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夜明けが君に届くまで  作者: ちる
第一章
32/89

32話 月のお姫様のひらめきと寝かしつけ

 無理を言って引き止めた上に、赫夜かぐやが楽しめるような話題についてではなく、どうしたらもっと一緒にいられるだろうかとばかり考えてしまう。


 エアコンが温風で室内を満たそうと音を立てている。古い機体は表面が黄みがかっていて、暖めるのも冷やすのもいつだって時間が掛かる。

 左側に掛かる柔らかな重みは落ち着かないけれど心地よくて。

 日頃不満しか感じたことがなかったエアコンに対して、今日初めてありがたいと思っていた。


赫夜かぐやは俺の武器が届くまでの間も、いつも通りむしを追いかけるんだろ」

「そうだね。他にやれることも無いし」

「俺も、ついて行ったら駄目かな」


 俺の言葉に、赫夜はもたれていた身体を大きく離して驚いた顔を見せた。


「どうしたの? 危ないだけで面白いものじゃないよ」

「そこは見学というか、今後の参考というか」

「先日はあまり行きたそうに見えなかったのに」

「やっぱり戦いの雰囲気に慣れるのも大事かな、とか……なるべく迷惑掛けないように頑張るからさ」


 怪訝な顔をして言う赫夜は気乗りしないといった様子だ。

 当分会えないのが嫌だからとは言い出せなくて、曖昧な理由を並べる。


「……良いけど、ちゃんと私の指示を聞いてね。私より前には出ないこと」


 赫夜はしばらくの間じっと俺の顔を見据えてから、ため息まじりに微笑む。

 柔らかく細められた蜜色の瞳に、鼓動が早まっていく。


 やっぱり俺は赫夜のことが好きなんだ。

 散々誤魔化してきた感情は、思いの外ストンと胸に落ちた。


 すぐに帰るつもりでも、二週間会わないことが気にならなくても。

 俺が我儘を口にしてみれば、仕方がないと少し呆れたようにしながらも受け入れてくれる。赫夜の態度が癖になりそうだ。

 子供扱いだとわかっていても、特別なものみたいに期待してしまう。


 嬉しくてつい重ねていた手を握り込むと、細い指が内側でぴくりと跳ねるように動いた。


「わかってる。ちゃんと聞くよ」


 勢いよく答えた俺に、赫夜はうっすらと胡乱げな視線を流す。


「でも朝来あさき、昨日は聞いてくれなかったし。どうなんだろうね」

「あれは! 今回はちゃんと聞くって……!」


 左手でニットの袖を伸ばして口を隠しながらぼやく赫夜に、慌てて弁明する。


「今のは冗談だよ」


 小さな声で笑いながら、赫夜は俺の肩の上に額を擦り付けた。

 柔らかい髪の毛に頬をくすぐられて、次第に集まる熱に息苦しくなってくる。

 どうしよう、すごく可愛い。死ぬかもしれない。


 自覚したばかりの感情は抑えが上手く働かなくて。

 揺れる頭を撫で回したくなるのを、奥歯を噛んで耐えている。

 昨日の今日でも変わらないこの距離感も、赫夜が俺をそんな奴じゃないと信頼しているからだろうと思うと、これ以上迂闊には踏み込めない。

 


