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夜明けが君に届くまで  作者: ちる
第一章
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50話 不穏な天使と幼馴染の願い

 夕鶴ゆづるは大事をとって今日も学校を休んだらしい。

 昨日も帰り際の足取りがおぼつかなかったのでさもありなん。

 どうせ試験が終わればすぐに冬休み。受験生でもない二年の俺達ならば無理をして登校することもない。


 病人の家に二日連続行くのも良くないと思うので、今日は大人しく家に帰る予定だ。

 ただ、明日も来るなどと安易な約束をしてしまった手前、かざりちゃんとは会う必要がある。

 最終兵器として鞄にチョコレートの小袋を忍ばせながら、心持ち重たくなった足でいつもの児童公園へ向かった。


 今日は佐伯さえきさんやりゅうとも話したせいでいつもより時間が遅い。車がぎりぎりすれ違える程度の広さしか無い人気のない道路は電灯が灯り始めている。

 目的地の児童公園も敷地内に一つだけあるベンチの脇の電灯が薄く光り、その下にしゃがみ込む少女の姿を照らしていた。


「飾ちゃん? 遅くなってごめんね」


 飾ちゃんは、どこに転がっていたのか鉛筆より二回りは太い短い木の枝を小さな手で握り締めて、地面をがりがりと抉っている。

 俺が声を掛けると、ぱっと顔を上げて立ち上がり子犬のような笑顔を見せた。


「おかえり、朝来あさきくん!」

「うん、ただいま。何してたの? お絵かきかな」


 言いながら飾ちゃんの足元に目をやれば、砂混じりの地面に花のような星のような判断の付かないものが描かれていた。


「そうなの。朝来くんもお絵かきする? 棒貸してあげようか」

「うーん、俺はあんまり絵が得意じゃないから大丈夫かなぁ。ちなみにそれは何を描いてたのか聞いても良い?」

「よく見る……お花?」


 手に持った棒で宙に丸を描くようにくるくると振りながら答えてくれた。

 道端で見かける名も知らぬ的なやつだろうか。花と言われればそれらしく見えてくる。


「そうだ、見ての通り今日も夕鶴はお休みなんだ。俺も夕鶴が休みなら今週はもう来れないと思う」

「……そっか」


 俺が今日の重要な用向きを伝えると、飾ちゃんは悲しげに肩を落とした。

 夕鶴も明日にはピンピンしているかもしれないが、俺がそれを確約できない以上期待させるようなことは言えない。

 ごめんねと言葉を掛けると、飾ちゃんは大きく首を振る。


「夕鶴の代わりにはなれないけど、今日は急がないから俺で良かったら話しようか」


 面白い話は出来ないけれど、気晴らしくらいになればいい。

 前回とは違うアーモンド入りのチョコレートを鞄から取り出して渡す。


「今日もありがとう。……それじゃあ、朝来くんの好きなお菓子から教えて」

「好きなお菓子か。改めて考えると一つに絞るの難しいな」

「じゃあ全部言って!」

「全部? えーと、何があったかな」


 よくお裾分けとして貰うチョコレートに、塩の効いたポテトチップス、懐かしのいちごキャンディ……思いついた端から並べていくと、飾ちゃんは楽しげに目を細めて頷いていた。

 それからはひたすらに質問攻めが始まった。趣味の話とか、家族構成とか、どれも他愛無いもので会話の内容を考えなくていいという面は楽だったが、俺の個人情報を知ったところで楽しいのかは謎である。

