29話 幼馴染はわからせたい
長時間にわたった理不尽な説教に打ちひしがれ、自室のベッドの上で脚だけ外に放り出すような格好で寝転がっていた。
確かにぱっと見の状況だけなら俺が悪いように見えたかもしれないが、母さんは自分の息子の人間性をもう少し信じてくれても良いのではないだろうか。
というか、ああいう展開というのは男側が得をするものなんじゃないのか?
ひどい思いしかしていないのだが……いや、でもちょっとは……どうだっただろう。
押し潰した、赫夜の柔らかく薄い身体の甘い匂い。
乱れた白い裾から覗く濃い色のタイツに覆われた腿の曲線と、酸素を求める荒い息づかいに紛れた小さく掠れた声。手のひらに残る、弱々しい抵抗の感覚。
先ほどの情景をありありと脳裏に再生してしまい、両手で頬を挟むように叩いて邪念を追い出す。
こんな事を考えていたら本格的に俺が悪いことになってしまう。
くだらなく笑えそうな動画でも見て気を紛らわせようと、枕元からスマホを手繰り寄せる。
ロックを解除しようと液晶を覗き込んだ瞬間、耳慣れた音楽と通話を知らせる画面が表示された。
掛かってくるのは最近二択なので何となく察した。
ちらりと念のため相手の名前を確認すると、やはり相手は夕鶴だった。
今は夕鶴の軽口に付き合える気分じゃない。
赤いボタンを躊躇いなく押してスマホを脇に投げる。
――当然のごとく再び着信音が鳴った。
しかも、放置してもなかなか諦めない。
しばらく経って自動応答に切り替わると一度切れたが、それでもまた鳴り出したので観念して通話に出た。
「おい。最初わざと切っただろ」
「……さぁ? 電波障害だろ」
「人のこと無視しようとするとか、いい根性してるじゃん」
声の調子から、キレ気味に笑顔を浮かべている夕鶴の姿が想像できる。
「その執念を勉強に向けろよ」
頼むからそっとしておいて欲しい。
昨日のことだけでも手一杯なのに、今日のあれで完全に俺の許容量を超えてしまった。
「あたしは真面目に勉強してたのに、あんたが騒ぎを持ってくるのが悪いんでしょ」
「……え?」
「数時間前、うちに赫夜送ってきたの朝来のお母さんだよね」
送って行くとは言っていたが本当に家まで行ってたのか。
母さん自身からは語られなかった話に驚いて目を剥く。
「ああ……今日赫夜が様子を見に来たから……」
これはどこまで話が行ってるんだろうか。
どうあっても悪い予感しかせず、探るように言葉を濁した。
「ちなみに、あたしは小学校の頃の同級生でしたって言っといた」
「ああ、まぁそれは事実だしな」
名前から同一人物だと知れても、生きてる分には良かったねで済む話だろう。
「親は仕事で海外に居て、今二人暮らしってのも伝えてある。そういう設定だし」
「俺も初耳の設定だな、それ」
そうだったのかと素直に驚きを口にする。
「朝期のお母さんとは、うちの息子が迷惑を掛けて~から始まって、何かあったら連絡してねで通話アプリのQR交換して終わった」
「えぇ?!」
今飲み物を飲んでいたら確実に吹き出していた。
さっき会ったばかりの息子の友人と、友人の母と連絡先の交換ってするか?
周囲のコミュ力の高さに俺はついていけない。
既に横になっているのに、目眩がして倒れそうな感覚に陥って眉間を指で押さえる。
「で、赫夜に何でお母さんと帰ってきたのかって聞いたらさあ……あんた……だめ、笑っちゃう。押し倒すなんて、最低!」
最後の方は、笑いを抑えきれないとばかりに声が震えていた。
全部筒抜けじゃないか。本当に最低だ。
「あれは事故だ! 事故!! そんなつもりじゃない!」
「いやぁ、すごい事故だなー。偶然そんな事故が起きるなんてドラマみたいだね!」
「……まだ言うなら通話切るからな?!」
「あー、ごめんごめん、朝来があまりにも不憫で面白くって」
興奮しすぎて笑いながら涙も出たのか、途中で鼻を軽くすすりながら言う。
「ったく……出るんじゃなかった」
赫夜も夕鶴も、この姉妹はベクトルこそ違えど俺を気遣ったりはしないという点が同じだ。
もう少し手心というものを覚えてほしい……
「不憫だと思うならいじるなよ」
「こういうのは笑ってもらったほうがありがたいと思わない?」
「いや……俺はもうほっといて欲しいんだけど」
「馬鹿、わざとじゃないって思ってるから笑い話にしてあげてんじゃん。本気だったら流石に最低すぎて何も言えないわ」
聞こえよがしに言い放たれて喉を詰まらせる。
それはそうだ。いくら赫夜を可愛いと感じていても、同意もなく触れて良いわけがない。
ほんの少しだけ、やましい思いに釘を差されたような座り心地の悪さを感じつつ後頭部を掻く。
「……そんなわけないだろ」
「うんうん。お互いのためにも、ちゃんと確認は取ってからにしろ」
「そういう話でもなくないか?」
会話がおかしい流れになっていることに気付いて首を捻った。
「大体夕鶴は、何でそんなに俺と赫夜をくっつけようみたいにするわけ?」
この際なので、俺がこれまで抱いてきた当然の疑問を夕鶴にぶつける。
「お? 朝来の気持ちを汲んで親身に応援してやっているというのに文句があると?」
「七割以上からかってるだけなのは知ってるんだよ……」
茶化すような返答に、脱力しきってため息を吐いた。
「赫夜は朝来のこと気に入ってるみたいだから」
耳に入った一言に脈が乱れる。
からかいじゃ無いのが口調でわかるだけに、どうにも落ち着かなくなって視線が定まらなくなる。
「そーね……幼馴染だし、悪い奴じゃ無いし、見た目はあたしの趣味じゃないけど、別に悪いわけでは無いし、前世からの約束ってのも物語ぽくて面白いし」
夕鶴は、通話の向こう側で指を折って数えていそうな調子で、テンポよく理由を上げていく。
「あと、なんて言ったら良いんだろ。朝来って変な安心感みたいなのがあるんだよね。だから、あんたなら良いかなって思ったの」
「それは無害で安全そうとかってことか……?」
「それもあるかも? 感情がすごい顔に出るからわかりやすいし!」
夕鶴は穏やかな笑い声を上げて答える。
顔に出やすいと言われると複雑な気持ちになって、口の筋肉が上下に動く。
これが通話で良かったとしみじみ感じた。
俺が自分の意思に反して動く頬を抓っていると、だからさ、と夕鶴は話を続ける。
「傍から見てると朝来の気持ちなんか、誰でもわかるって。一目惚れだっておかしいことじゃないんだから、いい加減自分でも認めればいいのに」
これまでにない、柔らかく諭すような口調はとても真摯だった。
さっきからずっと、鼓動がうるさい。
俺は、赫夜のことが好きなんだろうか。




