47話 風邪とアイスと幼馴染の想い
『今日は夕鶴の体調が悪いから夜の予定は中止にさせて』
『熱やばい風邪ひいた!』
『アイス食べたい! 買ってきて!!』
昼休み、赫夜と夕鶴からほぼ同時に送られてきたメッセージに俺は大いに困惑させられていた。
昨日ようやく定期試験の全日程が終了して、今日からまた二人の家にお邪魔して夜の蟲退治見学が再会……という予定だったのだが。
当然体調最優先なので中止は構わないのだけど、夕鶴はお菓子を買ってこいという。どうするべきか。
「試験勉強に根詰めすぎたんじゃないのか……」
先週の、苦しそうに数式に向かい合っていた夕鶴の姿を思い出して苦笑いする。
貧弱だった子供時代を思い出すと、熱のある時に無性にアイスを食べたくなる気持ちがとてもわかるので買って行くのは嫌じゃない。
赫夜がそこらの店への買い出しに行けないとなると、他に気軽に頼める相手が居ないんだろう。
『夕鶴から買い物頼まれたんだけど、届けるだけなら家行ってもいい?』
『夕鶴が心配だから夜は出掛けないけど、お前が家に来る分には構わないよ』
赫夜に伺いを立ててみれば、すんなりと了承が得られた。
今はそういう時じゃないとわかってはいても、赫夜と会うのも夜のコンビニ以来なのでつい嬉しくなってしまう。
『欲しいアイス何? 何も返事が無ければバニラになる』
『チョコチップ!!!』
夕鶴に欲しいアイスを教えろと送れば、ものすごい早さで返答が来る。
今日はメッセージの書き方が普段より子供みたいだと微笑ましく感じた。
いつも待ち合わせに使っていたコンビニで買ったアイスの入ったレジ袋を手に下げて、夕鶴の通学路を歩く。家までの道自体はほぼまっすぐなので、簡単に覚えてしまった。
それでも、通い慣れるにはまだ浅い道のりは話し相手が居ないせいで長く感じられる。
狭いばかりの名も知らぬ児童公園の手前に差し掛かり、飾ちゃんのことを思い出す。そういえば次に会うのは水曜日と三人で約束をしていた。
きっと夕鶴を待っているだろう飾ちゃんに一言言ってあげないと。
「飾ちゃん?」
入り口の横手に置かれたベンチに座り、ぼんやりと空を見上げている飾ちゃんに声を掛けた。こちらを向いた飾ちゃんは見る間に笑顔になり、軽い足取りですぐ側へと寄ってくる。
「おかえりなさい! ……あれ、夕鶴は?」
元気よく挨拶をくれたものの、すぐに夕鶴の姿がないことに気付いて不安げに顔を曇らせた。
「ただいま、飾ちゃん。夕鶴は今日風邪で休みなんだ」
「風邪?! 大丈夫かな……」
「すぐに治るよ。でも、そういうことで今日は俺もお見舞い行くから飾ちゃんも家に帰ろう」
「うん……夕鶴に、元気になってって言って」
飾ちゃんが祈るように胸の前で手を組んで俺を見上げる。その姿は一心に夕鶴を心配しているようにしか感じられない。
俺が頷くと、少しだけ安堵したのか頬を緩めた。
「それじゃあ、また」
「朝来くん……!」
簡単な挨拶をして公園の敷地を後にしようとすると、飾ちゃんに呼び止められる。
どこか切実さをはらんだ声色に驚いて振り向く。
「どうしたの?」
「……ううん。明日は来る?」
飾ちゃんは服の裾を握りながら、おずおずと尋ねてきた。
「うーん、夕鶴はどうかな……風邪が治らないと何とも言えないかな。俺は多分この道通るだろうけど」
「じゃあ、朝来くんのこと待っててもいい?」
「え、俺? ……それは良いけど」
俺の返事に目を細めて笑う飾ちゃんの様子に、俺単品でもいいんだろうかと首を傾げてしまう。言い出したのは飾ちゃんだから問題はないんだろうけれど、会話の間が持つかは不安ではある。
しかも、いくら相手が人間じゃないとは言え見た目は小学生だ。
一緒に居るところを見咎められて通報とかされないだろうかと一瞬不安になった。
「朝来くん、どうかしたの?」
「……あ、何でもないよ。そろそろ行くね」
事案について考え込んでいた俺は、飾ちゃんから見たら道端でぼんやり突っ立っているだけに見えたんだろう。
この人気のまるでない住宅街で、そんな時ばかり都合良く目撃者が居てたまるかと考えるのをやめた。
濃い灰色の大きな玄関扉の横にある物々しいインターホンを押す。
音が鳴った感じもしなくて正しくボタンを押せていたか心配になるくらいに共有廊下は静かだったが、ほどなくして扉が内側から開かれた。
「いらっしゃい、朝来」
「これ、夕鶴に頼まれてたアイスなんだけど」
穏やかな笑顔で出迎えてくれた赫夜にアイスが入ったレジ袋を手渡そうとすると、突き出した手をそっと押し返されてしまう。