 無邪気に笑う姿に、まぁいいかとしばらくの間付き合うことにした。



「朝来くんは、夕鶴のこと好き?」

「えぇ……」


 そろそろ良い時間だろうと深く色付いた空を見て会話の終わりを探っていると、急に答えにくい質問が振られる。

 わくわくと擬音がつきそうに輝く瞳に一瞬だけどういう意味かを問い直したくなるが、面倒なことになっても困るのでぐっと堪えた。


「大事な友達だからね、もちろん好きだよ」

「そっかぁ、良かった!」


 俺の当たり障りのない回答に満足したらしく、飾ちゃんは満面の笑みを浮かべる。



「――私ね、ここにはもう来られないと思う。だから夕鶴にもそう言っておいて欲しいの」

「え……」


 地面に描いた花の絵を足で消しながら何でも無いことのように言う。

 突然のお別れ宣言に驚きの声が漏れる。


「本当はね、もう一回会えたらいいなって思ってたけど」

「どうして急に?」

「えっと、習い事とか、お家の用事とかがあってね、あんまり遊べなくなっちゃった」


 えへへと力なく眉を下げた。飾ちゃんの言い分はどの程度まで本当なのかはわからないけれど、もう会えないということだけは事実のようだった。


「明日まで伸ばせない? 夕鶴もそれ聞いたら顔見せにくらい絶対来るよ」

「朝来くん……ありがとう。本当は昨日言おうと思ってたの、でももしかしたらって思って言えなかった。だからもう……」


 泣き出しそうに瞳を揺らして俯いた飾ちゃんに、それ以上は言えずに小さくわかったとだけ頷いた。




 飾ちゃんは花の絵があった場所を何も無かったようにきれいに整えると、再び顔を上げて俺の目をじっと見つめてくる。


「暗いところに行っちゃ駄目だよ。危ないから、一人にならないでね」


 穏やかな表情で紡がれる言葉にじわりと背筋に嫌な汗が浮かぶ。

 これまで飾ちゃんに感じたことのなかった嫌な気配が漂ってきて、困惑とわずかな恐怖が心を蝕む。


「飾ちゃん……?」


 早まっていく鼓動は警鐘に近い。喉から漏れた声は自分でもわかるほどに狼狽えていた。

 後退った俺の靴裏が砂を摺る音を聞いて、飾ちゃんは少しだけ口元を緩める。


「悪い人はずる賢いから、ちょっと仲良くなってから暗い場所に誘ってくるんだって。 だから騙されちゃ駄目なんだよ」


 動けないでいる俺の横を飾ちゃんはすっと通り過ぎていく。

 振り向いて去っていく背中を目で追いかけることすらできずに、彼女が発していた危うい気配が完全に消えるまで、俺は拳を握り締めて薄暗い児童公園に立ち尽くしていた。




 自室のベッドの上でスマホに入っている連絡先一覧を眺めていた。

 かれこれ一時間近くはたっただろうか。これ以上迷っているわけにもいかない。未だに躊躇う指先に力を込めて通話ボタンを押した。数回の呼び出し音の後に繋がる。


「あんたから掛けてくるなんて珍しいじゃん」

「ああ、まぁ……体調はどう?」

「もう微熱程度。明日には治りそうだけど、もう一日休んでゴロゴロしたいなって気持ちと戦ってるとこ」


 通話に出た夕鶴ゆづるは、起き抜けとわかる少し掠れた声をしていた。気遣い症の夕鶴は俺の心配に対して、気遣いの滲むおどけた口調で快癒が近いと知らせてくる。

 家の中には赫夜かぐやもいる。そう言う意味であの家は一番安全なのだが、それでも不安が拭えなかった。

 夕鶴の何事もなさそうな声を聞けてほっと胸を撫で下ろす。


「今日もかざりちゃんに会ってきた。――それで、夕鶴に言わなきゃいけないことがある」

「……何よ」


 大きく息を吸って、なるべく自分の動揺を出さないようにゆっくりと言葉を紡ぐ。

 夕鶴はいつもとの違いを感じたらしく、耳を傾けたとわかる真面目な声が返ってくる。


「飾ちゃんから、もうここには来られないだろうって言われた。そのことを夕鶴に伝えてくれってさ」

「それどういうこと? 親に怒られたとか?」

「家の用事って言ってたけど違うんじゃないかな……」


 この期に及んで事実を口にすることに躊躇ってしまう。

 それでもこれを言わねば話が進まない。こめかみを掻き上げ一呼吸置いてから言葉を続けた。


「飾ちゃんは普通の人間じゃない。もしまた姿を見せても、あまり関わらないほうがいいと思う」


 通話の向こうから微かに息を呑む音が聞こえた。


「……何で今あたしのその話をしたの。これまで飾と一緒に居るのを横で見てたのに、今更どうしてそんなこと言うわけ?」


「夕鶴はお化け嫌いだろ。二人が仲良さそうにしてたし、飾ちゃんに嫌な雰囲気を感じなかったからしばらく見守ろうって思ったんだよ。でも、今日別れ際の飾ちゃんからすごく嫌な感じがした。危険だって思った」


