33話 怒れる幼馴染と児童公園の天使
「何であたしが、あんたと家に帰らなきゃならないの?!」
お互いの高校からそう離れていないコンビニの駐車場にあらわれた夕鶴は、顔を合わせた途端に眉を吊り上げて不満を口に出す。
一応は友達なんだから何もそこまで嫌がらなくてもという思いはあるが、当人抜きで急に決まった話なので不機嫌になるのも当然だった。
謝罪の気持ちも込めてホットコーヒーの小さなカップを手渡すと、わざとらしく鼻を鳴らす。
「ありがと。でも、こんなんで許すと思うなよ」
「まさか、赫夜が何も伝えてないとは思ってなかったんだよ……たしかに話がまとまったのは夜中だったけど」
昼休みに、放課後の話を聞いているか念のため確認を取ってみればこれである。
朝は顔を合わせていないし何も知らないと言う。
お互いに大混乱だ。
それでも待ち合わせ場所に時間通り来てくれるのが、夕鶴の良いところだと思う。
「はぁ、まったく赫夜は………」
怒りではなく不満程度で済んでいるのは、赫夜が言い出した話なのも影響は大きそうだ。
コンビニ店舗の煤けたコンクリートの壁に背中を付けて、二人でコーヒーを啜る。
自分と同じ制服の見知らぬ生徒が、何人も正面の道路を歩いていくのをぼんやり見送る。
時折こちらをちらりと見る者もいて、目が合うこともあったが当然すぐにそらされた。
夕鶴の制服が有名校だけあって、うちの学校の人間と居るのが珍しいのだろう。
「その赫夜とは俺まったく連絡取れないんだけど」
この件が発覚してから何度かメッセージを送っているが、既読すらつかない。
「安心しなよ。どうせ寝てるだけだから」
「家行っても寝てたら俺はどうすれば良いんだ」
喉を通るコーヒーがまだ思ったより熱くて、少し顔をしかめる。
夕鶴が居るので待つとしても話し相手に困ることはないが、寝ているならそっとしておいた方が良いのではないかと悩んでしまう。
「流石にいつも通りならそろそろ起き出すんじゃない」
「赫夜って夜行性なのか?」
「ここ数ヶ月はそうかも。元々一日の三分の二くらいは寝てるけど」
「猫かよ」
思わずツッコんでしまう。
前々から仕草が猫っぽいところがあったけれど、生態まで猫じみているとは。
寝るのが好きな俺でも毎日そこまでは寝られない。
「猫みたいって本人に言わないほうが良いよ。拗ねるから」
「まじか。気を付ける……」
そういえば赫夜は翼があるから鳥なのかもしれない。天敵だろうか。
心の中で思うだけに留めよう。
「まー、さっさと帰ろっか。ここに居てもしょうがないし」
コーヒーを啜ってから、大きな白い息を吐き出した夕鶴が目配せをして歩き始める。
肩からずれ落ちかけた鞄を掛け直して、無言のまま後を追った。
夕鶴の通学路は驚くほど人気のない住宅街だった。
そう狭くない道幅のまっすぐな道路で、おしゃれな外観の家が立ち並んでいるというのに人に会わなすぎる。いっそ不思議だ。
普段自分の通学路で通行人の数などを気にしたことはなかったが、居ないとなると結構気になるものだと感じた。
とは言え、怖がりな夕鶴にわざわざそんな話を振るのもひどいと思うので黙ってついて歩くことしかしない。
周囲に意識を向けてみても、蟲のようなおかしな気配もしなかったので、高級住宅地はこんなものなのだろうと考えることにした。
「あたしちょっと寄り道。そこで立ってて」
「へ?」
少し前を歩く夕鶴は、振り向くこともせず軽く手を上げた。
言うなり一人で足早に進んでしまい、数メートル先を右手にある敷地へと曲がった。
「寄るのは良いけど知らない道に置いて行くな!」
呆然と見送ってしまったが、気を取り直して慌てて追いかける。
夕鶴が曲がった先には、猫の額ほどに小さな公園らしきものがあった。
入り口からすぐのところでしゃがみ込んでいる夕鶴の後ろ姿が見える。
こんなところに何の用事があるのかと疑問に思い首をひねりつつも名前を呼ぶと、渋い顔をして振り向いた夕鶴の奥に、小さな女の子がいた。
「げ! 何で来るの?!」
「突然説明もなしに置いて行くからだろ!」
「寄り道って言ったじゃん!」
「お前は言われる側でそれを納得するのか? ……で、その子誰?」
威嚇するように唸っている夕鶴の背に隠れるようにして、こちらを窺っている女の子は小学生くらいに見える。
