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夜明けが君に届くまで  作者: ちる
第一章
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48話 月のお姫様と寝心地の良い枕

 用事を終えたのでゴミを捨てさせてもらってから帰ろうと、赫夜かぐやの居るリビングを訪ねる。


「赫夜、アイスのゴミ捨てさせて貰うけど良い?」


 入り口から呼びかけてみるが少し待っても返事がない。

 確かにリビングに居ると言っていたはずだ。大きなテレビも点いたままで、夕方のニュースが微かな音量で流れている。

 見通しの良い室内で首を左右に動かしながら奥へ進むと、テレビの前の白いソファに座ったまま俯いている赫夜を見つけた。


「赫夜、起きてる?」


 念のため横から声を掛けてみるが、やはり反応がない。テレビを見ながら寝てしまったようだ。夕鶴ゆづるの病状悪化など不測の事態に備えて家を空けないという話のはずだが、これでは気付けないだろう。


 病人の夕鶴には「寝てろ」と言って部屋を出て来たのもあるし、挨拶もせず勝手に鍵を開けたまま家を出るのも憚られる。

 いくつかの理由を頭の中で挙げてみて、もう少しだけこの家に滞在しても許されるはずだと独りごちた。


 赫夜が座る白いソファの逆の端に、できるだけ振動が伝わらないようにゆっくりと腰を下ろす。

 ちらりと横目で窺ってみれば、俯いた赫夜の顔には淡い金の髪が垂れて上手い具合に隠されていた。きっと前に見たのと同じあどけない寝顔をしているんだろうと想像して、見られないことを残念に思う。

 起きる気配がないのをいいことに、髪の隙間を覗くように見つめていると赫夜の頭がかくんと一度大きく動く。悪いことを考えてしまったのが伝わった気がして脈が跳ねる。


 折角ならもう一回寝顔が見たかった……なんて。

 これ以上悪いことを考えないように、前を向いてテレビに映るニュースキャスターの話に耳を傾けた。

 ほどよい弾力のソファと、淡々と今日の出来事を伝えてくる整った声に、次第にまぶたが下がっていく。



 ――がくっと顎が落ちたことで、意識を取り戻す。


「まずい、寝てた……」


 正面のテレビには寝入る前にも見たニュースキャスターの顔があり、まだ番組が切り替わるほどの時間は経っていないとわかって安堵した。

 それでも人様の家で意識を飛ばしたことには変わりがない。

 高級なソファは恐ろしいと他の物のせいにして周囲を見れば、逆側に座っていたはずの赫夜の姿がなかった。


 慌てて立ち上がろうとすると、腿に重しを感じて思ったように腰が上がらない。

 不思議な感覚に何事かと視線を下げてみれば、俺の膝の上に淡い金色がへばり付いているのに気が付いた。


 ……何だこれ。


 もちろん赫夜だというのはわかる。

 横を向いて姿が見えないと思った赫夜は、うつ伏せに近い格好で倒れ込んできていた。

 俺の膝の上に頭を置いて、ズボンとブレザーの端をぎゅっと手で握り込んでいる。


「赫夜、起きて」


 寝起きと緊張で喉が渇いて、絞り出した呼びかけの声は掠れていた。


「……んん」


 赫夜は吐息混じりに喉を鳴らす。声に反応したようにも思えたが、もそもそと頭を擦り付けるように動かすだけだった。


「どうしたらいいんだこれ」


 状況は見れば明らかで、完全に膝枕にされている。

 うとうと船を漕いでいるうちに、横に倒れたら丁度いい枕があったというところなんだろうけれど、無防備にも程がある。

 

