ないし」


 隣を歩く夕鶴ゆづるは、自分のことのように大きく悩ましげな溜め息をつく。


「そうだな。今日こそ会えれば良いんだけど」

「今日は何も言ってないし、終業式で帰り早いから居ると思うんだけどさ」


 口を尖らせて唸りながら懸命に策を練ってくれる夕鶴の優しさには頭が下がるばかりだ。


 今日以降は、ついでに家に寄るなんて口実は作れない。

 それだけで諦めようとは思わないが、会わないと言う赫夜の意思が固いならば無理強いをするのは違うんじゃないか。なんて、日を追う事に弱気になりもする。



「赫夜が話しても良いと思ってくれるまで待つべきなん……」

「馬鹿! 赫夜のペースに合わせてたら、あたし達なんか爺婆になっちゃうじゃん!」


 気遣いを建前にした弱気は、言い終わるより前に拳を握りしめた夕鶴の叱咤で遮られる。


「夕鶴は頼もしいな。本当にありがたいよ」

「あんたのためってよりは、赫夜のためだから!」


 肩を落として空を見上げていると、隣から夕鶴がけらけらと笑う声が聞こえた。



「でもさ、朝来あさきが意外としぶとくてビックリしてる」

「俺も俺の諦めの悪さに驚いてる」

「ま、赫夜がああだから、それくらいで丁度良いんじゃない」


 しつこいと言われた気がして不安になる。

 俺が胸に手を当てて動悸を抑えていると、褒めてるんだと呆れ顔になった夕鶴が腕を小突く。



+++



「あたしと赫夜の馴れ初めって、朝来にどんくらい話したっけ?」

「大怪我したのを助けられてから一緒に暮らしてるって」


 唐突な問い掛けに困惑しつつ、赫夜から以前聞いた事件に関する詳細は伏せて雑把に答える。


「そう、助けて貰ってひと月くらい経った頃かな。記憶も何もかも無くなったあたしに、赫夜は家族になろうって言ってくれたの」

 

 静かな声色で「嬉しかった」と付け加えて、夕鶴は歩幅を大きく取って俺より一歩前へ出た。


「あたしにとって赫夜は神様みたいに特別で、たった一人の家族。でも、わかってるんだ。赫夜にとってあたしが犬みたいなものだってこと」


「そんな言い方するなよ」

「別に拗ねてるわけじゃないって。実際、寿命差とか考えたらそんなもんかなとも思うし」


 それでも、明るい口調とは裏腹に夕鶴の背中は寂しげに見える。


「怪我した子犬を拾ってお世話して、家族なんだってはしゃいで見せて……赫夜が寂しいんだっていうのはすぐにわかった。なのに、赫夜の方がわかってない」


 夕鶴のもどかしそうな声に胸が苦しくなった。

 俺ですら気付いたことを、ずっと側に居る夕鶴が気付かないわけがないのだ。


「赫夜は何でわかんないんだろうな……自分の気持ちなのに」


「赫夜は自分のこと興味無いって言うか、どうでもいいみたいに思ってる。だから、自分の気持ちもどうでもいいんだろうなって、見てて思う。どうしてそうなのかは、わかんないけどさ」


「どうでもいい、か……」


 その言葉は確かに、すごくしっくり嵌まる気がする。

 赫夜の自分を卑下するような発言や、行き過ぎに感じる献身も、根本的な問題はそこにあるのかもしれない。



「赫夜は、人間じゃないから」


 夕鶴がぽつりと小さな声で落とした。


「あたし達人間とは考え方も価値観も、全然違うんだろうなって。しょうがない部分はあるんじゃないかって……思ったりもしてる」


 仕方ないと口にしながらも、肩に掛けられた鞄の紐を両手で強く握り締めている。

 夕鶴だからこそ、家族としても割り切れない複雑な思いもあるのだろう。


「赫夜は人一倍寂しがりのくせに、いっつも自分を遠くに置こうとする。街に遊びに行っても、クリスマスみたいなイベント事に連れ出しても、枠の外から楽しそうな様子を眺めて満足してる気になってる。あたしは一緒に楽しみたいのに、自分は入れないって勝手に決めつけて……」


