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夜明けが君に届くまで  作者: ちる
第一章
36/89

36話 月のお姫様の手料理

 ぱらりと教科書のページを捲ってみるものの、内容はろくに頭に入ってこない。

 見開き部分に顎を載せ、手に持っていたペンを机の上に転がす。


 リビングへ戻ってからの俺は自分でも感じるほどに挙動が怪しいが、夕鶴ゆづるは数式と格闘するのに必死らしく特に気にしていないようだ。

 俺が寝起きの赫夜かぐやと会ってまともな顔して戻って来ないのは想定内、というのもあるかもしれない。


 大きなため息を長く絞り出していると、横からひょいと顔を覗き込まれる。


「朝来はどれくらい食べるの?」


 赫夜が、白いワンピースの上から首に掛けた紺色のエプロンの紐を、腰の後ろで結びながら問い掛けてきた。


「え、ああ、二人と同じで大丈夫だよ」

「わかった。どうせいつもの倍量で作るから足りなければ言ってね。余れば私が明日食べるし」


 確認が終わると赫夜はキッチンへと消えていく。

 てきぱきと手馴れた様子に感心してしまう。


 赫夜は、ものすごくいつも通りだ。

 俺は今も間近に話し掛けられただけで、緊張からたどたどしい口調になってしまったのに。赫夜の方はキスをしたなんて事自体が無かったかのようだ。


 むしろ時間が経つにつれ、俺の行き過ぎた妄想だったのではと感じて不安になる。

 キスしたいと思ったからって、赫夜の方からしてくれるなんて都合がいいにも程があるだろう。

 思い返してみれば「くちづけがしたいのか」なんて、まるで心を読んだかのような発言だ。



「…………いや、嘘だろ」


 そんなことがあっていいのか? 

 にわかには信じがたいけれど、瞬間移動や契約の輪で声が届いたりと、これまでの赫夜の人から外れた力を思い出すと不思議でもない。


 俺のやましい考えが全部聞こえてたとしたら立ち直れる気がしないんだけど。


 聞きたいけど、聞きにくい……前髪をぐしゃぐしゃと握り、設問の答えを考えるふりをして全く違う葛藤を繰り返していた。



「夕飯できたみたい。ダイニング行くよ」


 俺の目の前で、机をトントンと指先で軽く叩いて夕鶴が知らせてくれる。


「あれ、早くない? もうできたの?」

「ご飯は予約済みだったしね。こんなもんじゃない」

「すごいな」


 まだ三十分も経っていないはずなのに。

 俺がまたも感嘆の声を上げると、夕鶴は少しだけ呆れた顔をした。


「さては、料理しないな」

「ごくごく稀にしか……カレーと野菜炒めしか作ったことない」


 レシピと材料が揃っていればその通りに作ることは出来るが、それをもって料理ができるなど自分からは言えない。


「当分家に来るみたいだし、料理できるなら夕飯当番に組み込んでやろうと思ったのに」

「カレーか野菜炒めの二択で良ければ」


 ちなみに副菜はつかない。


「まー、そんなもんか。あたしの友達も料理が趣味って子以外はしないみたいだし」

「できるのは本当にすごい。えらい」

「ちょっとは家で練習すれば? お母さんも喜ぶんじゃないの」


 真面目に褒めると夕鶴は両手を腰に当てて、呆れた眼差しはそのままに少しだけ口角を上げて笑う。


「確かに。作れて損はないしやるべきかもな」

「うんうん、上手になった頃もまだ縁が続いてたら作ってもらうか」

「何でそんな不穏な言い方するんだよ」


 含みをもたせた物言いにツッコミを入れずにはいられない。


「玉砕したら泣いて逃げそう」

「散々人をけしかけておいて、それを言うか」

「最終的には赫夜の味方なので」


 瞳を細めて、ふふんと愉快そうに鼻を鳴らす。腹立たしい。


「……そうなっても俺と夕鶴が友達なのは変わらないだろ」


 夕鶴が嫌にならなければだけど、俺と赫夜と、俺と夕鶴との関係は別問題だ。


「そっか……まぁ、そうだね」


 俺がムッとしつつ返した言葉に一応納得したらしく、夕鶴は一言小さく呟いた。



 ダイニングに余裕を持って配置された幅広いテーブルの上には既に箸とグラスが置かれていた。

 夕鶴に促されて四人掛けの一脚に腰掛けると、正面のキッチンカウンターの中では、赫夜がパタパタと忙しそうに動いているのが見える。


「そう言えば、食費とかあるよな。食べさせてもらうのに、その辺ちゃんと考えてなかった」

「言い出したの赫夜なんだし、良いんじゃん?」

「うーん、一度気付くと気になるんだよな……俺にできそうなのは買い出しの荷物持ちくらいか?」


 お金のことに深く突っ込むとまた拗れそうなので、別のことで返すしかない。

 調理スキルはそんなにすぐに上がったりしない上に、パッと思いつくことがそれしかなくて、引き出しの少なさに気まずさを覚えた。


「いらない。うち食材と日用品はネットスーパーだから」

「えぇ……」


 通販ってことか? 本当に庶民の暮らしじゃないな。

 生活レベルの違いもだが、本格的に自分が何の役にも立たなくてびっくりする。


「学校からの帰り道にないってのもあるけど、赫夜がそこらのスーパーで買い物してたら目立つじゃん」

「まぁ、それはそうだけど」


 赫夜の淡い色彩も整いすぎた美貌も浮世離れしていて、繁華街の駅ビル地下にある食品売り場ならまだしも住宅街のスーパーでは人目を集めてしまうだろう。理由としてはかなり納得だ。

