49話 友人の恋と確かめたい関係
学校の帰り際、昇降口へ向かう階段の踊り場で勢いよく何かを蹴り飛ばした。
上履き越しにつま先で感じた硬い感触が気になって、周囲の床を目で探る。すると、壁と階段の段差の角に丸い缶バッジが挟まるように落ちていることに気付く。
缶バッジは白地に黒と鮮やかな紫のマークらしきものが描かれているもので、少し距離があるので細かい部分まではわからないがスタイリッシュなデザインであると感じられた。
踊り場の床はきれいではないけれど、他に目ぼしい物も落ちていない。俺が蹴り飛ばしたのはこの缶バッジで間違いないだろう。
どこか心に引っかかるものがあって、缶バッジを手に取ろうと近寄る。腰を折って手を伸ばした瞬間、背後から慌てた声に呼び止められた。
「そ、それ、私のです! 拾いますから! 拾わなくて大丈夫ですから!!」
息を切らしながらのそこそこ大きい声に驚いて振り向く。
そこには肩にかからない程度に切りそろえられた黒髪を乱した眼鏡の女子生徒が立っていた。
「この話どっかで聞いた気がする」
ぼんやりと既視感を覚えて記憶を探る。これはそう、先日の勉強会で瀬田から聞いた馴れ初めに酷似しているような……
「……あれ、笹原君?」
「え?」
奇妙な状況に思考を巡らせていると、眼鏡の女子生徒が呆然と驚いたように俺の名前を呟く。見覚えはない相手だけれど、眼鏡と缶バッジというアイテムから連想できたのは一人だけだった。
「もしかして、佐伯さん……だっけ? 瀬田の――」
「わー!! それは! こんな廊下ではちょっと!」
「あ、ごめん」
瀬田の彼女と言おうとしたところで、両手を大きく振りながら制止された。
俺が軽く頭を下げれば、大きく腰を曲げた勢いある謝罪を繰り返す。
大人しいと聞いていたけれど今の印象だと割とにぎやかな子だ。
佐伯さんは拾い上げた缶バッジを大事そうに制服のポケットに入れてから周囲をきょろきょろと見回す。
先ほど一人通り過ぎただけで、他にこの場に人は居ない。
「笹原君、急で悪いんですけど今から少しお話できますか?」
人気がないことを確かめた佐伯さんは、わずかに緊張した面持ちでそう話し掛けてきた。
話すことを承諾した俺を佐伯さんが連れてきたのは、缶バッジが落ちていた踊り場と同じ階にある空き教室だった。
「いつもはここ部活で使ってるんです。名ばかり文芸部というか……漫画部というか。今日は活動日じゃないので誰も来ないです」
適当に勧められた椅子に腰掛ける。並べられた机を一列空けたような形で向き合う。
何故友人のできたばかりの彼女に呼ばれているのか全くわからない。考えなしについて来てしまったが、空き教室に二人きりは外聞がよくないと今更気付いてしまう。
「えーと、それで俺に話とは? というかこの状況は誤解を招くのではないかと。大丈夫?」
「……私も考えが足りませんでした。お礼を言いたかっただけなんですが、内容も内容だし、笹原君は目立つので踊り場はちょっとと思ってしまって」
佐伯さんは申し訳ないと頭を何度も下げた。
「あの場で言えない内容って、やっぱり瀬田のこと? それでもお礼を言われるようなことをした記憶がまったくないんだけど」
あの日は他の三人とお付き合いの報告を聞いたに過ぎない。俺が首を捻ると、佐伯さんははにかみながらも落ち着いた声で話を始めた。
「私と大和君が付き合ってるって話はご存知だと思うんですが、私からするとそれは昨日からの話なんです」
「俺が聞いた話だと一週間以上前だった気が」
「そうですね。私が悪いんですけど、気持が溢れすぎて口から好きが出ちゃったんです。そしたら思わぬ返事をもらって、その時は舞い上がって終わってしまって……私ちゃんと言えなかったんです。付き合ってくださいって」
「それって……」
俺がうっすらとした心当たりに声を上げると、佐伯さんは眉を下げて苦笑いをする。