 大事だからこそ、時折ひどく寂しく、やるせなくさせられるのだと目を逸らした。


「人恋しくて、寂しいくせに。そのことがわかんないから、埋め方も人との関わり方もわかってないんだな」


「自分の気持ち蔑ろにして、わかってないくせに。他人の気持ちなんて、あたし達が赫夜をどう思ってるかなんて、わかるわけ無いんだよね」


 本当に馬鹿だと、夕鶴はそれでも親愛の情を隠さずに言った。



+++



 しばらく、ただ歩きながら続く言葉をお互いに探っているような間が空いて。

 夕鶴は大きく息を吸って、けど、と話を繋げた。


「あたしは、それでも良いって思っちゃったんだ。あたしが赫夜を家族だって思う気持ちに変わりはないもん。あたしが生きてる間は、赫夜の側に居てあげようって、味方でいてあげようって決めたの」


 それが自分にしてやれることなのだと、迷いの無い強い眼差しで俺を見据える。


「夕鶴は、赫夜が今のまま、何もわかってなくても良いのか?」


「変わって欲しいよ。あたしがどれだけ赫夜を大事に思ってるかわかって欲しい。でもさ、同じくらい、今のままでも良いよって言ってあげられる人が居ても良いかなって」


 ありのままの赫夜を認めて駄目な部分も受け入れて、決して見放さない。

 それが自分の思う家族なのだと夕鶴は答えた。


「俺はしょうがないで終わらせたくないよ」


「だからそこはね、朝来に託すことにした。朝来の方があたしより何倍もしつこいみたいだから。朝来が赫夜を変えてくれるって、信じてみる」


 言い切って、信頼の滲む瞳で微笑む。

 その柔らかさは、どことなく赫夜の笑い方と似ていると感じた。


「うん。俺、赫夜にはわかって欲しい」


 夕鶴に向けてはっきりと告げると、自分の中で燻っていた迷いも晴れた気がした。 



+++



「やっぱり、少し羨ましいな」


 まだ日の高い薄い青空を見上げながら、懐かしむような遠い目をしている。

 要領を得ない発言に疑問符を浮かべた俺が横顔を見ていることに気付くと、眉を下げて自嘲気味に口元を緩める。


「今だから言えるけど、あたし、最初死ぬほど朝来のこと気に入らなかった!」

「いやまぁ、それは知ってた。初日はあきらかな敵意を感じたし」

「最初の頃、赫夜に平日連絡しなくて良いって言ったのは本気の意地悪だった」

「おまえそれ……」


 力抜けした声が漏れてしまう。

 その事実には薄々気付いていたが聞きたくなかった。


「朝来に赫夜を取られそうで嫌だったんだもん」

「その割には俺をけしかけてたじゃないか」

「他人の恋愛はエンタメじゃん。玉砕してもあたし困んないし」


 しれっと開き直りを口にして半眼を向けてくる。

 同じように呆れた視線を返せば、ふっと力を抜いて微笑みを浮かべた。


「赫夜はずっと、出会った頃から誰かを待ってるみたいに毎晩月を眺めてた」

「月?」

「本当にかぐや姫みたいでしょ? 朝来の話を会いに行く前日に聞かされて、こいつだって直感したんだ。……実際、朝来と会ってから、赫夜は月を見なくなった」


 夕鶴の話はまるでお伽噺だと、にわかに信じがたく笑ってしまいそうになった。

 にも関わらず、調子の良い俺の心臓は一度だけ大きく鼓動を鳴らした。



+++



 マンションの大きな入り口が見える位置まで来て、夕鶴はぴたりと足を止める。

 一歩先で止まった俺を、真剣な面差しでまっすぐに捉えて話を続ける。


「赫夜は朝来のことずっと待ってた。今だって、きっと待ってる……どうにかしてやってくれないかな」

「うん。ありがとう夕鶴。俺、先に行くよ」

「うちのお姉ちゃんは押しに弱いから、強気に行っとけ」


