5話 男子高校生の黒歴史
あれから約一週間が経った。
コンビニでの一件で、幸いにも俺にはこれといったお咎めはなかった。
救急隊員や警察にも軽く話を聞かれたけれど「コンビニにアイスを買いに来たら店員が何度呼んでも全然出てこなくて、裏口の方にいるかと思って見に行ったら倒れていた」とだけ話した。
傷口的にも人間の仕業には見えないだろうし、店の防犯カメラも確認したのだろう。「ご協力ありがとう」で、すんなりと解放された。
病院に運ばれた店員も、傷はそう深くなかったようで次の日には意識を取り戻したらしい。
「虫がいた」とか当初は混乱して病室で騒いでいたらしいが、あの虫に似た異形の生物が見えたのだとしたら、それはパニックになるのも仕方がないと思えた。
俺はニュースに興味がなくて知らなかったが、何でも最近同じような『何かに食われた』形跡のある怪我人が路地裏のような人目につかない場所で見つかる事件が多くあるという。
事件現場は主に繁華街だそうだけど、警察の人の口ぶりから、ここのところは住宅街でもいくつか起きているようだった。
化け物が人に襲いかかるなんて、なんとも物騒な世の中になったものだ。
赫夜からの連絡はない。
虫の化け物は現実だったというのに、やっぱり極限状態で見た夢なんじゃないかと思うしかなさそうだ。
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一階のキッチンで水を飲んで部屋に戻ろうと玄関前を通り掛かると、リビングから顔を出した父さんに呼び止められる。
「桑野の家にあった朝来の荷物、まとめて玄関に置いてあるから。母さんが仕事から帰ってくる前に部屋に持って行きなさい。」
「桑野? 何でまたそんなとこまで行ったの」
「もうお婆ちゃんが死んで二年になるし、住まない家を維持するのもね。家自体も古いから中を片付けて売ってしまおうって話になったんだよ」
「そっか……少し寂しい感じするな」
「朝来も向こうでの生活が長かったしね」
俺は五歳から小学校卒業までの間、西側の山間部に位置する桑野市にある祖父母の家で暮らしていた。
幼い頃の俺は身体が弱く頻繁に体調を崩していて、多忙な両親は兄が小学校に入学したあたりでいよいよ手が回らなくなり、療養を兼ねて祖父母に預けたらしい。
大自然の力がすごかったのか、小学校を卒業する頃には驚くほどの健康体になって今の家に戻ることになった俺を、祖父母は手放しで喜んでくれた。
半生を過ごした地名を久々に耳にして郷愁に浸りかける。
「あっちにまだ俺の物なんか残ってたんだ」
「細かいものだけどね。なんて言うか、歴史を感じたね」
「……嫌な予感する。ゴミとして捨ててきて良かったんじゃない?」
寒気を感じて腕を擦れば、父さんは俺に向けてへらりと笑う。
「朝来は勘がいいよね」
「言い方に含みがありすぎるんだって」
俺の反応を面白がってるのがわかるので、どうしたって眉間にシワが寄る。
今、ものすごく微妙な顔をしているだろう。
「まぁまぁ、折角持ち帰ったんだし。必要なければ後でまとめてゴミに出せば良いんじゃないかな」
「まったく、絶対捨てて良かったやつだろ」
リビングに逃げ込んだ父さんに胡乱な視線を送りつつ、あきらめて玄関に鎮座している名書きされたダンボールを手に取った。
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父さんが桑野の家から持って帰ってきたダンボール箱は、やっぱりろくなものじゃなかった。
嫌な予感は当たるのだ。葛藤の末に開いた箱の中には、俺の輝かしい黒歴史とも言えるおまじないノートがあった。
自分の力について、子供の頃から他人には言えないと思っていたが、それでも人とは違う力というものに特別感を抱いていた時期。
その頃に図書館で借りたオカルト系の本から、魔を祓うまじないやら祝詞やらを節操なしに書き写したノートだ。
五ページ目くらいで具合が悪くなって直視できなくなり引き出しに封印した。
記憶から存在ごと抹消していたので、捨てて来て欲しかった。
実際、あれに載ってる呪文類に効果があるのかはわからない。
一度だけ使ったことがあるが、結局成功したのかどうかも真偽不明のままだった。
桑野時代、小学校に上がるまで仲良くしていた近所の子が居た。
女の子みたいに優しそうな顔に似合わず、大胆でちょっと粗暴で強引だったけれど、寝込んで家にこもりがちだった俺を気にかけて、あちこち連れ回して遊んでくれたのが嬉しかった。
いつだって強気なのに子供らしくお化けが苦手で、俺は見える分怖いと思うことがなかったから、そこだけは優越感を感じられて……そんな関係が、その子が引っ越すまで続いていた。
親の転勤による引っ越しだったと記憶している。
当時の俺の友達はその子くらいしか居なくて、遠くに行ってしまうと聞いて本当に悲しかった。
だから俺は、別れの挨拶をしに来たその子に一つおまじないを掛けた。
本で見た、悪いものを寄せ付けないとかいう守護のおまじない。
遠くに行ってしまうその子が、苦手なお化けに出会って怖い思いをしないように。
けれど、その子は引越し先への移動中に事故で死んだらしい。
家族全員死んでしまったのだと、ご近所さん達が話しているのを聞いてしまった。
人間の命はなんてあっけないんだろうと、初めての身近な人の死に絶望したのを覚えている。
……死んでしまったなら、戻って来てくれるかもしれない。
馬鹿で幼かった俺は、唯一の友人が死んだと聞いて、それなら霊になって自分のところに来てくれるんじゃないかと思ってしまった。
今まで住んでいた家は引っ越しで無くなってしまったから、近所で迷ってるかもしれないなんて考えて、一緒に遊んだ野山の中を夜通しひたすらに探し回った。
当然、身体の弱い子供が一人で消えて大人達が心配しないわけがない。
父さんも母さんも遠いところを飛んできて、地元の消防団の人達が山に入って、そうして一晩経った朝に連れ戻された俺は家族やご近所さん達に物凄く泣かれて怒られた。
その時に、思ったんだ。
特別なものに感じていたこの力は、残念ながら万能でもなんでもないんだと。
あの子が死んでしまったのに、その前にも、後にも、何の役にも立たなかった。
俺を連れ戻してくれた大人達にはみんな俺のような特殊な力なんてなかった。
一般的に見れば突出したところのない普通の、平凡な人々かもしれない。
けれど、自分よりもよほど強く、周囲の人や日常を守り救う力があるのだと、羨ましく思った。
そこまで思い出してから、そう言えばあの子の墓参りにも行ったことがないと思い至る。
地元民ではなかったし、俺のやらかしの原因でもあり、幼い子供を含む不幸な事故については触れることの憚られる話題だった。
当時は何度聞いても結局うやむやにされたままに過ぎて、今まで忘れてしまっていた。
今更望みは薄いけれど、親はもしかしたら何か知っているかもしれないし、今度聞いてみるのも良いのかもしれない。
桑野にいた、室屋 夕鶴のことを何か知らない? と。