「大和君はゲーム上手だしフレンドも多くて、同じゲームやっててもエンジョイ勢の私と話してる方が少し不思議というか。SNSで自撮り上げられるくらい可愛い子とも仲良いし、あの時私に返してくれた好きはただの友達に向けた何気ない言葉かもしれないって一人でぐるぐる考えてしまってたんです。ちゃんと聞けばよかったんですが、怖くて聞けませんでした」
佐伯さんは、ただ相槌を打つしか出来ない俺に、駄目ですよねと明るく笑ってみせた。
その笑顔に曖昧に笑い返したけれど、俺が同じ状況だったら聞けるだろうかと少しだけ考えてしまう。
「佐伯さんだけじゃないと思う。そこを相手に聞くのはやっぱ、俺も怖いと思うよ」
「ちょっと意外です。笹原君でもそんなふうに思うんですね」
「え、俺はそんなに悩まなそうに見える?」
「悩まなそうっていうか、大丈夫な気がしてしまって」
初めて話すはずなのにそんな言われ方をするのは何故なのか。ひょっとしたら瀬田が何かを吹き込んだのかと困惑して尋ねると、佐伯さんは曖昧に笑うだけだった。
「――昨日、帰りに呼び止められて一緒に帰ることになって、嬉しいやらいつ引導を渡されるか怖いやらで心臓が痛かったんですが……そこで、大和君が『付き合ってください』って言ってくれたんです。『付き合ってるつもりだったけど、ちゃんと言ってなかったから』って。私驚いて泣いてしまって、どうして? って聞いたら、日曜日に笹原君に『好きって言ったら付き合うことになるのか?』って聞かれて心配になったんだって言われたんです」
「そっか、そのことだったんだ」
答え合わせが正しかったことに、納得と安堵の息を吐く。
よく見てみれば、眼鏡の奥の佐伯さんの目元はまだ赤くわずかに腫れていた。
「あの……そんなにまじまじと顔を見るのは止めていただいてもいいですか」
「あぁ、ごめん」
両手で顔を隠すようにする佐伯さんに、不躾な行動を詫びて深々と頭を下げる。
佐伯さんは泣いた証拠を凝視された恥ずかしさだろう頬が赤くなっていた。
「私あのままじゃ、大和君の気持ちを確かめる勇気もないまま自爆してたと思います。だから、笹原君にありがとうって言いたかったんです」
「俺の言ったのはただの疑問だから、瀬田がそれだけ佐伯さんのこと好きだったってことだよね」
「そう、ですね。……はい、恥ずかしいけどもう疑いません」
顔を真っ赤にしながらも、はっきりとそう言い切る佐伯さんは、瀬田が好きになるだけあって可愛い女の子だと思った。
話を終えた佐伯さんは、この教室に残って時間差を作って出るから先に帰って欲しいと言う。俺が残ろうかとも聞いたが、部室でもあるので自分が残った方が自然だとやんわり断られた。
座っていた椅子を元に戻していると、佐伯さんが制服のポケットから取り出した缶バッジを掲げて、最後に一つと話を付け加えた。
「実はこれを落とすの三回目で、二回目は自分で見つけたんですけど……多分針のとこ馬鹿になってるんだと思うので、もう鞄に付けるのは止めます。落としたことは大和君には内緒にしてください」
「うん、わかった。それがいいと思うよ」
佐伯さんは出会いのきっかけを大事にしたいと思っているんだろう。俺が拾わなくて本当によかったと心から頷いた。
空き教室を出ると、踊り場へ向かう廊下のすぐ目につく場所で壁を背にして腕を組んだ竜が立っていた。ぎょっとする俺に片手を上げて手招きする。
大して人とすれ違わなかったはずなのに、どこから話が行くんだろう。
「これは話し合いが必要だよな?」
そう言って歩き出した竜の後を追って、人の居なくなった自分達の教室へと戻ることになった。
窓際の俺の席を挟むように、前の席の椅子をひっくり返して向かい合う。
椅子に座るやいなや、竜は空き教室で何があったのかを食い気味に聞いてきた。俺はやましいこともないので、大人しく佐伯さんとのやり取りを話す。すると、話を聞き終えた竜は大きく長い安堵の息を吐いて机に突っ伏した。
「いやー、修羅場にならなくて安心した。これで朝来が佐伯に告白でもされていたら明日からの空気が恐ろしすぎて登校拒否するとこだった」
「ありえんことを心配するなよ……瀬田の彼女だし、俺は佐伯さんとは話すのも初めてだったんだぞ」