「お前が頼まれて買ってきたんだから、お前が夕鶴に渡してあげなさい」
「でも、届けるだけって一応……」
「私も来る分には構わないって言ったよ。試験も終わったんでしょう? 帰りが遅くならないなら好きに過ごしていいよ。私はリビングに居るから何かあったら言って」
赫夜はそう言うと背を向けて廊下の奥のリビングへと消えていった。
この家の中で一つだけドアプレートのかかった部屋の前に来た。プレートには可愛らしい丸い文字で『YUZURU』と書かれている。
普段気負いなく話しているとは言え夕鶴も女の子ではあるので、部屋を訪ねるとなると少し緊張してしまう。
「夕鶴、起きてる? アイス買ってきたけど食べれるか?」
寝入っているかもしれないので、控えめに扉をノックした。
「ありがと朝来、ドア開けるの面倒だから入って来てよ」
面倒と言いながら実際は身体がしんどいのだろう。それでも、内側から返ってきた声は思っていたより元気そうで安堵する。
俺は、「わかった」とだけ言ってそっとドアノブに手を掛けて扉を開いた。
夕鶴の部屋は白とピンクの色調で纏められていて、壁や棚に飾られた様々な小物はどれも可愛らしい。俺の漠然とした女の子の部屋に対するイメージと一致していて妙に感心させられた。
「ほら、チョコチップアイス。冬だしまだ溶けてないはず」
ベッドの上で上半身を起こした夕鶴の膝に、アイスの入ったレジ袋を載せてやる。
「やった! やっぱ風邪にはアイスよ。朝来そこのドレッサーの椅子使って」
「まったく、元気そうで良かったよ」
ガサガサと音を立てて袋を漁り、おもむろにアイスを食べ始めた。
寝起きの乱れ気味な髪も気にせずに頬張る夕鶴の姿に呆れと安心をこめて笑う。
「あーおいしい! でも本当に買ってくるとは思わなかった。言ってみるもんだね」
「一応心配したってことなんだけど? 試験勉強張り切りすぎたんじゃないのか」
「うーん、そうかも? 後半は楽勝だと思ったけどやっぱそうでもなかったというか……」
夕鶴は付属の小さいスプーンを咥えながら、へらりと笑って頬を掻く。
「いくら服が欲しくても、ご褒美のために身体壊したらしょうがないだろ」
俺が大袈裟にため息を吐いてみれば、夕鶴は視線をそらして少しだけ口を尖らせる。
「……だって、来週あんた赫夜と遊びに行くんじゃないの?」
「それとこれと何の関係があるんだよ」
急に投げかけられた話題に気恥ずかしさを覚えて口元を手で覆い隠す。
「赫夜のこと、可愛くしてあげたいじゃん」
「いや、赫夜は十分可愛いと思うけど」
「おい、それは本人に言え」
夕鶴の要領を得ない発言に思わず素で返してしまう。
突っ込まれてから、実に恥ずかしい内心を口に出していたと知って顔が熱くなった。
夕鶴は呆れた顔で俺を一瞥して、アイスをスプーンで深く刺すように掬いながら話を続けた。
「赫夜は自分の物欲しがらないんだもん。服だって勧めたところで別にいいよで終わっちゃう。あたしへのご褒美とか、口実作って一緒に買って押し付けてやらないと同じ服着倒すんだから」
「服が欲しいってそういうことだったのか……」
「自分のも買ってもらうし! 赫夜を着せ替えするのも楽しんでるの!」
ふんと、あごを上げて鼻を鳴らす。
「夕鶴はすごいな。そうやって誰かのために頑張れるのってすごいと思う」
「何よ。急に褒めるじゃん……」
夕鶴はスプーンから手を離して、落ち着かない様子で自分の焦げ茶の髪に手櫛を通す。それが照れ隠しであることは明らかだった。
俺のことを顔でわかるなんて言うけれど、自分だって大概だろう。
「でも、頑張りすぎて身体壊すのはやっぱよくない。飾ちゃんも心配してた」
「あ……そっか、今日って言ってたのにね」
「向こうは元気そうだったよ。一応約束しちゃったから明日も様子は見に行くけど、夕鶴が居ないと会話が持つ気がしないから早く治してくれ」
「いいじゃん、可愛い女の子との会話に慣れとけー?」
俺が白旗を揚げて肩を落としてみれば、夕鶴は声を上げて笑ってくれた。
「――そうだ、次の試験もわかんないところあったら聞いて。全部は俺も答えらんないけど、少しは使えるって言ってただろ。使っておけよ」
「うん、ありがと……朝来がうちの学校だったらヤマから張ってもらうんだけどなぁ」
「それは流石にもっかい生まれ変わらないと無理だなぁ」
ありえない話に笑い合い、夕鶴がアイスを食べ終わったのを見計らってから空の容器を袋ごと回収して部屋を出た。