「……ねぇ、俺これじゃ帰れないんだけど」


 照れ隠しに悪態をつく。


 顔が見えないこともあって大きい猫にくっつかれてるみたいな変な感じだ。

 昔祖父母の家で飼っていた猫にしてやったように、膝の上の頭をそっと撫でる。

 艶のある髪はふわふわとして柔らかい。

 初めは表面を撫でるだけだったけれど、感触の良さに抗えず次第に指先を髪に埋めて梳くように撫でていく。本当に、撫でる側が癖になる髪質だと思う。


 心地よさに浸りながら指を動かしていると、爪が耳を引っ掻くように当たってしまった。


 「……ん」


 ぴくりと身体が揺れて、赫夜の口から小さな声がもれる。

 甘く掠れた短い音に色めいたものを感じてしまって焦って手を引く。


 起こさないように身体を離そうと静かに腰を浮かすと、赫夜は握っていた俺の服の布地をさらに強く握り込んだ。


「赫夜、ごめん手を離して」


 懇願の声を上げるが効果はないようだ。

 軽く肩を揺すっても唸り声しか返ってこない。それどころか、ますます強くしがみついてくる。

 これ以上は色々とまずいのに……されど逃げ場はどこにもなかった。


 前もそうだったが、寝ている赫夜の無防備な姿は俺の理性を容易に紐解いてくる。

 けどそれを赫夜のせいにするのも、許可なく触れるのも良いわけがないと、学べない反省の言葉を反芻して天井を仰ぐ。



 俺は枕だ。ただの枕なのだ。

 せめてもの罪滅ぼしに、俺の膝が赫夜にとって寝心地の良い枕であることを祈るしかない。


 俺にしがみつくように眠り続ける赫夜の暖かさをズボンの上に感じて、息苦しいほどに心臓が暴れている。全ては自分のあさはかさの結果で自業自得なのだと、昂ぶる鼓動を抑えるために目を閉じた。


 お腹が空いたと訴える夕鶴がよれよれとリビングに現れて俺の膝で眠る赫夜を強引に叩き起こすまで、ソファの肘置きを両手で握りながら葛藤に耐えていた。




 あれから結局帰るタイミングを見失い、夕飯までしっかりと戴いてしまった。

 ほうれん草と人参の色味が映える半熟卵入りのよく煮えたうどんは今日も非常に薄味だったが、病人には優しいだろう。


「そろそろ帰るよ。夕飯までありがとう」


 熱でふらつく夕鶴を部屋まで送ってからキッチンで後片付けをしている赫夜に声をかけると、洗い物の手を止めてエプロン姿のまま玄関まで見送りについてきた。


「家まで送るよ?」

「まだそんなに遅くないし、歩きたい気分だから大丈夫」


 直行便の申し出にそれとなく断りを入れる。蟲退治むしたいじで街に出る時なら致し方ないけれど、家に帰るだけなら食後の胃を揺らしたくない。


「そんなこと言って、また路地裏探検でもする気じゃないよね?」

「しません。ちゃんとまっすぐ帰るって」

「疑わしいよ」


 赫夜はじっと言葉通りの眼差しを向けてきた。

 前回の件ですっかり信用がなくなったらしい。それにしたって、うちの親より過保護だと困り半分笑ってしまう。


「じゃあ、家に帰ったらメッセ入れるから。ここからだと二十分くらいだし、それじゃ駄目かな?」

「なら、待っているからね。帰ったからって送るのを忘れないように」

「送る送る、大丈夫だから!」

「あんまり遅かったら部屋まで見に行くかもしれないよ」


 スマホを取り出して目の前で振ると、赫夜は表情をそのままに小さなため息を漏らす。

 連絡がなければ部屋へ行くなんて脅し文句として言っているんだろうけれど、こういう日じゃなかったらわざと返信を遅らせてしまいそうだ。


 また駄目なことを考えてしまったと、芽生えた邪念を即座に頭から放り出す。

 気を取り直すつもりでこほんと咳払いをすれば、赫夜が訝しげに首を傾げた。



「そういえば、赫夜は海って好き?」

「入ったことはないけど、見るのは好きだよ」

「来週の行き先、海が見える公園にしようと思うんだけどいいかな? 冬はライトアップとかしてて結構賑やからしいんだ」


 手に持ったスマホでMAPアプリを起動して場所を教えると、赫夜が俺の手首を掴んで画面を覗き込む。背伸びをしているのに気が付いて手の位置を下げた。

 あの位置で見えにくかったのかと思うと無性に可愛いと感じてしまう。

 赫夜は俺が緩む口を手で押さえて誤魔化しているのに気が付かない様子で、興味深げに画面に表示された小さな参考画像をじっと見つめていた。


「きれいなところだね。楽しみにしているよ」

「よかった。俺も楽しみにしてる」


 視線を外さずに呟かれた言葉が嬉しくて、じわじわと浸透するように俺の中で熱が広がっていった。



『ちゃんと帰ったよ。時間も言った通りだろ』


 自室に帰り着いて早々に、約束通り赫夜宛てにスマホから短くメッセージを送る。

 これで問題ないだろう。

 そう思ってスマホをベッドの上に投げようと思った瞬間、ぱっとアプリ画面に返信の文字が浮かんだ。


『よくできました。おやすみ』


 俺よりも短い簡素な返信。

 それでも、これまで赫夜とメッセージをした中でここまで返信が早かったことはない。


 本当に俺の連絡を待っていたんだ……

 驚きと面映ゆさに下唇に歯を立てる。家までに浴びた冷えた夜の風で、内側の熱まで全部落ち着いたつもりだったのに。

 そんなもの何の意味もなかったと、スマホを握りしめながら床にしゃがみこんでしまった。


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