大きなたれ目を片方隠すように伸ばされた色素の薄い髪が印象的でとても可愛らしい。
一緒にいる姿は姉妹のようにも思えるが、夕鶴の背景を知っているとそれはありえないし、友達というには少し幼い気がする。
そう視線で訴えてみると、夕鶴は観念したように渋々と口を開く。
「この子は……あたしの友達。多分この近所の子なんだけど、迷子だったのを助けてからこうして帰り道では挨拶してるの」
「なるほど。もしかして、その子が例の……?」
妹候補というやつだろうか。
「よくわかったじゃん」
「なんかまぁ、勘というか。他に思い当たらなかっただけだけど」
想像していたより小さい子で驚いたが、小動物的な容姿がそれらしく感じさせる。
ちらりと見ると、女の子は俺の視線が気になったようで、怯えるように夕鶴の背中に完全に隠れてしまった。
「おい、怯えさせないでよ」
「何もしてない!」
夕鶴には反射的に言い返すが、小さい子からすれば知らない人間に見られたらたしかに怖いかもしれないので、一歩下がってから夕鶴に習って地面にしゃがみ込んだ。
俺の行動を目で確認した夕鶴は、自分の後ろの女の子に対して声を掛ける。
「飾、この人あたしの友達なんだけど、挨拶してくれないかな?」
飾と呼ばれた女の子は声掛けに反応して、恐る恐るといった緩慢さで夕鶴の影から顔を出した。
ただ、夕鶴の制服の端を握りながらこちらの顔をじっと見るだけで何も喋らない。
「……ええと、俺の名前は朝来。キミの友達の夕鶴の、友達なんだけど……よろしくね」
頑張って挨拶をしてみるが、小さい子供と接する機会がないのでどういう態度が適切かわからなかった。目線を合わせて精一杯の笑顔を作り、怖くないとアピールをする。
「飾……です」
はにかむような小さな呟きが聞こえた。子供らしい高く愛らしい声だと感じたが、俺が反応を返すよりも早く夕鶴の後ろに逃げてしまった。
夕鶴の白い目が俺を突き刺してくる。だから待っていろと言ったのに、とでも言わんばかりだ。
飾ちゃんは人見知りするタイプなのかもしれない。
埒のあかない状況に夕鶴は小さく息を吐いて、背後の飾ちゃんへ身体を向け直し、諭すように優しい声を掛けた。
「飾、今日はあたし達もう行くね。こいつともまた会うだろうから、嫌じゃなかったら次はもうちょっと話してやってね」
「うん……」
夕鶴の言葉に、飾ちゃんは素直に頷いた。その姿は本物の姉妹みたいで微笑ましい。
三人揃って公園の外に出る。少しは慣れたのか、飾ちゃんはもう夕鶴の後ろに隠れるということはしなくなった。
「気をつけて帰ってよ!」
「飾ちゃん、今日は驚かせてごめん」
「ううん。またね、夕鶴、朝来くん」
夕鶴は人差し指を立てながら、まるで小学校の先生みたいに細かく注意を促している。
ばいばい、と顔の横で手を振ると、飾ちゃんは少し先にあるマンションの方へ一目散に走っていった。薄暗くなった人気のない道路に、遠ざかる足音だけが響いている。
去っていく小さな背中に、今更、強烈な違和感を感じた。
――あれ、あの子もしかして、人間じゃないのではないだろうか。
夕鶴の顔を凝視する。
俺の視線が不快だと眉間にシワを寄せるが、俺が言わんとすることは伝わっていないようだ。
つまり夕鶴は、あの子が何かを知らないということだろう。
鞄の紐を握りながら、どうするべきか考えを巡らせる。
実体があるので妖異の類だと思うのだが、今日の様子からは害がありそうには見えない。
普段はずいぶん仲が良さそうな様子であったし、助けたらしい相手が交流を求めているというなら、それこそ小学生の教科書に載っている昔話にありそうな話だ。
赫夜に言えば夕鶴にも伝わるかもしれないし、夕鶴も正体を知ったら飾ちゃんを怖がるかもしれない。そうなったら飾ちゃんが少し可哀想に思えた。
しばらく夕鶴と一緒に帰ることになるだろうし、もう少し様子を見ればいいだろう。
「さっきから何? 無言で見られると気持ち悪いんだけど」
「いや別に。夕鶴は面倒見良いよなと」
お化けが嫌いなのに、お化けには好かれるんだなぁ
世の中はままならないものだ。心の中で世の真理に納得して頷いていると、その顔をやめろと夕鶴が手に持った鞄を俺の背中にぶつけてきた。