 赫夜はひとしきり俺の理性をつつき回した後、ゆるりと顔を上げて身体を正面に回すように移動した。

 同時に、握っていた手がするりと引き抜かれて手のひらが涼しくなる。


「それじゃあ、どうしようか。動くのはいつも夜だから……日々のことだし、親御さんには何と説明すべきだろうね」


 赫夜は悩ましげに腕を組んで意見を求めてきた。


「赫夜には手間だろうけど、こうして来てもらってから一緒に抜け出すのが良いのかなと」

「一回きりならともかく、すぐに気付かれてしまうんじゃないかな。それに、お前のことを任されたのに、目的は言えないまでも黙って連れ出すのは気が引ける」


 妙なところで律儀な赫夜は親を理由に俺の案を一蹴する。

 すぐにバレるというのは実際そうだろう。

 どうしたものかと、俺も合わせ鏡のごとく腕を組んで唸った。


「学校帰りとかなら、一緒に遊ぶとか、勉強するとかで誤魔化しが効くんだけど……」


 夜となると、いくら我が家が放任主義に寄っていても連日は難しいだろう。

 週に一、二度に頻度を下げれば問題ないだろうけれど、俺は毎日でも会いたいので一旦そこは考えないことにする。


 赫夜も当たり前のように毎日で考えてくれているみたいなので、それも嬉しくて自分からは切り出したくなかった。



 すると赫夜は、俺の呟きに対して妙案を閃いたとばかりに、それがあったと嬉しそうな声を上げた。


「朝来、明日から学校帰りに私の家においで。名目は任せるけど、うちで夕食を取ってから帰ることにすれば少し夜が遅くても不自然はないと思うんだけど」

「赫夜の家……俺が行っても平気なのか?」


 唾を呑む音が大きく鳴る。赫夜の提案は俺にとってものすごく都合のいい話だ。

 できるなら毎日顔が見たいと思っていただけなのに、放課後からずっと一緒で夕食までなんて。

 それに、夕食を当番制で作っていると前に聞いたので、赫夜の手料理も食べられるんじゃないだろうか。

 赫夜の普段の暮らしぶりや、どのようなインテリアを好むのかも興味が尽きない。


「ご母堂も場所を知っているし、夕鶴も居るし、悪くないでしょう」


 赫夜は得意げに胸を反らせて満面の笑みを浮かべた。

 普段の落ち着いた態度とは違う無邪気な仕草は愛くるしくて、先ほどとは別の意味で頭を撫でたくなる。



「うん、すごく楽しみだ」


 緩みかけていた理性を紐を結び直しながら、それだけの言葉を懸命に口から絞り出した。



「家の場所は、学校が近いみたいだし夕鶴ゆづると一緒に帰ってきて。夕鶴には言っておくから」


 纏まった話に満足そうに頷いた赫夜かぐやは、ゆっくりと腰を上げた。

 わかったと答えた俺の頭を一度撫でてから、ベランダに繋がる窓へ歩き出す。


「じゃあ、そろそろお暇しようかな」

「赫夜もう帰るの?」


 無意識に自分からこぼれ落ちた言葉は、なんとも情けない響きがあった。

 赫夜が家に来てから三十分以上は経過しているので時間としてももう遅い。

 明日も会えるとわかっているのに、この瞬間を惜しんでいた。


「どうしたの? 今日の朝来あさきは甘えんぼうだね」


 肩越しに振り向きながら、不思議そうに目を丸めている。


「別にそんな、見送りをしようと思っただけで」


 甘えたという単語が心に刺さって恥ずかしい。

 少しだけ顔を横にそらして、もごもごと苦しい言い訳をした。


「しょうがないなぁ。ほら、おいで」

 赫夜は踵を返して床に座ったままの俺の前まで戻ってくる。両手を目の前に差し出して、取るように促す。

 恥ずかしさで顔が赤くなるのを感じていたが、拒む理由を探すほうが難しくて吸い寄せられるように手を掴んだ。


「えっと、これは何処へ?」

「さぁ? 何処だろうね」


 俺を立たせた赫夜は狭い室内で数歩だけ手を引くように歩くと、ベッドの上の掛け布団を捲りあげる。


「はい、ここ。横になりなさい」


 露わになった内側のシーツをぽんぽんと軽く叩いて、真面目な顔をして言う。


「……ベッド、だよな?」

「他の何に見えるんだろう。お前のベッドでしょう」