 スーパーのかごを手に持って買い物をしている姿を想像すると、似合わないのがむしろ可愛いというか、ぐっとくる気がするので見られないのは少し残念ではあるが。


「私がどうかしたの?」


 俺と夕鶴の席の前に、温かな料理の乗った皿を並べながら赫夜がわずかに首を傾げる。


「いや、何でもないよ」

「お腹空いたから早く食べよーって話」


 悪い話はしていないが、声を掛けられたことに慌てて否定してしまう。

 隣に座る夕鶴もしれっとした顔で流したので、本人の耳に入れる気がない話ではあったらしい。


「もう並べるだけだから、先に食べててもいいんだよ」


 赫夜は夕鶴の言葉に薄く微笑んで、またキッチンへと戻っていった。




 目の前に並べられた料理は、一汁三菜の見た目から美しい見事な和食だった。食器のせいもあって外食店みたいだとすら感じる。

 メインは生姜焼きのようだ。たれがよく絡んで艷やかに光る肉と玉ねぎの横に、細やかな千切りキャベツがとトマトが添えられている。副菜に青菜と揚げのおひたしと、大根のそぼろ餡かけ。葱とワカメの味噌汁に雑穀ごはん。

 食卓からはふんわりとやわらかな、だしの香りが漂ってくる。


「赫夜……すごいよこれ……」


 今日何度目かの感嘆を漏らした俺を、夕鶴が横から生温い流し目で見てくる。


「これが好きな女の手料理というものに惑わされた愚かな男」

「いや、これ出てくるなら惑わされててもいい」

「果たして本当でしょうか」


 哀れみに似た温い視線が気にならないこともないが、寝起きでこれをサッと作って出してこれるのは十分に手慣れている証左だし、日常がこれってのはすごいと思う。


「赫夜、ありがとう。いただきます」

「はい、どうぞ。召し上がれ」


 斜め向かいに座る赫夜に、食事を作ってくれた感謝を伝えてから手を合わせる。赫夜ははにかんだ笑顔で受け止めてくれた。


 お味噌汁から手にとって、口内を火傷しないようそっと口に含む。やわらかな出汁の匂いが鼻に抜ける。


……が、これ、味噌汁か?


ほのかに出汁の味がする。具材の味も感じられる。ただこう、味噌感が薄いというか……全体的に薄いというか。


「…………?」


 思わず夕鶴と赫夜を交互に見るが、二人は特に顔色も変えずに俺と同じく味噌汁をすすっている。

 とりあえず、メインの生姜焼きに手を伸ばす。輝くたれはよく熱の通った良い色だ。付け合わせのキャベツを包むようにして口に入れた。


 味噌汁の時よりは、生姜焼きだと感じられる味が舌に広がる。ただし、すぐに包んだキャベツの素材の味でかき消されてしまう。一緒に食べてはいけなかったのかもしれない。

 青菜と揚げのおひたしも、大根のそぼろ餡かけも、どちらも香りはすばらしく、食材も適切に煮られていて素晴らしい食感だった。ただ、まぁ、お察しの通り味はほぼ無かった。


「…………??」


 どういうことなんだろう。俺はいつの間にか風邪でも引いて、舌がやられていたんだろうか。



 困惑しきっている俺に、夕鶴ゆづるが小さくため息を吐いて、ダイニングテーブルの脇に置かれた箱を渡してくる。


朝来あさきには特別にこれを貸してやろう」


 アイテムをくれる仙人の爺さんみたいな口振りで箱の蓋を取ると、中には様々な食卓用調味料がみっしりと詰まっていた。


「調味料……数が多すぎないか?」

「それはしょうがないの、最初はスープも白湯レベルだった。これでも散々言ってマシになったほう。でも圧倒的に薄いでしょ? だから後はもう自分で好きに足して」

「作った人に対してそれは……して良いんだろうか」

「ほー、お母さん教育が行き渡ってんね」


 塩、胡椒、醤油、七味……あたりはともかく、箱から出した調味料は見慣れないものも多い。

 元の味が変わるほど掛けて母親に怒られた過去の記憶があるのでやりにくいが、目新しい商品に面白くなって一つ一つ確認してみる。


「ケチャップ、マヨネーズ、ポン酢とかが欲しかったら言ってくれれば取るよ。赫夜かぐやは気にしないし、美味しく食べてくれたほうが食材も嬉しいでしょ」

「……そう、なのか?」


 ちらりと横目で赫夜を見るが、夕鶴の言う通りただ黙々とご飯を食べている。

 それでも染み付いた習性は簡単には取れず、罪悪感を抱きつつも醤油を上から少しだけ垂らした。

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