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夜明けが君に届くまで  作者: ちる
第一章
59/89

59話 月のお姫様と海の見える公園で①

 軽妙な音楽が耳元でけたたましく鳴っている。

 夢も見ない程の深い眠りの中から無理やり引き出されて、騒音を止めるべくまだ半分以上霞がかった思考のまま枕元をまさぐった。


 横になったままスマホを顔の上に持ち上げるが、起き抜けで力の入らない腕にはダンベルのごとく重たい。

 今日は休日のはずなのに何故アラームが鳴ったのか。

 耳馴染みのない音楽が設定されていることも不思議に思って首を傾げる。



『潮上公園東口、十八時』


 小さく表示されたアラームのメモ書きに心臓がぎゅっと縮まったような心地がした。

 

 ああ、そういえば今日だったな……


 文字を見つめながら、遠い昔にした約束を思い出すような気分になる。


 今はまだ朝の八時だ。

 竜達と出掛ける時は集合の一時間前に起きるくらいだったのに。

 アラームを設定したときの俺はどれだけ気合を入れていたんだろうな。


 苦い笑いが口から漏れて、冷んやりとしたスマホの表面を白く曇らせた。


 もう意味のない予定だ。


 それでもアラームを消去することも、二度寝し直すこともできないまま布団の中で丸くなっていた。



+++



 電車特有の眠気を誘う振動が座面から伝わってくる。

 車窓から見える夜の街はどこも鮮やかな電飾で彩られていて、目的地までの道のりを見飽きることなく過ごせそうだ。


 布団から起き上がる気になった頃には十八時を過ぎていた。

 そのまま夕飯を食べて風呂に入って次の朝を迎えればよかったのに、俺はどうしてか電車に乗っている。


 ライトアップされた海沿いの公園を見てみたいと思ってしまったのだ。



 最寄り駅で降りて同じように公園を目指すであろう人の流れに乗って歩けば、周囲はあきらかに恋人同士だろうという二人組みばかりで少しだけ居心地が悪い。

 潮上公園は俺の家から片道一時間程度にある海沿いの公園だ。

 この市の人気スポットとして特集では必ず名前が上がるような場所で、港に泊まる船舶と近隣の商業施設の夜景が売りらしい。

 今の時期は公園の中もクリスマス仕様にライトアップされている、見事なまでのデートスポットだった。


 一人ではなかなか来ないよなぁ


 勢いで来たものの、周囲との温度差に気まずくなって肩を竦めた。


 公園内に入るとすぐ手前には広々とした植物庭園があり、電飾の付いた柵の前で記念撮影をしている人の姿が目立つ。

 楽しげな様子を横目に見ながら園内を横断するように歩いていく。



 対岸の商業施設の賑やかな光につられて寄った海沿いの柵の前で、一際目を引く綺麗な金色の髪が潮風に揺れていて息が止まりそうになった。



 赫夜かぐやは一人で海を見ていた。

 柵に軽く身体を預けながら顔だけ海の方へ向けている。


 赫夜はいつもの前開きのチェック柄コートの中に、さらりとした柔らかそうな素材の白いワンピースを着ていた。

 胸の下の切り返しからふわりと広がるデザインはドレスみたいで、普段の服装より甘く可愛らしいものだった。


 これが、夕鶴ゆづるが今日のために選んだと言っていたワンピースなんだろう。

 確かに可愛くて赫夜によく似合っている。


 じっと見つめてしまった後から、俺がこれを見ていいのかという後ろめたい気持ちが湧いてきて目を逸らす。



 どうして、ここに居るんだろう。

 いつから、ここに居たんだろうか。


 引き寄せられるように近付いていくと、赫夜が俺の方を振り向いて瞳を大きく見開いた。

 けれど、驚きを見せたのは一瞬で、すぐにいつも通りの穏やかな表情を見せる。



「こんばんは、朝来あさき


「どうして、ここに居るんだ?」

「来てみたかったからだよ。朝来こそ、もう出歩くには遅い時間じゃない?」

「俺も、来てみたかったんだ」


 久々に聞いた気がする柔らかく澄んだ声に、馬鹿みたいに心臓の音が早くなる。

 無くなったはずの約束の場所に来た理由。

 顔を見てわかった。


 俺はどうしようもなく赫夜に会いたかったんだって。

 謝りたかった。もう一度、話がしたかった。



「赫夜はまだ時間ある?」

「お前よりはね」

「少しだけ話をしてくれないかな」


 感情の見えない蜜色の瞳が俺を見据える。


「折角だから、少し歩こうか」


 赫夜はくるりと身体の向きを変えて海沿いの遊歩道を歩き出した。


 一歩先で揺れる金色の髪を視界に収めながら後を追う。