 言っていた言葉は助言にも警告にも取れるもので判断に迷った。それでも、あの蟲にも似た嫌な気配を無かったようにはできない。

 これまで気付くことができなかった自分への自戒も込めて言う。


 俺と赫夜の追う蟲は夕鶴と無関係ではない。それを知っていたはずなのに、夕鶴の近くにあらわれた人ではない少女のことを軽く考えすぎていた。


「だから、俺はこれ以上あの子を夕鶴に近づけたくない。この話はこれから赫夜に伝えるけど、赫夜から聞かされるよりは俺からちゃんと言っておこうと思ったんだ」


「……まだ赫夜に言ってないの?」

「先に夕鶴にって言ったろ」


 義理というか、罪悪感と言うべきかもしれない。当事者である夕鶴に先に言う方がいい気がしたのだ。



「赫夜には言わないで。飾のこと、今日のこと全部」


 夕鶴はいつもよりわずかに低い声で静かに言った。


「そんなことできないよ。夕鶴が危ないかもしれないんだから」

「飾はあたしに何もしないよ。朝来が家に来るまでいくらでも二人きりの時間はあったんだから。このせいで何かあっても全部あたしの責任だから朝来は悪くない」


「……夕鶴、そんなの無理だよ。何かあったら俺だって自分のこと許せなくなる」


「あたし、飾のこと赫夜に言ってない。話題にしてもおかしくないのに、一度も言ってなかった……どっかわかってて無意識に避けてたのかもしれないね。だから全部あたしのせいだよ」


 夕鶴は自嘲気味に笑う。熱くなりやすい夕鶴にすれば落ち着いた口調だったが、話す言葉に宿るのは「自分が責任を取るから好きにさせろ」という確たる意志だった。


 これは曲がらないだろうなと、直感的に思う。けれど、飾ちゃん自身の危険性や夕鶴の身の安全とは別にしてもこの情報は捨て置けない。


「でも、赫夜が毎晩追い掛けている件とも繋がりがあるかもしれないんだ……俺も一緒にやってる以上何も言わないなんてできないよ」


「……それでも言わないで」

「夕鶴……」


「赫夜と朝来が追ってる何かが、もしあたしに興味があるって言うなら囮だと思ってくれていいよ。もっと他のが引っかかるかもしれないじゃん?」


「馬鹿言うなよ。囮やるのは俺だけで十分なんだけど」

「残念ながら、あたしの方がモテるみたいなんで」


 これは本当に駄目そうだ。少なくとも俺の口なんかでは絶対に説得されてくれない。昔から強固に譲れないところは絶対に譲らないのだ。


 どうしたらいいんだろうか。それでも夕鶴の言葉に適当に返して、後で赫夜に言うなんていくらでもできる。結局全て俺の選択次第だ。


 何が正しいのかわからない。わからないけれど、俺はこの幼馴染の強い願いと意志を無視できるんだろうか。

 俺もどこかで、こうなる気がして夕鶴に先に伝えたのかもしれない。



「それなら、暗い時間に一人で出歩かないって約束して欲しい。学校帰りは俺が絶対に送るから」

「……あんたと帰るなんて最近いつもだし、大袈裟すぎない?」


 暗くなるのが早い季節なので制限としては意外に厳しいのもあってか、夕鶴は大袈裟だと言い淀む。

 赫夜に言えない以上、自分でカバーできるところはたかが知れている。

 ここが俺の中で限界の妥協点だった。


「俺もここは譲れない」

「……わかった」


 夕鶴に習ってはっきりと言い切れば、しばらく考え込んでいるような間をあけて小さな了承の声が聞こえてきた。

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