 俺を勇気付けるように歯を見せて笑う夕鶴に頷きを返して、足早にマンションのエントランスを抜ける。


 直接返す機会が欲しいと思って鞄に入れっぱなしだった濃紺のキーケースを取り出して、夕鶴がやっていた手順を思い出しながら玄関扉を解錠した。

 音の出ないよう扉をそっと開いて上がり込んだ俺は、一直線に赫夜の部屋へと向かう。



「赫夜、入るから!」


 宣言と同時に扉を大きく開く。

 室内に踏み込めば、パジャマ姿の赫夜がベッドの上に座ったまま驚きの表情で固まっていた。


「朝来……?」

「話を聞いて欲しい」


 俺を認識して戸惑いを露わにする赫夜に一歩距離を詰めて乞うと、赫夜はびくりと肩を震わせて身を引く。

 なおも足を止めずに近寄ると、拒絶するように大きく頭を振ってその場から消え去った。


「逃げるなよ……ずるいだろ」


 追い詰めるようなことをしている自覚はあるけれど、怯えた表情をされるのは堪える。

 俺の気持ちも、願いも、赫夜にとっては迷惑なだけかもしれない。



 けれど、それでも。


 わからないと、泣き出しそうにして嘆いていた赫夜を放ってはおけない。

 あのままにはしておきたくなかった。




 腹の前で握り込んだ両手から、赫夜の消えたベッドの上に視線を動かす。

 白いシーツの上には、箱らしき物が逆さまになって転がっていた。


 手に取ろうと見れば、全面に繊細な彫刻の施された猫脚の小物入れのようだ。

 小ぶりだが殺風景な赫夜の部屋にあっては非常に目立つ。


 ひょいと摘んでシーツから引き揚げると、蓋が開いたままだと気付いた。

 先ほどまで赫夜が手に持っていたのだろう。

 中身が落ちていたら困ると、焦ってシーツに目を滑らせるが何も無い。


 空箱だったかと首を傾げて覗き込むと、底のビロードにいちご柄の紙が貼り付いていた。

 丁寧に四つ折りにされた紙片は、見覚えのあるいちごキャンディの包装紙だった。



「なんでだよ。こんな紙切れ取っておくなよ」


 中味を食べた後の包装紙なんてゴミ箱に入れるのが普通だろう。

 丁寧に畳んで、まるで特別な宝物みたいに繊細な小物入れに後生大事に仕舞い込んで。


「こんなの眺めて、何考えてたんだよ……」


 乾いた喉が詰まってしまい、上手く言葉が出てこなかった。




 開けっ放しの部屋の扉の向こうからガチャリと玄関の開いた音がする。

 俺のために時間調整をしてくれていた夕鶴が、頃合いを見計らって帰ってきたようだ。

 きっと、この部屋に様子を窺いに来るだろう。


 ベッドの上に小物入れをそっと置き直して、手の甲で目元を拭った。


「今日も駄目って感じ?」


 廊下の壁に張り付いて顔だけ横に倒した夕鶴が遠慮がちに声を掛けてくる。

 室内に俺しか姿が見えないことでおおよそ察したらしい。


「逃げられたよ」

「赫夜の馬鹿……」


 笑おうとしてみたけど気持ちをさっと切り替えるのは難しかった。

 精一杯口の端を上げてできるだけ軽く聞こえるように言えば、夕鶴は小さく臆病な姉への不満を吐き捨てる。


 俺は肺に限界まで空気を吸い込んでから、気まずさと苛立ちが窺える手付きで指先に巻きつけている夕鶴に頭を下げた。


「夕鶴、頼みがあるんだけど」


 自分の思いを伝えることが告白だというのなら、俺はまだ赫夜に何も言えていない。

 だから、今度こそ赫夜に伝えたいんだ。


次話で一章終わりです。

切りどころがなかったので少し長くなります。

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