3話 月のお姫様は男子高校生のストーカー
赫夜の笑顔は、これまで夢で見てきたものとは全然違って鮮やかで可愛らしい。
このあまりにも綺麗な赫夜の笑顔が俺に向けられているものだと意識すると、急速に頬が熱くなる。
「ねえ、どこまでわかる? 顔と、名前と?」
赫夜は両手で俺の手を取り、胸の高さで包み込むように握る。
自分とも親とも違う、柔らかな小さい手。
細い指が絡みついてくる感触に、鼓動がうるさいくらいに早くなっていく。
「顔と、その、名前だけは……」
乾いて張り付いていた喉から、なんとか言葉を絞り出す。
「こんなこと言ったら、おかしいだろうけど……えっと、昔から夢で見てて……赫夜のことを……」
まっすぐに顔を見ることもできず、しどろもどろになりながら、赫夜について知っている理由を口にする。
人と話す時にここまで緊張したのは人生において初めてのことで、ただでさえ夢で見たなどいう俺の目茶苦茶な話が、より胡散臭く聞こえる気がした。
「怪しいとは思うけど、あぶない奴ではない……はず、たぶん」
いたたまれなくなって、つい言わなくてもいい一言を付け加えてしまった。
「何それ。お前、可愛いね」
赫夜は小さく吹き出すように笑う。
今のやり取りのどこを取って可愛いと思ったのかは謎だけど、気持ち悪いとか思われなかっただけ良いと思うしかない。
「でも、そう……私のことは夢で見たんだよね? じゃあ、実際会ってみて、どうだろう?」
赫夜は自身を指し示すように握った手をわずかに引いて、小首を傾げて尋ねてくる。
「どうとは、一体?」
なんとも答えにくい質問をぶつけられて聞き返してしまう。
「イメージと違うな、とか?」
「イメージ?」
「夢では顔と名前だけだったんでしょう? だから、声とか話し振りとか、服装とか……どうかな? って、実際の私はお前にとって好ましく映っているかな?」
「好ましいというか、なんて言ったらいいか……」
「どこかおかしい?」
赫夜の容姿について言うなら全くおかしくはない。
ただ、私は俺の好みか? なんて赫夜の言い回しは一瞬勘違いしそうになって良くない。
俺が夢で一方的に見てただけで、あくまで俺と赫夜は初対面同士だ。
なのに、赫夜から妙に好意のようなものを感じてしまうのは何故なのか。
女の子とさして親しかったことのない俺が、初対面で手を握られたりして、何気ない一言を勝手に意識して舞い上がっているだけなんだろうけれど。
「いや、ええと……おかしいとかじゃなくて……そうだな、夢で見た時は髪がもっと長かったかな。服も今みたいなのじゃなくて和服だったし、場所も山とか林とかで」
問われていることとは違うのだろうけど、夢で見た赫夜との目立った違いとその時の情景を伝えてみた。
夢で見た時よりも、今目の前に居る赫夜の方がすごく可愛い……とか、歯の浮くようなセリフは思っていても言えなかった。
「……記憶、夢という形で受け継がれたのかな」
赫夜は俺の漠然とした夢の説明を受けて、深く考え込むような難しい顔をしている。
ぽつりと漏らされた言葉は何のことやら見当もつかない。
困惑が顔に出ていたのか、赫夜は俺を見てくすりと笑う。
気恥ずかしさに落ち着かなくなって首筋を掻いて誤魔化す俺に、赫夜は更に愉快そうに話し掛けてくる。
「そういえば、お前の名前は笹原 朝来だよね。実は私もお前のことを知っている」
続けて飛び出てきた話は、俺を混乱させるのに十分過ぎる内容だった。
「どうして……」
「言葉の通りだよ。でもそれは、昔にした約束のためにお前を探し出して時々様子を見ていたから。――だからね。怯えたり、怒らないでくれると嬉しいな」
言い終わった赫夜は、笑みを湛えながら俺の手を包む力を少しだけ強くする。
同時にした小首を傾げる仕草と合わせると、後半の言葉通りの懇願にも取れるし、俺の動向を窺っているようにも感じた。
「約束って何?」
「一緒に、まつろわぬ神を倒そうって」
倒すって何だ。
ゲーム中以外で口にすることもない単語が聞こえて耳を疑う。
「え、何それ」
「そのままだけど」
聞き返す俺に、赫夜は不思議そうに首を傾げたが、俺の方が首を傾げたい気分だった。
言われている内容に対して、まったく理解が追いつかない。
でも、とにかく片っ端から聞いていくしか無い。今、口を止めたらもう何も喋れなくなってしまいそうだ。
「あのさ、赫夜は俺のこと、前から知ってたって言ってる?」
「そうだね。お前とは違って、直接見てもいたよ」
赫夜は掴んだ手はそのままに、上空を指差すようにして指を一本だけ立てる。
これはそのまま、空から見ていましたよって理解で良いんだろうか。
方法は見当もつかないんだけど。
疑問が浮かび、解消してもらったはずの会話から、また新たな疑問が生えてくる。
「俺のこと、どこまで知ってるんだ? 名前と、顔と?」
「その声も、話し振りも。制服姿も見たことあるよ」
口をついて出たのは、さっき交わしたばかりの問答だった。
「見てたって、いつから?」
「お前が産まれて一年か二年か、くらいからかな」
「子供の頃からずっと見てたってこと?」
「幼い頃は数ヶ月おきに、ここ十年くらいは年に一度ってところだよ」
それを多いと取るべきか少ないと取るべきか。
そもそも見ていたことが驚きなのでどう受け止めて良いのかわからない。
俺はさっき赫夜からの質問に答えていた時、こんなのストーカー発言みたいなものだろうと思っていた。
夢とは言え、知らない人間に名前とか顔とか知られていたなんて、ぞっとする話なんじゃないかって。
だけど、俺に向けて赫夜が言っているのはそれ以上だ。ストーカーみたいではなく実際にそう取れる。
だというのに、俺の中にあるのは驚きと困惑だけだった。
これっぽっちも不快だと思わないなんて、俺はおかしいんだろうか。
「少しも気付かなかった」
「出ていったら驚かせるだろうから、わかるように見てないもの」
「それは、そうなんだろうけど……」
「気付きたかった?」
俺自身ですら不明瞭だった心の内を言い当てられた気がして、心臓が一度だけ大きく鳴る。
まっすぐに俺を捉えて柔らかく微笑む赫夜の瞳は、慈しむような優しい色をしていた。