57話 男子高校生は月の裏側に思いを馳せる
ろくに眠れないまま朝を迎えた。
正直今日くらい学校休んで一人になりたいと思ったけれど、鞄も教室に置きっぱなしだったから取りに行かなければ。
昨日のギャラリー達もあれこれ噂して騒ぐだろうから俺が居ないと更に無責任な憶測が飛びそうだというのもある。
昨日俺のために動いてくれた竜にも、夕鶴にも、全てとまではいかなくても事情と感謝を伝えないといけない。
それらしい理由を頭の中で並べて、睡眠不足で重たい体を支えきれずにふらつく足を引きずって学校へ行った。
昇降口付近を歩いている時からちらほらと感じた俺に対する好奇の視線は、教室に入るとより一層明確なものとなる。クラスメイトの大半が俺に対して興味有りげに視線を投げかけてきた。
ただ、全員誰が口火を切るのか互いの様子を窺っているようで、俺が教室にいる視線の主たちを見回せば目が合った端からさっと顔を背けていく。
この雰囲気では誰も直接聞きに来ることはなさそうだ。
呆れ混じりの息を小さく吐きながら自分の荷物が乗ったままになっている席に座る。
同時にポケットの中のスマホがメッセージを受信して震えた。
『昨日の話すげー聞きたいから笹原が話したくなったら教えてよ』
送り主は斎藤だった。
普段は個別でメッセージのやり取りはしないのに。
驚いて教室の中央付近の席に座る斎藤へ目を向けると、俺の視線に気づいた斎藤は肩越しにピースサインを作り指先を動かす。
俺は頷きながら少しだけ口角を上げる努力をして、『落ち着いたら』と返事を送った。
休み時間の度に俺を観察する目が増えたことに疲れ、昼に入ってすぐ竜に声を掛けて場所を移した。
いつもの人気のない廊下は寒々しいが今日も変わらず静かで心が落ち着く。
壁を背にして並んで座って、廊下の天井の一本抜けた蛍光灯をぼんやりと見ながら口を開いた。
協力してくれた竜への誠意として告白の結果を教えるべきだ。
なのに、いざ伝えようと思うと「駄目だった」の一言が口からなかなか出てこない。
「……昨日は巻き込んでごめん」
「高月さんの提案に乗ったのは俺なんだから気にすんな。しかし……昨日今日で一生分の視線を浴びた気がするわ。俺は芸能人には向かない小市民だって改めて認識したね」
軽くおどけた口調で竜は言うが、結果について突っ込んでこない時点でわかっているんだろう。端々に気遣いが滲むように聞こえて苦笑いが漏れた。
「屋上も、開けてくれてて助かった。ありがとう」
「鍵借りて開け閉めしただけだし大したことじゃねぇよ。あの人の相手するほうが死ぬほど大変だった……」
「え?」
予想外の発言に釣られて横を向く。
先ほどの自分と同じように天井を眺める竜の横顔は、やつれているようにも感じる。
「あの人すげぇよ。あれは人間じゃねぇ」
遠くを見たまま断言する竜に、口に何も含んでいないのに思わずむせた。
「人間じゃないって……一体何があったんだよ」
おそるおそる尋ねてみると、竜はぼんやりとした表情のまま話を続ける。
「高月さんから姉が行くから朝来のとこに案内してくれって言われててよ。なるべく目立たんようにと思ったのに、まぁ人の話を聞いてくれん。すぐどっか行きたがる。俺は宇宙人を連れているような気分になったね……」
「それはなんか、ご迷惑をおかけしました」
俺が言うのはおかしい気もしたが、なんとなく謝ってしまう。
「何が拗れたのか知らんけど、あの人のあれが気にならんなら付き合えるのはお前くらいしか居ないぞ」
竜は両腕を大袈裟に擦りながら溜め息を吐く。
「……俺も駄目だよ。俺の気持ち押し付けて、して欲しいこと叶えてもらってばっかで。赫夜に悪いことした」
自嘲しながら折った膝を抱え込んで頭を乗せた。
だから、この恋は駄目だったのだと。自分にも言い聞かせるように口に出すのは酷く胸が痛んだ。
「一般論だけどよ、好きだからして欲しいことも、してやりたいことも一杯あんだろ。どっちかに偏ってバランス悪くなったってんなら、謝って話し合えばいいんじゃねぇの?」
俺の拙い後悔を黙って聞き終えた竜が諭すように言う。
「謝っても足りないのに、今更話し合いなんて……」
「足りるか足りないか決めるのはお前じゃねぇだろ。話し合いができるタイプかは……まぁ……俺には無理そうだが、お前は話し通じてるみたいだし」
竜は呆れとも取れる渋い顔をして後頭部を強く掻いている。
駄目だったという話をしているのに、今後のアドバイスを言われているようにしか感じられなく て戸惑う。
「何でまだ頑張れみたいに言うんだよ」
「そんな顔してるってことはお前が冷めた訳じゃねぇんだろ。俺が見た限りじゃ、あの人朝来のことすげぇ好きだよ」
「そんなの……」
俺が押し付けた願望からの行動かもしれない。
「慰めてくれんのはありがたいけど、竜の気のせいだよ」
「本当だって。教室までの道中ずーっとお前についての質問攻めよ。試験結果の掲示があるって話したら見に行くって聞かねぇし」
竜は言いながら、思い出してまた疲れたと言った様子で肩を落とす。
「貼り出しのお前の名前嬉しそうな顔して何度も指でなぞっててさぁ……隠す気ない分お前よりわかるよ」
「……なんだよ、それ」
わからない。
竜の語る赫夜の姿は想像もつかない。
俺が見てきた赫夜は、突拍子はないけど迷惑だと思うほど自分勝手なことはしてこないし、どちらかと言えば大人びて落ち着いた印象が強かった。
俺のことだって、特に聞かれたことなんか無い。
わからないよ。俺の名前なんかなぞって何が楽しいんだろう。
俺が喜びそうだからか?
けど、俺が居ない場所でそんなふうに振る舞う必要はないんじゃないか?
「な、自分から見える部分なんてそう多くねぇだろ。学校みたいな騒がしい場所じゃなくてもっと落ち着いたとこでもっかい話してみろよ。お前なら大丈夫だ」
竜は真摯な声でそう言って、立ち上がり大きく伸びをした。
昨日あれだけ思い知ったはずなのに。
話を聞かされて、まだどこか期待してしまいそうになる自分を強く叱責する。
膝を抱く手に力が籠もって、布越しの爪が足に食い込む。目頭が熱くなったのを見られたくなくて膝先に強く額を押し付けた。