 状況を飲み込みきれず、傍らで呆然と佇む俺の手を再度引いてベッドの中に押し込もうとしてきた。


「朝来、もう寝ないと駄目だよ。早くベッドに入って」

「いや、時間が遅いのはわかってるけど」

「いつまでも遊んでいたい気持ちは理解してあげるけど、明日私について来る気ならもう寝ないと駄目」


 眉根を寄せて、上目遣いに俺を叱る。

 顔も声も真剣そのものなのに怖さは全く感じない。

 きつく結ばれた紅い唇や、むっとしているせいで微かに色付いた頬が、むしろ可愛らしくて目を奪われてしまう。


 ベッドの前で不埒なことを考えては危険だし、真面目に言っている相手に失礼なので雑念を払う気持ちで大人しく従った。


 もそもそとシーツの上に横たわると、間を置かずに勢いよく掛け布団が被せられる。

 頭の先まで覆うようにされたので、苦しさから顔に張り付いた布をかき分けた。

 頭だけなんとか外に出して新鮮な空気を大きく吸い込んだ後、少しだけ抗議しておく。


「寝るけどさ、こんなに強制的に押し込まなくてもよくない?」

「言うだけで大人しく寝るならこんなことしないよ」

「えぇ……俺そんなに信用ない?」

「ないよ。今日は特に駄々っ子みたいだもの」


 ぐっと顔を寄せながら、不信感のこもった瞳を向けてくる。

 今日はだいぶ我儘を言ってしまった自覚があるので、返す言葉に詰まってしまう。

 赫夜はそんな俺をじっと見据えると、やれやれと呆れ果てた様子でため息を吐き出してから頭を優しく撫ではじめた。


「寝るまでこうしているから」

「赫夜、帰らないの?」

「ちゃんと寝てくれたら帰るよ」


 寝かし付けてくれる気らしい。

 子供扱いが複雑なのは変わりないけれど、くすぐったくて少し嬉しくも感じだしている。


「そう言われると寝にくい」

「私と居ても別に面白いことはないと思うんだけど」

「俺は楽しい」

「なら良いけど……お前は変わっているね」

 小さくこぼした赫夜は困ったような、けれど少しだけ嬉しそうにも感じる柔らかな声で。 俺が恥ずかしさを忘れて思わず被せるように上げた本音に、眉尻を下げて曖昧に笑って話を続けた。


「夕鶴にも小さい頃、毎日こうしてあげたなぁ。一緒に寝てくれないと嫌だって言うから、今みたいに横で寝入るまで見てたの」

「夕鶴らしい強引さではある。今の夕鶴はしっかりしてるから想像できないけど」


 長い睫毛を伏せて懐かしそうに微笑む。

 思いがけない二人の思い出話を聞けて面白いが、俺は半強制的にベッドへ押し込まれているだけで別に一緒に寝たいとまでは言っていない。


「そう、あの子も頑固なところがあるから、結局それじゃ駄目って添い寝をするまで頑として譲らなかった」

「それはまたすごいな。強すぎる」


 記憶の中の幼馴染を思い出して、相手を見て、意見が通るまで押すようなところは記憶がなくてもあまり変わっていなかったんだなとしみじみする。


 ふいに頭を撫でる手が半端なところで止まった。


「……朝来も添い寝しないと駄目?」

「今ので間に合ってる!」


 また赫夜がよくわからない思考に陥っている。


 その声からあまりにも本気で思案しているのが伝わって、勢いよく上半身を起こす。

 飛び起きた俺を見て、招き猫みたいな格好で手を丸めて驚いている赫夜の肩を掴んで、それはしなくていいと強く言い含めた。

 勢いに押されて頷いているが、実際どこまで納得しているのかはやはり俺には測れない。

 したほうが駄目なのだ。あらゆる意味で俺が死んでしまう。


 ……絶対にしたくないとは言い切れないのが駄目なんだろうか。


 どっと全身から疲れが湧いてきて、元の位置に倒れ込む。

 長いため息をつく俺の上に、赫夜が優しく掛け布団を掛け直した。

 蜜色の瞳を慈しむようにゆるめて、再び俺の額から髪を掻き上げるようにゆっくりと撫でていく。


 髪をすく指先の感触が心地よくて、次第にまぶたが落ちてくる。



 次の朝は、定位置よりも遠く離れた木質の机の上に響く起床アラームの振動音で目が覚めた。


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