 その距離は、これまで共にした夜の散歩と変わらなかった。


 けれどもう、赫夜は俺の手を取らない。


 これが本来の俺達なんだ。

 少し強く吹いた潮風が目に染みて痛かった。



+++



 海沿いの遊歩道を進んで行くと、雰囲気作りか段々と両脇の照明が少なくなっていく。

 人通りもまばらになった外灯の脇で立ち止まった赫夜が振り向く。



「私に話って何?」


 俺を見上げる蜜色の瞳は外灯から落ちる光を映して微かに揺れていた。


「もう一度ちゃんと赫夜に謝りたかった。俺の最低な願いばっか叶えさせて、ごめん」

「お前の願いを嫌だと思ったことは一度も無いよ」


 俺の懺悔に赫夜はゆるく首を振る。


「私の方こそ、朝来に謝らなければ」

「こないだも言ったろ、赫夜が謝る必要なんか無い。俺が悪かった」

「でも、お前は怒ったじゃない。私がお前の望みを理解できていなかったんでしょう」

「違う、俺が馬鹿なことばっか考えてたせいだ。赫夜こそ俺に怒って良いんだ」


 赫夜の行動は、正しく俺の願望を映していた。

 だからこそ苦しいんだ。


「お前の願望がどういうものであれ、叶えると契約したのに果たせなかったのは私の落ち度だよ」


「赫夜はどうして……そこまでするんだ」

「好きだから」


 俺のこぼした困惑にまっすぐ答えた赫夜は透き通った微笑みを浮かべている。


「私は人間が好きなんだよ」

「……だからって見返りもない契約して、こんな願い叶えて。赫夜に何が残るんだよ」


「お前との契約は、まつろわぬ神を倒して貰うにあたって乗り気じゃないお前への労いのようなものだからね。私に利がないわけじゃないよ」


「その約束だって、鞘守が押し付けたものじゃないか」


 俺が即座に吐き捨てると、赫夜は困ったように笑って小さく息を吐いた。

 それから、ゆっくりと周囲を眺めるように身体を回して海沿いの柵へ手を伸ばす。



「私は……あの日、何を間違えたんだろう? ちゃんと叶えてあげられてると思ってた。くちづけだってお前が喜んでくれていると思ってたのに」


 赫夜は柵から身を乗り出して地上の明かりで霞んだ夜空を仰ぐ。

 横顔の儚さに胸の奥がジリジリと焦げて痛む。


「皆、その瞬間思ってることが全てじゃないだろ……」


 違うと強く思うのに、どう言えば伝わるのかわからなくて強く唇を噛んだ。


「なら、私が気付いていなかっただけで、本当はもっと前から嫌な気分にさせていたのかも知れないね」


 どこか独り言のように呟いて、自分の中で勝手な答えを見つけて頷いている。

 赫夜に時折感じていたズレや手応えの無さが何なのか、言いようのない寂しさの輪郭が俺の中で徐々に鮮明になっていく。



「何でそうなるんだよ」


 見当外れの自嘲をする赫夜に、やるせなさが湧き上がった。


「……朝来、怒ってるね。また私は何か間違えたかな」


 赫夜は柵から手を離しておずおずとこちらへ向き直った。


「そうだな、今は怒ってるかもしれない。……けどそれは、赫夜が俺の望みを理解できなかったからでも、赫夜がしてくれたことが嫌だったからでもない。赫夜が何にもわかってないからだ」


 憤りを隠すことなく言い切れば、赫夜は語気の強さに身を縮めて眉を下げる。




「そうだよ。わからないよ」


 赫夜はしばらくの間きつく結んでいた唇を重たそうに開いて言葉を紡いだ。

 投げやりに聞こえる尖った言い方よりも、赫夜自身がその事をわかっている方に驚いていた。



鞘守さやもりにも昔言われたよ……お前は人間のことを何もわかっていないって。人の願望を読んで知った気になるなと」


 俯きがちに立ち尽くす赫夜の姿はあまりにも心細い。


「結局、何百と年月を重ねても私は何も変わらないってことだね」

「赫夜……」

「お前達は私がわかっていないって言うけど、わからないよ。私は何がわかってないの?」


 苦しげに言葉を吐き出す赫夜は、まるで小さな子供みたいだ。

 コートの上からでもわかる、薄い肩の頼りなさに喉の奥が詰まる。


「……やっぱり、人間は難しいなぁ」


 小さく掠れた声でこぼしながら、赫夜は今にも泣きそうな歪んだ笑みを浮かべた。


 いっそ、泣いてくれたら。

 辛いとか苦しいとか、言ってくれたら良いのに。


 気の利いた言葉一つ掛けてやれないくせに、赫夜の心に触れたいと思ってしまう。

 大義名分を探している滑稽さに気付いて、小さな肩に回そうと持ち上げた手をそっと下ろした。

今日は後でもう1話分更新します

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