接点のない組み合わせだし誤解を招く状況だったことは理解しているが、外野はともかく竜が心配するのはおかしいだろうと行き過ぎた妄想に突っ込みを入れておく。
「……まー、そうだな。でもまぁ、今日の話をもし瀬田に聞かれても佐伯からは俺と朝来の二人で聞いたってことにしておけよ。瀬田には俺から軽く言っておくから」
「ああ、うん。ありがとう」
俺と竜が連れ立っているのは珍しくもないし、話の内容としても不自然じゃない。
女の子であり、友人の彼女でもある佐伯さんの体面を保つには一番いい落とし所だろう。
俺はそこまで気が回らなかったので竜の提案はありがたく、素直に頭を下げた。
「そんで、人の恋愛を取り持ったお前の方はどうなってんのよ」
机からのそりと体を起こして問いかけられる。
夕鶴にからかわれすぎて耐性がついたのか、気持ちを自覚して少し落ち着いたのか、急にその話題を振られても前よりは動揺しなかった。
「どうって言われても、それなりとしか」
俺の煮え切らない受け答えに、竜は不満げな声でさらに問いを重ねてくる。
「それなりねぇ……お前クリスマスどうすんの? 斎藤は独り者会やる気だぞ。慎太郎も来る気みたいだし」
「慎太郎は独り身にカウントしていいのか?」
「それはそうだが、あいつのそれは考えてもしょうがない。話を逸らすな」
誤魔化したつもりではなかったが、早く吐けと怒られた。
クリスマスに自宅を貸してくれるつもりの竜は、ともかく予定をはっきりさせたいのだろう。
「誘う気はあるけど、まだ何も言ってない」
「朝来、お前は遅すぎる。その気があるなら今すぐ誘ってこい」
「いや、わかってるけど……その前の週にも出かける予定だから、その時に言おうかなと」「それは本当に遅せぇよ馬鹿。まぁ、クリスマスのデートに誘うとか告白してるようなもんだからなぁ」
竜は弱腰の俺に呆れた視線を送りつつも、腕を頭の後ろで組んでぼやく。
一般的には竜の言う通りだろう。高校生にもなれば、クリスマスに二人で遊びになんて誘われて恋愛を意識しない奴はそう居ないはずだ。
俺としては、加えて赫夜が季節イベント好きだと聞いてしまったのが余計にプレッシャーになっている気がする。
「でもよぉ、いいじゃんもう告白しちまえば。今死ぬか後で死ぬかだぞ」
俺が腕を組んで唸っていると、竜はあっけらかんと投げやりにしか聞こえない提案を口にした。
「適当なこと言って……どっちにしろ死ぬしか選択肢無いじゃないか」
「ナーバスになってんぞ。そんぐらいの気持ちで挑めよって話じゃねぇか」
「……俺も逆の立場ならそう言ってる気がするけどさ」
「慎重なのは悪くないけどよ、元々が深く考えるタイプじゃねぇのに二週間やそこらじゃ何も変わらんて」
いたわるような指摘がむしろ心に刺さる。
赫夜もある程度好意を持ってくれているんだとは思う。普通に考えて好意がなければあんなことはしない。
それでも、自信を持つどころか漠然とした不安に駆られてしまうのは恋愛というもののせいだろうか。
「はっきりさせないとってわかってるんだけどさ」
またも煮えきらない言い方にしかならなくて自分でも呆れてしまう。
俺の気持ちなんかほぼほぼバレている。それでもいざ確かめようと考える度に二の足を踏む。
ぬるま湯のような今はもどかしいけれどなんだかんだ楽なのだ。
頬杖をついて窓の外に顔を向ける。上空の強い風に雲が流されて形を変えるのをぼんやりと目で追った。
「ま、お節介焼いてみただけだ。今週いっぱい考えてみりゃいいんじゃねぇの」
「そうだな……ありがとう」
「どういたしまして、だな! クリスマス会はギリギリまで枠空けといてやるよ」
まっすぐに顔を見て礼を言うと、にこやかに肩を叩かれる。相変わらずの力強さだが、そこに竜の励ましと照れ隠しが含まれているのがわかる。
「……竜って、こんなに色々わかってて気遣いもできるのに、何で彼女と続かないんだろうな」
中学時代から何人も彼女の話を聞いたが、どれも数ヶ月の儚い縁だった。
「そこは、色々あんのよ」
達観した物言いをして、首の後ろを掻きながら席を立った。




